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毒親育ちは気付きにくい

実家が一番心の休まらない場所だった私が身につけた特技は"いつでもどこでも寝れる"です。

「親ガチャ」「毒親育ち」

最近やたらと聞く事が増えてきたこのパワーワード。
私がブログを書くにあたって、
この2つは必ず切り離せないので早めに書くことにしました。

まず最初に私の事を知ってる方、仲良くしてくださる方は、私の父親と面識がある方も多いと思います。

そして恐らくその方達は、私と父親はとても仲の良い親子と思ってくれてると思う。

だからずっと、ずーーーっと、言えずにいた事があります。

自分の中で色んな葛藤があった結果、自分に正直に生きよ!と決断できたので
ここで書き出すことにしました。

大前提に私は父親の事を嫌いなわけではありません。
尊敬しているし、感謝もしています。
でも今は自分のメンタルと身を守る為に
簡単に会える存在では無いです。

そして、父親の事を知っていてこのブログを読んでくださる方がいらっしゃれば、
例え善意でも、父親に何かを言ったり、関係性をどうにかしようとするのだけはやめてほしいです。

これは私が私の為に描く内容であって、それ以上でも以下でもありません。

私の父親はDVをするタイプの人間でした。

DVってさ、アルファベット2文字だけど、
その2文字にも色んなタイプがあると思うの。

父親に手を挙げられた事がある、くらいだと
正直大多数の人は1、2回はあると思う。

我が家は父と母と私と妹の4人家族なんだけど、週に1回くらいの頻度で
家族の誰かが父親からのDVを受けてました。

それも軽いビンタ1発とかではなく、
物を投げられたり、言葉の暴力ももちろん、
病院に行くレベルの怪我も沢山してきました。

過去に2回、父の暴力で血を流し救急車に運ばれる母を見てきました。
1回目は顔、2回目は頭。
出血して意識が遠のき、目が虚ろになりながら助けを求めてくる母と、依然として温度感が変わらず身勝手な感情を暴力で吐き出そうとする父。

その時の私は震える手で必死に119番を押しながら、母の味方をすると私にも手をあげてくるんじゃないかと恐怖で父側につくしかありませんでした。

自分が受けてきた暴力もあるけど、それ以上にこの時の母の顔が未だに忘れられず、ずっと脳みそに焼き付いてます。

父のこう言った行動にはパターンがあり、何をされても、言われても、
大体2時間くらい黙っておけば終わります。私は反論するエネルギーも持てないくらい疲れ切っていたのでいつも黙って聞いていました。そして終わりかけによく言われる言葉が、

「お前今ひどい顔しとるぞ、ブスやな〜鏡見てこい(半笑い)」

当時の私は、自分が本当にブスで、それなのに生きてるから言われるんだと心から思っていました。

社会に出て色んな人と会う機会が増えてやっと、如何なる時でも我が子に「ブス」と面と向かって言える父親はやばいと言うことに気づきだし、、、。

しかし、中々離れると言う選択は出来ずにいました。

私が実家をやっと出れたのは25歳、
世間的にはかなり遅いと思う。

本当は専門学校を卒業して就職した21〜22歳ぐらいには実家を出たかったんですが、上記したように父親が暴君すぎて一人暮らししたいなんて言ったら、そこから2時間コースだったので、諦めて大人しく実家に帰っていました。

そうやって自分のしたい事に嘘をつくのが当たり前になった結果、いつしか自分の本心なんて考える力がなくなり、自分の気持ちはいつも迷子。常に目の前にいる人が欲しい答えを考えて生きる習慣がついたせいで、人に会うのが怖くてすごく疲れるようになりました。

なぜ私は人に会うと疲れるのか?を考えたり、対策方法を調べているうちに「親ガチャ」や「毒親育ち」と言った世界を知り、少しづつ父親の行動がおかしいんだと言う事、世間とのギャップに気付き出しました。

そのギャップが大きくなればなるほど、黙っているしかなかった2時間に違和感を感じるようになり、25歳にしてやっと家出をする決意が出来たわけです。

そんなこんなで、家出も決してすんなりとはいきませんでした〜そりゃそうだ〜

というわけで次回は、『国家権力濫用!警察を呼んで家出をしたよ!』について書きたいと思います🚓



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