日常の些細な嫌なこと→嫌だと反応するのは思い込み
日常で
あ、嫌だな。
あ、気持ち悪いな。
あ、うるさいな。
あ、臭いな。
あ、混んでて嫌だな。
あ、冷房が効き過ぎて冷えて寒いな。
あ、暖房が効き過ぎて暑くて汗が出てきた。
.........。
外出するとあらゆる事に五感が
刺激され反応する。
それはだいたい人混みの中へ出かけた時だ。
今日は、それを識別してみた。
まずはバス🚌。
たまたまバス内の広告(車窓の上部にポスターが貼られている〜ぶら下がっている。)が、風?を受けてビラビラと音を立てて振動?しているのだ。
普段はそんな音はしないのだが、それが私の座った座席の所で、これがなかなかの騒音なのだ。
手が届く横の窓が少し開いていたので閉めてみたが、現状は変わらない。
そこで私は識別してみることにした。
音がする→うるさい→嫌だな→不快
30〜40分乗車するのでイライラしてくるかもしれない。
何故不快なのか→嫌だと思うから。→うるさいと感じてるから→ならばうるさいと思わなければ良い
私は、逆にその音を良く聴いてみた。
私は音楽が好きだから、その音を騒音や雑音と思わずに自然に生まれた音楽の一部であり
何かを心が感じるかもしれないと言う気持ちで聴いてみた。
そうしたら不思議と、ビラビラと言う音が騒音では無く、風に吹かれて自然に生まれた音。
と
脳が判断して、うるさいとは思わなくなった。
面白い。
その次に、ある停留所から乗って来た、ひとりの老人だ。
杖を付いていて、何やら紙袋に荷物を持っている。
私は乗り口のすぐ後ろの二人掛けの座席の窓側に座っていたのだが、通路側に座っていた若い女の子が、その老人に席を譲った。
当然、私の隣りに老人は座り、身体が密着しそうなくらいにこちら側に寄って座り、私の腕に老人の身体?腕?が当たり、荷物は私の膝に当たる状態になった。
不快だ。
そして体臭が臭い。
私はマスクをしていたけれど、臭いのはどうしようも無いので諦めて、身体はなるべく窓側に寄って、腕が当たらないように身を細めた。
どうしても身体に力が入り、このまま15分位、
終点(駅前)まで行くのかと思うと、
あー、、なんて不愉快なんだろう。
今日はついてない。
そー思った。
だけれども、自分の思考を変えればなんとかなるはず!
そう思ったけれど、もう諦めで、とにかく無に
なることだけを考えた。
いや、、
考えた時点でもう無では無いのだが。
とにかく、、
嫌だ。 と言う思考からは離れた。
何も感じない、何も思わなければ良いのだから。
とりあえず、そのまま終点に到着し、
バスを降りて、深呼吸をして
改めて気分を入れ替えたのだった。
日々、修行だ。
自分の心のコントロール
嫌だ!と反応してしまっても、ずっと不愉快な気持ちで過ごすよりも、何故そう感じるのかを考えて、そう感じない方向へ自分の心をコントロールすれば、不愉快な気持ちから離れられる。
その方が心地良く過ごせる!
これからも日常の些細な事から実行してみようと
思う。
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