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気持ちの一区切りをつけました。

先週末から5日間、東京から岩手の義実家に帰省していました。いちばんの目的は、2月にお腹の中で亡くなった我が子(当時妊娠4ヶ月)の供養と納骨です。

入院中、葬儀屋の営業さんから無縁仏の水子供養をすすめられたのですが、なんだかすごく嫌な感じを受けました。最初はそれでいいかなとも思ったのですが、葬儀屋の方に無愛想でデリカシーに欠ける対応をされて、小さな我が子がぞんざいに扱われているような気がして、どんどんかわいそうに思えてきて……。

性別はわからなくても、名前がついていなくても、生まれる前から命の灯火が消えていても、私たちが授かった子であることに変わりありません。だから夫と相談して、義実家のお墓に入れてもらえないか聞いてみることにしたのです。

そうしたら、お義母さんはあっさりOKしてくれました。(お義父さんはずいぶん前に亡くなっています。)あのときは心の底からホッとしたなぁ……。

それで葬儀屋さんの提案は蹴って、供養と納骨はじぶんたちですることになりました。でも、当時はまだ2月で、岩手は雪もたくさん積もっていたので、「雪が溶けて暖かくなってからおいで」というお義母さんの言葉どおり、盛岡に春が来た4月に行ったのでした。

今週の盛岡は、ちょうど桜の見頃。どこもかしこも満開で、ポコポコの花をつけた桜の木をあちこちで見つけました。「こんな素敵な季節に見送ることができて、よかったなぁ」と思える自分に少し驚きながらも、自分の気持ちが一歩前に進めているような気がして、それがまたうれしくて。
「わたしだけが、いつまでもこの悲しい出来事を引きずったまま生きているわけにもいかないよね」と思っていたところだったので、ようやく気持ちの一区切りができたことに、安堵しました。

もちろん、ここまで立ち直れたのはじぶん一人の力ではありません。無事に納骨を済ませたあと、夫が「あとは父ちゃんが見てくれるから、大丈夫だ」と言ってくれたことも、大きかったように思います。(要所要所でわたしの背中を押す言葉をかけてくれる夫は、本当に最高のパートナーです。)

義実家に戻ったあと、お線香をあげてわたしもお義父さんに「よろしくお願いします」と伝えて、そこで本当に「じぶんの元から離れて行った」という感覚になりました。

我が子よ、どうか、やすらかに。いつか笑顔で会える日を楽しみにしているね。そのときに胸を張って会えるように、母はここからまた前向きに歩いて、この先の人生を全うします。


ここまでお読みいただきありがとうございます!普段はクライアントワークが多いので、自分の感性や気持ちと向き合い、表現する場としてnoteを活用したいと思っています。サポートいただいた分は、子どものおやつかオムツに変身するかもしれません(笑)。