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こつこつ、ゆっくり、人生フルーツ②

みなさんご存知の「人生フルーツ」を数年ぶりに改めて見る機会がありました。2017年に初めて鑑賞してから、通算で6回目となる今回。何度見ても改めて気づきや共感が溢れましたので筆を執ります。

ご存じない方にはぜひ見てほしいですが、DVD化しないことが決まっているため、アンコール上映をやっている映画館を探して行くしかない、とてもレアな映画です。公式HPはこちら。固定ファンがいるからか、細々とあちらこちらでいまだに上映されています。わたしのように、何度でも見たいと思っている方がたくさんいらっしゃるからでしょうね。わかります。

さて、初見の時に感じたことは過去の記事に載せていますので是非見てほしい。

何度も見返しているうちにいくつか私も年を重ね、見方が変わったり変わらなかったりしました。自分にも興味がわきます。いまのわたしが感じたこと、思うことを文字に残したい。これもわたしがいまできる挑戦の一つです。こつこつ、ゆっくり。


これまでは英子さんの女性として、妻としての生き方に共感や尊敬があったということを主に書いていたのですが、今回は修一さんのほうにクローズUPしたいと思います。

修一さんは東大出身の建築家です。
戦時中は20代でしたが前線に駆り出されるようなことはなく、おそらく要職についていたと思われます。お育ちのことには触れていませんでしたが、悪くないお家柄に育ったのではないかと推察します。
少なくとも作り酒屋の一人娘の英子さんをお嫁に貰えるだけのお家柄ではあっただろうなと。
そして、東大卒業後は、アントニン・レーモンドの下で建築を学ばれたようでした。レーモンドはある意味コアなファンが多い建築家です。私も本業は建築に携わっており、レーモンドの建築にはとても興味があり、現存する物件を見に行ったりもしています。
津端家はレーモンドのかつての自邸を模して作られた、30畳ひと間の変わったお家です。日本の建築様式にとらわれない、文字通り風通しの良い、明るいお家です。(私もあんな家に住みたい!)
修一さんはその後、日本住宅公団に所属し、都市計画に携わっていたようです。作中では35歳?で高蔵寺ニュータウンの基本構想を任されたとありましたので、おそらくとても優秀で若手のエースだったのでしょう。
修一さんの都市計画はあくまでも土地のそもそもの形状を生かし、自然を残した、余白を取り入れた豊かなものでした。これは、レーモンドの影響を色濃く受け継いでいるように思います。
しかし、予算の都合で実際に出来上がったのは修一さんのデザインとは全く異なものとなってしまったようです。
その後も日本だけでなく、海外の都市計画にもアドバイスをされていたようでしたが、出来上がったものはやはり修一さんの理想とはかけ離れたものだったようです。その無念が彼と彼の家族のその後の人生を大きく変えたように感じます。

スプーンは木製、孫にはプラスチックのおもちゃは与えない。など、細々したこだわりが強く、頑固な一面も見え、英子さんが甲斐甲斐しくフォローしている姿が垣間見えます。しかし、仕事では思い通りにならないもどかしさを抱え、いつしか私生活でスローライフに没頭していったのかもしれません。

近年は自分の時間をとても大切にされていて、意に沿わない仕事のオファーはすべて柔らかくかつはっきりとお断りされていました。ところが、晩年、修一さんが最後の仕事に選んだ案件がありました。伊万里の施設です。ただの箱ではなく、その施設のスタッフや利用者や施設内の草木がともに育っていけるような明るく開放的な、やはり遊びのあるプランでした。残念ながら修一さんはその完成を見ることなく世を去ってしまいましたが、ようやく、修一さんが求めてやまなかった理想の施設が完成します。
35歳で高蔵寺ニュータウン計画のプランを任され、しかし同時に挫折を経験してから、伊万里の施設が完成するまで、およそ55年!の月日がかかりました。彼もまた、やれることをこつこつ、ゆっくり、やり続け、時をためてきたのでしょう。一見、気ままに自由にやりたいことばかりをやっているようにも見えた修一さんも、フラストレーションを抱えて静かに戦ってきたんだなって思うと共感しかありません。そして彼の作るプランや街づくりのコンセプトが好きすぎます。同じ?建築家として、修一さんのスピリットを少しでも引き継いでいきたいと思う次第です。


さて、話は変わりますが、修一さんが亡くなり、その後の英子さんの行動がとても興味深かったです。
無宗教という理由で、お葬式はせず、喪服に身を包んだ英子さんとごく近しい親族だけでお別れをして、その後もお骨をずっとご自宅に置かれていて、どこにでもある小さいテーブルにおもむろに遺影とお骨が置かれ、英子さんは毎日しっかりと食事をお供えしていました。つまり、お墓もお仏壇もないのです。
日本では宗教心のない人でも当たり前にお葬式をし、お墓を作り、お仏壇を自宅に置きます。なんだったら津幡さんたちの年代は特にこぞって立派なお仏壇やお墓を買って虚栄心を満たしているように感じます。そんな人たちから見れば、英子さんの行動は理解できないだろうし、非常識で、十分な弔いができていないと考える人もいるように思います。
ですが、英子さんはちゃんとわかっていると思います。
弔う気持ちこそが大事であり、物質的な弔いなど何の意味もないと知っているのです。この年代の人が!
本当に驚きと共感しかありません!
こんな風に私もシンプルに物事をとらえ、シンプルに暮らしていける人になりたいと、改めてまた思ったのでした。


何度見ても学びが多い、本当に良い映画だと思います。
DVDがないのがとても残念です。
もっとたくさんの人に見てほしいと願って止みません。
また機会があれば何度でも見たい映画の一つです。


最後に、作中でたびたび登場する、小鳥たちが集う水盆が、台風の影響で割れてしまいます。恨み言を言い出した娘さんに、英子さんはこう言います。
「悪いことは言わないの。仕方ないじゃない。」
この一言に、英子さんの育ちの良さや、芯の強さを感じます。
不平不満ばかりを口にしてしまう自分が恥ずかしくなりますね。
人生100年時代。
40代の私でもまだ折り返し地点に到達していません。
まだまだ変わるチャンスも時間もあります。
少しでも少しづつでも身を正していきたいものです。




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