グリーフケアカフェへ行ってみた話し
FBに自動広告が出ていて、なんとなく気になっていた。
自分が今グリーフとして参加しているのは
LINEのオープンチャットでみつけた"子供を亡くしたママ" (グループ名は仮定) だけだ。
時間とともに自分から投稿する事もほぼ無くなって来て、誰かがたまに投稿する共感するモノや元気つけたくなるモノにだけコメントをする。と言うスタンスに変わって来た。
行ってみようと思ったきっかけ
最近気付いた事は、久しぶりに会った旧友に、夫が亡くなった事は話せるが次男を亡くした事は話せない、話すタイミングが無い、話すと話題が暗すぎてどうなんだろうかと思ってしまう。
しまいには "あれ?お子さん2人だっけ?" と言う問いにも "うん、2人だよ" と、、、答えるに留めてしまう自分がいると言う事だ。
亡くした当初の暗い海の底にいた気持ちから、だんだんと海面へ浮いて来て、今では大海原の小さな手漕ぎボートの上に座り太陽光を浴びて瞑想をしているような自分がいるにも関わらずだ。
年始で、年賀状が届いた中で(喪中ハガキは親戚にしか出さなかった)毎年家族写真を何シーンも載せた賀状をくれる人がいる。
今年も、配偶者とのツーショット、とっくに成人した3人のお子さん、その配偶者と子供(孫)の笑顔の写真満載な賀状だ。
ひとりも欠けることなく元気で、お孫さんもすくすと育ち...
これを観ると
私も結婚して2人の元気を子供を産み育てたのに...
と、、、
自分の環境が"普通では無い" "順調では無い" んじゃないかと思い知らされる。
(全て順調な人生なんてないし、思い通りになる人生なんて無いとわかってはいるけれど...
子供を亡くすなんて有り得ないと思っている自分がいる)
ちなみにこう言う賀状をくれる人ほど、礼儀正しく、こちらはもう2年賀状は出していないにも関わらず送ってこられる。。
(だいたいの人は去年の賀状を見ながら賀状作成をするようで、こちらが出さないと自然に来なくなる)
そんなわけで
やっぱりグリーフがずっとある自分をケアしようと思い立ち、FBで見たグリーフケアカフェへ行ってみる事にした。
主催者は30代?のご夫婦。
奥さんは看護師さん、ご主人は著書もある..肩書きはなんだろう?皆んなが幸せを感じられる事を願ってる人?(詳しい自己紹介が無かったので自分でググりました)
この日の参加者は私含めて4人の女性。
静かな雰囲気で穏やかなBGM、主催者さんの雰囲気も優しくて話し方も心地良い。
まずは名前と今日呼んで欲しいニックネーム、何処から来たのかを話し、その後は"グリーフとは" の説明を、用意されたプリントに沿って話された。
静かで、より一層緊張感が高まった。
そして次にそれぞれのグリーフを話す段階になったが、ここで自分の事を話さねばならないのは
苦痛でもあった。
しかも次男と夫を短期間で亡くした事実を話さねばならない。話したくなければ話さなくても良いルールだけれど、話さない事には私のグリーフを伝えられない。
意を決して話したがやはり少し言葉に詰まって目頭が濡れた。
それに対して、主催者の看護師をしていると言う女性が"自分も子供の時に父親を交通事故で亡くした"
と話された。
4人の参加者それぞれが自分のグリーフを話し、
それぞれにその場で何かしら話す主催者。
私の思考は、同調もするけど
なんだか、、、
そうじゃない、、、、
悲しみの感じ方や
それを緩和する方法や言葉は
グリーフを学問として学んだ通りでは無い。
その人それぞれの今までの人生、考え方、亡くした人との関係性等によって
全部違うのだ。
そんな想いがふつふつと湧いて来る。。
そして次にワークが始まった。
ワークは2つ。
◉セルフケア 呼吸法と自分を抱きしめる
◉死の体験旅行
(大事な物を色分けした16枚のカードに書いて
主催者さんのガイドに沿って不要な物から捨てて
行く)
呼吸法は普段からヨガと瞑想をしている私には
慣れているものだった。
不要な物から捨てて行くと言うのも、物に執着があまりない私には自ずと最後に残したモノは勿論
"長男" と書いたカードだ。
結論から言うと特に新しい気づきも発見も無く、
なんだろう、、、と言う気持ちでしかなかった。
最後に主催者さんの著書の紹介と、グリーフに関する書籍の紹介があり購入している人がいた。
終わって、雑談など出来ないかなあ、と思ったが書籍の購入支払いなどをしている人がいる中、、
なんとなく買わないと 居づらい雰囲気になりそうだったし、とにかく静かで雑談になる雰囲気もなく、もししたいならば私が自分でそう言う雰囲気を出さないとならない....
んー。。。
とりあえず、
子供を亡くされた方はいなかったので、自分からそこまで積極的にはなれずに、その場をあとにした。
感想
結局は同じような経験をした人でないと
分かち合えないし
特に、女性が子供を亡くすと言うのは
グリーフの中でも特別な悲嘆だと私は思う。
自分より先に亡くなるはずの無い、唯一の無償の愛の存在である我が子だから。。。
帰りの電車に乗って、ぼんやりしながら
降ってきた思考は
私は何を求めて来たのだろうか。
私はどうしたいのだろうか。
わかってほしいとかそんな単純な事じゃない。
苦しい辛いと言うのも違う。
ただ、、、同じように自立しつつあった子供を亡くした人と語り合いたかった。
グリーフケアの勉強をした看護師さんとかに
教科書通りの"あなたの場合はコレコレだからこう言う療法が良いのよ"
とかお決まりの言葉は全く必要無い。
逆に当事者としてアドバイスをしたいくらいだった。
セルフケアになる事は色々自分でやって来たし
自分に合ったモノを見つけては継続してやっている。
だから
ただ
ただ
少しでも共鳴できる人と
語り合いたかった。
勇気を出して参加してみたけれど
結局は
緊張感と
話す事による悲嘆の思い出しによる
辛い気持ちと
まあ、、色々なグリーフがあるんだなあと思ったことと
夫が入院していた時の看護師さんの色々な事をまた思い出してしまい嫌な気持ちになったこと
それだけだった。
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