思いやりと思い込み〜何もおきていないことに気づく
" 相手の気持ちを考えなさい"
"相手の立場になって考えなさい"
"人の痛みがわかる大人になりなさい.."
" 思いやりのある人になりなさい"
などと小さい時から
道徳の時間や国語の授業でも、いつもそんなふうに言われながら生きてきた。
"いい人間" とは"人の気持ちがわかるひと"
なのだとずっと思っていて、年齢を重ねるほどに
経験値も増すから知らず知らずにデータ化されて
" この人は○○と言ってるけど、本当は○○だと思っているから、私は○○○して助けてあげよう"
とか
"この人はいつも○○で本音を言えない人だから今度もきっと○○だと思ってるはず、、嫌だなあ"
とか、
更に私は仕事上、金融機関でセールストークや
融資の契約の仕事をしていたので
"顧客のニーズを汲み取る"
とか
"顧客の経済環境や家族構成を聞き出す"
など
相手のひと言から沢山の情報を聞き出すために表情を観察し、今どの商品がマッチするかを考えイメージする日々だったので
"人の気持ちがわかる" ことは良い事だと思っていたし、経験値の浅い若者よりも、顧客は奥深い話しを私にはしてくれた。(2021.3 に仕事は退職済)
だけど....
今、
ひとりの何者でもない"わたし"になり
瞑想やヨガやインド哲学やアーユルヴェーダなどを学んでいくに連れて
人の気持ちなんてわからない。
それは
思いやりと言うより思い込みに過ぎない"
と言う事に気がついた。
だから
人から言われた事に傷ついたり、一喜一憂したりする必要は無いのだ。
単純な事だった。
確かに仕事上で顧客のニーズを掘り起こすのが得意だったかもしれない。
だけどそれはたまたま、私の
思い込みが当たる確率が高かっただけで、
今、周りにいる人達全てにそれが当てはまるかと言ったら、それは違う。
それを顕著に感じたのは
お悔やみの言葉をかけられた時だ。
ある人は私の表面しか見ずに
"強いね" と言った。
もうこれを言われたら弱い自分を見せられなくなる。
そして、それって、今私が普通にしてるから、
泣いてないから、気が狂ってないから、だから
強いと言われるのか。。
では、次男を亡くした私は毎日24時間泣いていなければ、"強い人" なのか?
その言葉を発した人は私の本当の気持ちなんか
全然わからないと言うことだ。
多分こんな気持ちだろうとか、単純な事では無く、ひとそれぞれ悲しみの種類は違う。だから人の気持ちなど、わかるはずもないのだ。
思いやりって、きっとどんな気持ちなのかの正解を当てて対応する事ではなくて、正解などわかるはずもないけれど、黙ってそばにいることなのかもしれない。
だから、こんなふうな事を熟考した事の無い人から
言われた言葉など、稚拙な言葉なのだから深読みする必要も無いのだ。
今まではそれを悪意のある言葉だろう、
とか、
マウントをとりたいのだろうか、
とか
なんであんな事を言うんだろう、
と、その人となりを考えて不快になったり、
とか
それはもう自分で作り上げたストーリーの中にどっぷりとハマっていたものだった。
本当は何もおきてなどいないのだ。
自分が勝手に創りあげたストーリーなのだから。
そう、、、
不快な話題を振る人は稚拙なだけなのだから
適当に流しておけば良い。
それにそんな人にもいい所は皆必ずあるのだし。
逆に相手からしたら私のほうが稚拙な人なのかもしれないし。
なんだか
コレを書いているうちに、自分にとって不快な人の事をアレコレ考えてる事自体が時間の無駄だと思えて来た。
(この記事の内容は少し前には気づいていて 本日ようやく記事に出来ましたので 今までずっとモヤモヤしていたわけではありません☺️)
時間は貴重だ。
勿体ない。
瞑想して
深い呼吸をした方がよっぽど良い。
ここまで読んで頂いてありがとうございます。
近所の寺院の庭園で出会ったジョウビタキ♀さんです。なんとなく和風な雰囲気に撮れました☺️
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