目的の手段化

よく聞く手段の目的化

皆さんは、「手段の目的化」という言葉をご存知でしょうか。おそらく働かれている方のほとんどは職場などでよく聞く言葉だと思います。

私も新入社員時代から、先輩社員の方に注意されることもありましたし、会議などではよく耳にしてきました。

よく聞く事例に、「ドリルと穴」の話があります。ドリルを買いに来るお客さんはドリルが欲しくてドリルを買いにくるのではなく、本来ほしいのは「穴」であること。いわゆる何がゴールなのかを見誤ってしまい起こる現象です。このようにマイナス面での説教じみた話のたとえとして登場するのが、本日の議題です。

私は、このようなよくある話を本日書きたいのではなく、この現象を違った角度から切り取れないかと思い、noteにつづります。

事実だけを見ると、以下の点が考えられます。

1. 人は意識していようが、していまいが、結果として多くの場合は手段を実行することでその先の目的を達成していること

2. 目的は多くの場合抽象的であることが多く、それを追うことは人の行動特性上難しく、その具体策を実行することは容易であること。また、習慣化しやすいこと。

以上のことから、手段の目的化はそこまで悪いことばかりではないことがわかります。また、おそらく高度経済成長期を支えてきた先人たちはこの原理を利用し、再現性が重要視される日本のものづくり産業を拡大していったのだとも思います。

私はこの原理をうまく活用することを試みました。それは継続が難しいことを習慣化させるものです。

きっかけ

私は、学生時代ほとんど本を読みませんでした。小説は何か苦手だし、ビジネス書もビジネスをしていない私にとって遠く離れた世界のように感じられたためです。しかし、時々周りから勧められ読むこともありました。面白い本であれば読み始めれば楽なのですが、どうにも第一歩が出ないという状況は多くの方に共感いただけると思います。

あるきっかけがありました。職場で自由に自分の考えを発表できる機会を与えられた時です。そこで私はビジネス書で読んだ内容をそのまま発表しました。内容はそこまで高度なものではなく、営業として使える行動経済学の基礎となるようなものでした。思いの外反応がよく、ぜひ次もやってくれと言われた時、私は何か心の中での高揚を覚えたことは今でも覚えています。そこから私はいろいろな本を読み、自分なりの解釈、業務への展開方法を発表していきました。職場も変わりその発表する機会は無くなりましたが、私はそれ以来本を読むことが習慣化されました。

この時を振り返って言えること。それは、本を読むことを目的に置くと苦痛でしかありませんでしたが、その先の読んだことをアウトプットすることを目的とし、本を読むことは手段と捉えると驚くほど習慣化されました。

それ以降、私は読書とニュースを毎朝見ることを手段とし、それぞれSNS型アプリを利用し発信することを目的とすることで現在まで継続できています。(このnoteもその一種と捉えています)

継続力は大きな力を生み、習慣化は継続する努力をほぼ無力化してくれます。
1.1と0.9では掛け続ければ大きな差となっていくように、少しでも日々の過ごし方を変えることができれば、結果として現れてくると実感しています。
是非皆さんもやりたいことのその先の目標を設定してみてください。


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