シュミレーション仮説より 『痩せてる』『自分はすごい』と脳内で繰り返し言い続けてその情報を疑わず、飲み込ませて自分の意識(情報)に擦り付ける。すると現実変わるくね!?ってことで、やってみます! 観測者がいると仮想空間が広がっていく。 だから私たちもこの宇宙とは何かを知るために生み出されたもので、私たちは宇宙の観測者である。そしてまんまとだよね、まんまと宇宙開発をし、この世とは宇宙とは何かを追いかけて、広がり続ける宇宙を追う。 宇宙が私たち人間の認識の総合プログラムならば、
「1人だからなんだ」 感はある。ここにきて。 1人だから不幸だの1人だからどうだの1人だからあーだこうだ、いや、もう、なんかもあ、まじ言い訳よな 確かに人間は1人じゃ生きられないし寂しさ感じるのも正当だ。[だが]確かにこの世には1人でも寂しさを感じない人種と言うのはいるものだ。 つい最近2週間前くらいにもその様な人種に会ったばっかりだ。私には到底理解のできない真逆の人間だとも思った。その時はね もともと持って生まれた性質なんてものは確かにある。数秘だの星座だの生まれた日だ
ナオキマンのサロンにのっていた、ある投稿を見て思い出した事がある。 投稿は『古服で塗った雑巾を子供に渡したら、子供が「ちゃんとした新しい雑巾を買いたい」と言った』というものでした。 その投稿で、なぜ私が今こんなにも人目を気にして人と違うことを恐れて常に周りを察知し足並みをそろえて来たのかが分かりました。 当時小学生だった私。私の母も先の投稿者さまと同じように裁縫がとっても上手で、防災頭巾のカバーや雑巾などを塗ってくれていました。 しかしみんなが持っている防災頭巾はピカピカの
そう思っていたから、『痩せられないと思っている自分』を常に矯正しよう書き換えようと努力していた。 しかし気づいた。 矯正する箇所が間違えていたのだ もちろん、その概念を取り壊すのも一つだが、そもそもの話に行こう。 『細くないとモデルができない』 に縛られすぎて、そして痩せられない事はないという事はつまり今の自分が足りなさすぎて痩せなきゃいけないよねという自己否定に繋がっていたのだ。 そうじゃない。まだ美しくなれる。まだまだ美しくなれる。それはそう、それはそうとして 痩せて
『学校に行くのが偉い』 いつからそうなったんだろう。 「学校に行くのが偉いから」無理にでも頑張って通って、自分の純度、下げてません? 私は無理してるのを偉いとは思わない。偉いと思わないと言うより、「良いと思わない」の方が正しいか。偉い。偉い。確かに偉い。偉いしすごいよ、だって嫌なのに行ってんだもん、そりゃすっごいことだよ。 だけどそうやって“嫌なのに”無理して行くから先に繋がらないしこんがらがる。意味わかんなくなる。 だから学校に行ってるのも良いことだし偉いけど、私は行き
ムズムズする。歯痒い。なんだか何をしても不満で、何をしても満ち足りない。この“満ち足りない”というのは幸福かどうかという話とは別で、なんだか、何が原因かも分からないしなんでかもわからないけどとにかくなんだか不満。満足しない。という感じである。...伝わったであろうか? きっとここ最近特に、自分の中でのインプットが増えたのにも関わらず、全っっっ然アウトプット出来ていない。そのせいのように感じた。日記アカウントを設営するも、10日ほどでショート。だがしかしその後も日記は止める事