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当事者になって

本内容は昨年8月に書かれたものである。正直、当時は書いたもののどうしようか迷ったが、年も変わり、当時の苦労を思い出す意味ではいいだろう。後日談も追記しているのでご覧いただきたい。

2020年8月5日
先週ようやく梅雨があけた。今年は例年に比べて一週間程度遅かったようだ。
8月まで梅雨が続くなんて改めて考えると信じがたいが、今更驚くこともない。異常気象なんて毎年のように起こるので、もはや異常ではない。今の世の中何が起こってもおかしくないのだ。

先の読めない時代

VUCAという言葉がここ数年当たり前のように使われているが、今ほど先の読めない時代はないだろう。
明日起こることはわからない。今に始まったことではないが、ある程度予測できる範囲内ではなかったかとも思う。
私の人生もまさにそうだ。生まれた環境、育った学校、最終学歴、これらで大体の人生が決まってくる。サラリーマンとして入社後も、先輩たちの背中を見ながらある程度のベンチマークを作る。こうなりたいなとか、ここは自分の方ができるなとか、同じような学歴の先輩らと比べながら、微妙なところでオリジナリティを出すことで良い時代であった。ただ、今は間違いなく先輩の背中を追っているだけでは時代を生き抜いてはいけない。見えているものをしっかりと見る能力ではなく、何を見るかを考える能力がないと我々は企業ごと時代遅れになっていく

この1年間

この1年間、私は社外研修という非常に貴重な機会を会社からもらうことができた。これは自身で望んだものであり、改めて社外からの目線というものを持つことで会社に染まりきった自分を俯瞰的な目で見れるのではないかと感じたからだ。
ただ、一つ問題なのは、この社外研修によって私が求めていることと、会社が求めていることが微妙にずれていたことだ。この研修は私で20人目ということもあり、ある程度歴史が存在していた。過去の先輩方がある程度の道を作ったものがあり、それは余計な説明不要というメリットもありながら、両社から見られる偏見、固定概念が根付いているということだ。ただ、私の研修元の企業はビジネスモデルの転換を図っており、従来の関係性からは脱却していく必要がある。私はそのリセットボタンを押す役割をする必要があると考えていた。ただ、歴史は重ねれば重ねるほど風土、慣習がより深く根付く。これをなかなか変えることは至難の技だ。
一つ断っておくと、先輩たちが悪いということではない。。冒頭の説明を見ればわかっていただけると思うが、今先輩方と同じような取り組みをしても、時代は許してくれないのだ。新たな転換期を迎えていることに気づくところから始めなくてはいけない。

考えるということ

やっぱり思うのは、何が必要かを考えることができない人は淘汰されていくということ。私の感覚では、今までは入口は誰かに丁寧に導いてもらって、そこを深掘りする能力が求められていた。しかし、今は入口から探す必要があり、誰も入口を教えてくれない。というかわかっている人は少ない。
私は考える時間を大切にしている。これはなんとなくやっているわけではなく、数々の本を読み、本当に必要だと思うため意識的にやっている。考える重要性をわかっている私でさえ、忙しいという言い訳を盾に考える時間を取れないことがある。考えるというのはインプットとアウトプットの間にある。インプット→思考→アウトプットの順番だ。このバランスがなかなか難しい。私の中でもインプット偏重だと情報が整理されないし、アウトプット偏重だとインプット以上のものが生まれない。インプットをしっかり噛み砕く作業がどうしても必要で、価値上昇につながる。

インプット;素材を収集【食材購入】
思考;価値上昇【調理】
アウトプット;情報整理、作品化【商品提供】

時間ができた

そして今ようやく時間ができた。今私は世間と距離をとっている。残念ながらこれは能動的に実施していることではない。先日仕事でお会いしたクライアントが打ち合わせ後体調を崩した。例の感染症の可能性もあるため、検査結果が出るまで、そして出た結果次第ではその後も含め、私は濃厚接触者として自宅隔離状態だ。私自身は元気であるため、このように勉強、思考、執筆の時間を確保できている。ただ、まさか自分が当事者になるとはというのが正直なところだろう。(後日談であるが、感染疑いのあったクライアントから検査結果陰性との連絡がありはれて私は自由を取り戻した)

当事者になって気づいたこと

1点目は、予想を超える周りへの気遣いだ。正直、打合せをした時も当人とはそれなりに距離を取っていたし、お互いマスクもしていたため、私としては感染リスクとしてはそこまで高くないと思っている。ただ、リスクはゼロではないし、私には妻と幼い子供がいる。子供にもしものことがあったら私は思考がねー、とか言っている場合ではなくなる。今出来る限りしている対策(部屋への隔離、トイレなどの使用後除菌)がどれほどの効果を生むのかわからないが、何もしない後悔は残したくない人間の特性上、対策をしない選択肢はない。わからない敵に対してわからない対策をすることは本当に神経をすり減らす。

2点目は、部屋が広すぎるということだ。今後もっと、部屋は小さく、数を増やしていくべきだろう。核家族の人数から3LDKといった住宅モデルが流行ってきたと思うが、今後はテレワークや私のような隔離部屋を考えると個室数は増やしていく必要がある。住宅もコミュニケーション重視の共用モデルから、プラベート重視の動線を見直す必要がある。(後日談であるが、11月から家を設計し始める。もちろん3畳の必要以上にオシャレな隔離部屋を設けたことは言うまでもない。)

3点目は、ある意味楽な身分だということ。上述したとおり、アルコール除菌などをしているのは妻であり、私以上に大変な思いをしている。その分私自身は呑気なものだ。感染しているかもという精神的な不安はあるが、健康そのもの。更に妻から何かお願いされることもないため、今にように執筆に集中できる。トイレも頻繁にいくわけにはいかないと思うと自然に出なくなる。人間あれもこれもできる環境よりも、何か制限があった方が良い結果を生むこともあるのだろう。エッセンシャル思考などに通づるが、やらないことを決めることは重要である。

以上のような気づきを得られたのは良かったが、正直心配で心配でしょうがない。何事もなく無事に終わって欲しい。

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