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再び「花の色は移りにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに」

昨日は医者通い。
そして、病院のレストランで蕎麦などを食べていると、人生という時間は、否応なく流れていくのよねと実感してしまいますww。


 先日は、突然、今の私の顔出し写真を載せてしまいました。
それについては、誰もが若いころはそれなりに美しく輝き、歳をとればそれ相応に枯れていく、これが人生なのよと、言いたい気分になりましたww。

 私は幼少期も十代も楽しく過ごしたけれど、やっぱり二十代が一番、羽を伸ばして輝いた時期だったかもしれないです。だから、生まれ変わるなら、二十代がいいなあと、本当に思っていますww。

 それで、今日は、いたずら心というか、面白心が急に湧いてきて、「私だって若い時があったのよ」と言ってみたくなったので、このnoteのこのページをたまたま見てくださった人にだけ、ご愁傷さまですけれど、私の昔の写真をご披露してしまおうかしらと、なにげに思った次第ですww。

 ただ、私は、学生時代の一番輝いていたころの写真は、何回もの引っ越しで、いつの間にか紛失してしまいました。ばっちり貼ってあった厚いアルバム3冊の紛失は、私の青春が消えたと思ったくらいショックで残念なもので、そして、幸いにして残った写真は、ほとんどが集合写真だから載せられないのです。

 つまり、今回は、少しだけ歳を重ねた二十代後半の写真を載せる以外ないのです。すみません。見たくはないでしょうけれどね、けれど、写真は、ぎりぎりの若さはあるのだろうと自ら思いww、たぶん顔認証では、枯れ尾花になり果てた現在の私の顔とは、一致しないのじゃないかなというわずかな希望的観測をもって、載せてみることにしました。

 またまた、「よくやるよね」との声が聞こえてくるでしょうけれど、これは遊び心です。6月から真面目な記事を書こうかなと思っている前のちょっとした息抜きです。ウオーミングアップですww。
という事で、心の揺らぎなので、ご容赦を・・。

淀川長治さんへのインタビュー。こんな時もあったのです。
いつも楽しく過ごしていました。
集まりでは、ちょっとお澄まし顔もしましたww。

ああ、昭和は遠くなりにけり。
昭和って、美人顔でなくても輝いていたのですよね。
良い時代でしたwww。
この昔の写真と、現在の私は、姿かたちが全く変わってしまい、
笑っちゃうほど、風化が甚だしくなっています。
これも、抗しがたい世の流れなのです。悪しからずです・・。

昔の写真を捜してい時、私の母の父(私の祖父)の写真も出てきました。
祖父は、明治四十年代に海軍の現役兵として舞鶴の軍港に勤務して、
巡洋艦?吾妻に乗り組んでいた人でした。
姿勢も良くて、いつもかっこいいお祖父ちゃんだなあと思っていた人です。
だから、ご披露してしまいますww。
この写真、紹介出来て良かったと思っています。

私の母方の祖父です。

その他にも、昔の色々の写真が出てきたので、機会があれば、ご披露しようと考えています。今回は、この辺で・・。大変、失礼しました。





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