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〈ライアーと音楽療法〉私だけは大丈夫?フランスの精神科の授業で。

たびたび思い出すことがある。

それは、大学の精神科の授業。

この種類の授業は、
1800年初めに作られた、
フランスでは有名な精神病院、
サンタンヌ(St.Anne)病院で行なわれた。
教授は、診察の合間に来てくれた。

その病院にある動画があり、
それを観ながら、授業が進むのだ。

フランス精神科の歴史が、
垣間見られるような白黒動画。 
意識や無意識の先にあるものは?

1900年代の病棟での処置、
そして薬の登場、新たな症例と病名の数々。。

このクラスには、
芸術療法を学ぶ心理学科の生徒もいたが、
私のような音楽家、
そして絵描き、俳優、ダンサーなどの
アーティストも多かった。

人間は、どんなになっても生きることを
目の当たりにした。

人間は、動物だよ、と言う。
それはそうなんだけれど、それだけじゃない。

人間の持つ情念や想念は、
動物のそれとは違っていて、
おどろおどろしく、奇異でグロテスクだ。

人間が、芸術作品であるとすれば、
それは、1番気持ち悪く、1番美しいものだ。

教授は、私たちの状況を考え、
午後のみ、3時間ずつに授業配分にしてくれた。

動画とその説明は、
誰も、部屋から動けないほど身体がすくんで、
具合悪くなる人が、続出した。

翌日は、ほぼ全員が、
前日観たような症状が出たような気分になり、
悩まされた。

朝から、その話題で盛り上がり、
気分は下がる。

私も同じく、夜眠れず、
頭の中で、何度も同じ動画シーンが繰り返され、
苦しんだ。

そして最後の授業の日、
教授は、こう言った。

「全員が、すべての精神疾患の要素を
持っています。」

それを聞いた時、
私は、目の前に置いていた教科書を
ペラペラとめくった。

この病名、全部か。。

この全部が私にもあるんだ。。

人ごとだと思っていたから、
傍観者だったから、
気持ち悪くなったり、
苦しくなったんだ。


そう、

私だけが大丈夫は、ない。

ああならなくて良かったも、ない。

人に上下は、ない。


私は、全部の要素を持っている、
だから、
そこに共感が生まれ、
癒しが始まるんだと思った。

そして、教授は、そこまで計算をし、
見立てた上での授業だったのだと思うと、
すごいなと感じる。

いき詰まるたびに、それを思い出す。

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