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感性を寄せてはいけません

昨日は月に一回の川柳教室でした。

新聞の投稿欄に出せるように同じお題の『題詠』と、
自由に書いてきていい『雑詠』、それぞれに二句、
前もって先生にラインしておき、
それを事務の方が教室の日までにプリントに落とし込んでくれる、
というやりかたになった初めての日でした。

(最初はその場で題詠を二句書き、
そのまま先生がシャッフルして読み上げて、評価を話してくれる、というやりかた。
二回目は、題詠二句は宿題で、雑詠も書いてきていいよ、という。
それを最初に集め、事務のひとが打ち込んでくれている間に虫食い川柳をしてみたり、ネットでお題を探して発表していったりして、後半に題詠の句をみんなで入選、特選を決めていくというやりかたでした。)

昨日はひとりお休みで、8人の生徒さんと先生が机を囲っていました。
まず配られた紙の一枚目には題詠が並び、二枚目には雑詠が。
先生から、
「雑詠は自由に詠んでもらっていて、何を基準に選んでいいのかが分かりにくいので、私が入選、特選を選びます。
題詠はみんなで選評をしましょう」
と話があり、
まずは雑詠がひとつひとつ詠まれ、
ここをもう少しこうしたら、
ここはいい発想ができている、
というお話があり、
制作者が名乗ります。
そうしてお休みの方のも入れて(前もって送っているので入ってます)18句が発表されました。

その後は題詠をざっくりと(雑詠をじっくりしてくださったので時間が、、、)それぞれで読み、
そこから六つ(選ぶときは発表されたものの三分の一を入選にするのだそう。そのうちの一つは特選にします)選びます。

これが難しくて、、、
時間があまりない中で選ぶ、
それも六つというのが。
三つとかならこんなに悩まないのに、、、とか。
好きなのはこれとこれなんだけど、
数を満たすにはこれとこれもいれないと、
だけどじゃあこれとの違いは?
となりました。

私の川柳は、
みんなでの選定にはほとんど手が挙がりません。
さっと読むのに向いていない、
重たくて、“好き”だと思えない。
というようなことをもっと柔らかく言われました。

逆に、
雑詠ではひとつは入選、もう一つは特選になりました。

先生から、
「あなたは切り口が他の人と全く違う。
それを他のひとにも分かるようにと近づけたりはしなくていい。
もっともっと鋭く進んで行きましょう!」
と言ってもらいました。

好きだと思う人がすくないかもしれない。
でも、それはいい句ではないということではない。
だからもっといろんな場所に気にせずに送り続けて行けば、
私の句がぐさっといく人に出会えるはずだと。
その言葉が、とてもうれしかったです。

正直、本当にみなさんの句と並べると、
全く自分の句が方向が違っていて浮きまくってしまうことに、
落ち込みはしないけれど、共感性を持てていないことは明らかだなと感じていました。
でもそれでいい、と言ってもらえて、
そうか、じゃあもう私は私を落とし込んだ句を作っていこう、
と更に強く思えました。

コロナで殆どなくなっていた句会が、
また最近再会されているそうで、
そういう場所にも出て行ってみたいなと思っています。

さあ、そのためにも句も作らなくては。


(文芸会でいっしょの方々もふたり川柳を習いに来られているのですが、
「文芸会の書いた?」「今度のってお題『9月』でしたっけ」
という話をされていて、
「あ、、、書いたけれど、全く『9月』関係ないです」
というと「私も~」と賛同してもらえてほっとしました笑
文芸会のお題も、もう少し守って書くようにしようと思いました笑)

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