「弾かれ物の私」。

ナオキマンのサロンにのっていた、ある投稿を見て思い出した事がある。
投稿は『古服で塗った雑巾を子供に渡したら、子供が「ちゃんとした新しい雑巾を買いたい」と言った』というものでした。
その投稿で、なぜ私が今こんなにも人目を気にして人と違うことを恐れて常に周りを察知し足並みをそろえて来たのかが分かりました。

当時小学生だった私。私の母も先の投稿者さまと同じように裁縫がとっても上手で、防災頭巾のカバーや雑巾などを塗ってくれていました。
しかしみんなが持っている防災頭巾はピカピカの新品のもの。しかも学校で買ってないはずなのに、なぜかみーーーーーんな同じものを持っている。(学校で買っていたのか?あれは)雑巾だってどっかから買って来た真っ白のもの。

今思えばどうせ汚れるというのになんであんなピカピカのを揃えていたのかもわからないし、
古服を塗って雑巾を作ればリサイクルになるし、母が手で縫ってくれたものに間違いなく愛が込められていてとっても素敵、それこそ世界に一つだけの“特別な”ものじゃないかととても思います。

しかし当時の私からすると、私が持っているものはみんなよりもピカピカではなく、みんなより一段と古ぼけてて汚くて、なんだか冴えないものでした。私はそれを、“自分だけがが劣っている”と感じました。
周りと違う。なぜなんだ。血が違うことでバカにされ、私はみんなと何かが違うんだと身をもって感じ始めましたが(両親とも中国人)
私からしたら私自身は日本生まれの日本育ち。日本人でありみんなと変わらない。みんなが私をバカにするから、何かが違うのはわかったけど何が違うのかはわからない。みんなと違うのは嫌だし、馴染みたい、みんなと同じでいたいと強く思い、雑巾一つの違いから『劣等感』
を感じることになったのだと思います。

そこからみんなと同じものを欲しがり、みんなと足並みを揃えようと
みんなはどんなものを持っていて、みんながどうでと、ただひたすらに周りを見て周りを察知し、次は『お前は違うから元いる場所に帰れ!』なんて言われないように
とにかく周りに馴染もうとしたんだと思います。
そこには『自分がどうしたい』なんて意思はなくて
この頃から周りの目を気にして生きていく私の人生が始まったように思います。

今日ちょうど友達と話してて言われたのが
「〇〇は最初、あきちゃんは周りのことを考えないタイプに見えたけど、喋ってみたらそうじゃなかったから仲良くなれたって言ってたよ」と
それって多分、本来の自分は別に媚び売るタイプじゃないんだけど、小学校の頃とか幼少期に『みんなと仲良くしなければいけない』という概念を引っ付けて、それが自分をそう動かしてると、そうなんじゃないかとふと思った。
物理的に(外見を)自分で自分は絶対に見えないし、内面に関しても、自分がどんな人間か考えたところで左脳のお喋りが激しいため、本当の自分は分からない。自身の思考だって3%にしかすぎない。他人から見えている・他人が感じ取っているものは97%と言われ、きっとそちらの方が正しいのではないかと思う。

もちろんみんなと仲良くするのはいいこと、いいことなんだけど、必ずしもすべきことではないよね。強制することではない。

モロッコでマッサージを受けて、自分の中心部分がちゃんと中心に戻った時、目が少し吊り上がり、別にニコニコみんなに笑いかけるでもなく、凛として、私は私でよくね?みんなにわざわざ笑いかける必要ってあるの?と思ったのをほんのり覚えている。もしかして本当の自分はそっちなんじゃないかと。

雑巾の話に戻ると、
今でもあの頃の、『周りと違っていて嫌だ』の感覚を思い出すだけで涙がじわじわと込み上げて来て、掃除の時間に周りをキョロキョロ見渡す幼き私が映像として目に浮かぶ。あぁ、嫌だったんだね。嫌だったんだよね、と、すごくかわいそうな幼い私がずっとオドオドきょろきょろとして、ちっちゃくなってる。本当にその感覚を思い出すだけで涙が出てくる。
あの時下駄箱で名前しか知らない少女に言われた、
「あ!三文字の女だ!」
という言葉も情景もいまだに忘れないし
登下校中に
「お前中国に帰れよ!!」
と言って来た同じクラスの2人組の雄どもを、あの情景を今も忘れられるわけはない。
何かが降り積もってすごく嫌だった時に、先生に
「中国に帰れと言われたんです」
と泣きながら言ったあの放課後の電気のついていない夕方の教室を忘れない。
本当の自分を取り戻さねばと思う。


次は、『ちゃんとしなきゃ』がどこから来たのか。

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