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異次元の輪郭

ご招待をいただきリンク先にある暗闇を体験するプログラムに参加させていただいた。これは完全な暗闇の空間に複数人の参加者とアテンドしてくれる2名スタッフと共に入り、その中を移動したりいくつかのゲームを行ったりする体験型のプログラムだ。僅かな光を探そうともそこには一筋の光も存在しない完全なる暗闇。そのため視覚は全く機能しない。空間内での移動やゲームを行うためには、参加者の声や身体と白杖、今回新たに開発されたこの「echo」の触感に全てを頼ることになる。

「ダイアローグ・イン・ザ・ダーク」初体験の身としては、この90分は極めて形容し難い初めての体験だった。「視覚のない人の世界を体験できた」とか「暗闇だからこそ他の参加者と仲良くなれた」とかそんな言葉では全く足りない。強いて言うのであれば、この90分は異なる次元の世界で過ごすようなものであった。完全な暗闇で視覚が機能しなくなると、そこは3次元空間ではなくまるで2次元(もしくはそれ以下)の空間にいるような感覚に陥る。もちろん、2次元空間で生きることについて正確な描写はできないが、ここでは2次元空間という言葉を使いたい。奥行きという感覚が消え、立体的な空間把握ができなくなったときそこは次元の違う世界にいるように思えた。もちろん屈伸したりジャンプをすれば高低がわかるし、手を伸ばしたまま回転すれば自分は360℃の空間にいることを実感できる。しかし、視覚が伴わない状態が続くと、あらゆる距離感や状況把握が困難になる。まるで宇宙の中でたった一人になってしまったような孤独感を抱きながらも、重力によって地球とつながっていることに安堵を覚える。

その孤独な世界において最も頼りになるのは人の声だった。参加者の声、特にアテンドしてくれた2人の声は最も頼りになる標であった。アテンドの2人は先天性/後天性の視覚障害を持っている方だった。しかし、それはあくまで3次元世界において使われるるものであり、全てが暗闇となったその世界においては彼らこそがスペシャリストであり、強者なのだ。彼らの声に導かれ、同時に参加者が発する声にも反応しながら徐々にその空間に適応していくことができた。興味深かったのは自分の身体と空間の関係だ。いくらそこで時間を過ごしてもその空間の全体像は決して掴むことはできなかったのである。声以外にも白杖と「echo」を使用したり、直接手で触ることで空間の凹凸や人の体、周囲にある物体/素材を確認することができたが、それでもやはりその世界の断片しか分からない。想像力を頼りに断片と断片を繋ぎ合わせ全体像の把握を試みたものの、その度につまずいたりぶつかったりを繰り返し途中でそれをやることを諦めた。全体を把握し見通しを立てるのではなく、細かな断片的な情報を頼りに身体を動かし空間を認知していくというのは初めての体験でありとても新鮮なものであった。

一通りの体験を終えた後、暗闇内で一連のプログラムの内容を振り返る時間があった。その時に顔が見えない他者や身体の動きを無条件に信用していたということに気がついた。自分で判断できない状況で「そこには段差がある」や「次を右に」と言った声を頼り、それを信用しなければ前に進むことができなかった。また、前に向けた「echo」デバイスの振動によって人が動いたということを認識し、自分も続いて動くなど自分の行動をデバイスに委ねることもあった。完全な暗闇の中において人間またはデバイスといった外部を信頼することなしに行動することは非常に困難であるということを体験を通じて感じられたことは非常に大きなことであった。そして相互の信用にが自身の行動と安全を担保することにつながることを認識すると、視覚がなくない状態でも徐々に身体を動かすリズムが掴めてきたのは不思議なものだ。プログラムが終わり、灯りのついた部屋に入り目を開けた瞬間に飛び込んでくる空間のイメージと共に異次元への小旅行は瞬時に幕を下ろしたが、あの空間内で感じた何かは今もまだ自分自身の中に残っている。この世界の続きがそこにあるのではなく、そこには違うルールと尺度があるということを体感できたことは本当に大きなことであった。

今回の体験を経て思うのは、視覚障害の方は2次元の世界と3次元の世界のハイブリッドで過ごさなければならないという、超ハードワークをしているということだ。体験プログラムのために用意された閉ざされた空間の中ですら移動や場所の把握に困難を極めた自分が、視覚を使わず断片的な情報だけで渋谷駅を移動できるのか。朝のラッシュの人の移動をかき分け、職場に迎えるのか。など、この東京という空間で生きられるのかと考えると絶望的な気分になった。考えれば考えるほど、高速道路を蛇行しながら事故に遭わず目的地を目指すような行為にすら思えてくる。そんな超ハードワークをしながら生きているように思えてくると、白杖を持って歩き生活する人が超人のように思えてくる。もちろん個々人によって視覚の強弱はさまざまだと思うが、その戦闘力は桁外れだと思う。ましてや今行われているパラリンピックを見てみると、幅跳びで5m近くの跳躍をしたり、柔道で背負い投げをしたり、音を頼りにドリブルをしてスーパーゴールを決めたりしてるわけで、もうマジでスーパーサイヤ人。もしくは全員「麦わらの一味」なんじゃないかとすら思えてくる。海賊王たちにリスペクトしか湧いてこない。

個人的に全く違う次元を体験できたことと同時に、この世界で生きることの難しさを引き受け生きている人に対する尊敬の念が高まった時間であった。このプログラムはそのうち一般公開もするそうなので、興味のある方はぜひ体験して欲しい。次元の違う世界、やべえっす。

最後に2次元とか3次元とか書いたのは全て読了したばかりの大ヒットSF小説『三体』の影響。本当は「暗黒森林理論」や「ウォールフェイサー」、「ラダープロジェクト」を絡めて体験を説明したかったけど、語彙力の無さによって断念。ただ、この小説を直前に全巻読了した影響か次元の違いということで体験を説明しようとするのはとても適切に思えた。echoプログラム同様、ぜひ『三体』も面白いので読んでみてください◎


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