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アルゼンチン人のおしゃべり

アルゼンチン人は老若男女問わず多くの人がおしゃべりが大好きだ。日本だと女性が長話をすると揶揄されることがあるけれど、こちらでは性別年齢関係なくほとんどの人が自信をもって「おしゃべり大好きー!」と答えると思う。

会話を聞いていると、人が話している途中で別の人が話し始めて、なかなか長い間同時に喋ってから次の人が引き取っていくパターンで繋がっている。
オンラインだと、え?ふたりとも聞こえてないの?ってくらいパラレル発話している。そして話を引き取られる方も引き取る方も聞いてる側も気にしてなさそうだ。

途中ですっと飛び込んで、同時に全速力で喋って、割り込まれた方も相手には遠慮なく自分の話が終わるタイミングでフィニッシュするだけだから、例えるならば400mリレーを見ていると思ったらスタート地点が違う100mだった、というくらいの勢いとズレ。
そんな激流に私が入っていけるはずがない。入るとしたらタイミングや話の繋がりを考えてしまうけれど、タイミングも繋がりも気にしてはいけないのだ。
会話のキャッチボールというのは世界共通のコミュニケーションの理想ではなく、アルゼンチンではそれぞれ同時に剛速球を投げたり遠投したり、転がしたりして、延々と続け、話題の大きな渦を作っていくのがコミュニケーションの醍醐味なんだろうと感じる。


注意して聞こうとしすぎるせいか、2者、時には3者から同時に発せられる音に、たまに耳が耐えられなくなる。聞き取るのを諦めてぼーっとしていると、話の渦の力を感じる。入っていく人の踏切の音や、言いかけて止める人や相槌を打ってる人がいることにも気づく。当たり前だけどパラレルおしゃべりも個々で無関係にやってるわけじゃないんだなあ。


ふと、日本語だとしてもこんなに喋れないよなあと思う。そもそも日本語で会話が1時間も続けられるだろうか。いや、5分だけひとりで喋っていいよって言われて喋れるだろうか。
なんだか人と話ができない気がしてきた。
家族の会話と言っても連絡、質問、返答くらいで、5人いても何かについて1時間も2時間も話をしていることはない。喧嘩だって長くて5分かもしれない。
そんなに話せる語彙も知識もないのかもしれないし、語彙や知識とは別の能力が足りないのかもしれない。すみれはスペイン語あまり話せないのに持ちネタもあるしなんか楽しそうだもんな。
「おしゃべり」したのいつが最後だったかな。
っていうのを、せっかくアルゼンチンの有名なアーティストとインタビュアーのインスタライブが昨晩やってたのに、その間に考えてました。

好きなことを書いて好きな写真をあげているだけですが、サポートしてくれたら張り切っちゃいます。