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もう一生この映画しか見られなくてもいいと思う

去年の9月ごろ、
Amazonプライムで『ロードオブザリング』の続編?というのか前日譚としての『力の指輪』が配信がはじまり、
それに合わせて『ロードオブザリング』三部作の配信もはじまりました。

それをきっかけに、
久しぶりに『ロードオブザリング』を見直すことに。

もともと劇場で三部とも観てて、
何度も見たくなるタイミングがやってきては、
そのたびに1➡2➡3と見て、
また1に戻るをくり返してきました。

それでも、今までは数日の間のことでした。
それが今回はなんと10月くらいから今に至るまで、
『旅の仲間』は10回以上。
『二つの塔』も10回以上。
『王の帰還』は3回見てしまっているのです。

これ以外の映画観てないじゃない、というくらいずっと見ている状態です。
(ついにはエクステッドエディション版のDVDを三作品分買ってしまいました・・・)

なんでこんなに見ていたいんだろう。


中学の頃に『王の帰還』を観た時、
私はそのほとんどの時間を泣いていました。
三時間半ほどある映画の間、三時間は泣いていたと思います。
最終的には、エンドロール中に過呼吸のような状態に陥って、周りの方に
「大丈夫ですか?」と声をいただくような状態になっていました。

あの時の私は、物凄くフロドに感情移入していまして、
あんなにも心も体もぼろぼろになって、
そうまでして守った場所に、ひとのそばに、
彼がいられないラストを受け入れたくない気持ちが強くあったのでした。


『ロードオブザリング』には、
もっと目立つ存在がたくさんいます。
人間たちをまとめ上げ、勝ち目の見えない戦いに奮い立つアラゴルンや、
指輪に蝕まれてしまったフロドのことを献身的に支えるサム、
人間離れした戦闘力と、意外にも好戦的でおちゃめな面もあるレゴラス。
フロドやサムと同じホビットであるメリーとピピンも
物凄く活躍しますし、なんだか見ていてほっとする存在です。

それでも、私にとってこの物語で一番心を揺らしたのはフロドでした。

力のないものが、
力を手放しにいく物語。

それも誰よりも力のないものが、それを負っていくのだということが、
ものすごく興味を引きました。

壮大な映像と音楽。
うつくしい衣装。
驚くほどの本物感。
DVDの特典で知ったのですが、
監督はトールキンの「指輪物語」の世界を造り出そうとしたのではなく、
“中つ国はかつて本当にここにあった。
その世界を掘り起こそう”
という考えで全て動いていったのだそうです。
もうそれは模型ではなくてセットなのでは、、、という大きな造形物が大きなスタジオの中に所狭しと置かれ、
何千着という衣装が管理され、
山のようなイラストが描かれ、
映画関係の人間ではないクリエイターがあっちからもこっちからも引っ張り込まれ、鎧が作られ、武器が作られ、建築も、闇の勢力も、
恐ろしいほどの情熱でこの世界に掘り起こされていくのを見て、
正直よくこんなことをしようと思ったものだと、
感動とか驚嘆よりも、恐怖を感じました。
監督の頭の中はどうなっているのか。
彼の『乙女の祈り』という映画も大好きですが、
その時もこの人大丈夫か、、、と思ったことを思い出しました。

私はこの映画を観てから初めて海外の俳優さんの名前と顔を覚えました。
正直、この時にフロド役のイライジャ・ウッドが好きになりすぎて、
もう彼が好きだからフロドが好きなのか、
フロドが好きだったから彼を好きになったのか、
分からないくらい密接にこの好きという感情はぴったりと重なっているように思います。
現在42歳になったらしいイライジャ君を(私が彼をそう呼ぶと、「もう君じゃなくて“さん”なんじゃない?とじろうさん(夫)に言われましたが、
中学の頃から呼んでいるのでもう変えれません。。。いいじゃないか、本人に言うわけでもないし、と思っています。変でしょうか?)
未だに私は大好きなのですが、
彼が出ている映画はジャンル関係なく見ますし、
現在の姿を見ても、『ロードオブザリング』の一作目のまだ十代だった彼を見ても、第一声は「なんてうつくしい人なんだ!!」です。
あまりに私が彼を「きれいな人だ」「うつくしい人だ」と褒めるので、
次男はちょっと自分の立ち位置を失うのでは、、、と心配していたくらいです笑
大丈夫、母は、イライジャ君のほうがきれいだと思うけれど、
それと君の母を全うすることは別物だよ。
_なんて正直に言ったりはしませんでしたが、
あまりに私が彼を見ているので、
私が「ロードオブザリング」を見ていると、
兄弟ともに「イライジャ君だね。母、幸せ?」と聞いてくるようになりました。
そして『ロードオブザリング』という映画の画面も分かるようになってきて、横を通り過ぎる時に
「これは、ロードオブザリングだね」
なんていうくらいです。
(『ロードオブザリング』がたいていですが、
時々『ホビット』や『力の指輪』を見ていたりもするので、
それを見分けられるようになりました。
恐るべし子供です。じろうさんは見分けがつきません笑)

私は一作目の映画を観た時から、
物凄く怖いとも感じていました。
それは、
「これ、もしかしてフロド君しんでしまうのでは、、、」
死にはしなくても、
悲しいラストになってしまうのでは、、、
という恐怖でした。
その頃の私は、希死念慮で頭がいっぱいになりがちだったのですが、
この映画のおかげで、三年は死なないようにしよう、と頑張れました。
だけど、こんなに好きになった主人公が「死にました」だったら
どんなに落ち込んでしまうか分からない。
これは、ラストを知らなくては、、、
とどうしても我慢できず、
祖母に頼み込み、お金をもらって原作の本を買いました。

、、、買ったのですが、
読めませんでした。
長くて飽きたとか、難しいとか、文章が合わなかった、とかではなく、
“もしも、フロド君が死んでたらどうしよう”
と思ったら、これまた怖くなって開けなかったのでした。
もう、買った意味ないじゃないか!
と自分でも思いました。

そんな私だったので、
『二つの塔』でも号泣、
(、、、死んでなかったよ、、、)
『王の帰還』では
フロド君の結末への悲しみと、
もうこの世界から追い出されてしまうという悲しさが押し寄せて、
過呼吸になりました。
近くの席の人は、それはもう困ったことだと思います。
めっちゃ泣いてる人、それもしゃくりあげて、胸を押さえて、
なんか最後にはゼイゼイ言ってるよ!っている人が横にいるなんて、
集中しろというのが無理な話だと思います。

なんで彼は海を渡らなくてはいけなかったのか。
モルグルの剣で刺し貫かれた傷が痛むこと、
指輪に支配されてしまった心は、もとの平穏を受け付けなかったということもあったんでしょう。
あとからいろいろ調べて、
この物語の背後にある作者の戦争体験も知りました。
帰還兵は日常に帰ることが難しい。
そういう暗喩のようなものもあったのだろう、というレビューも読みました。
そうだろうな、そうも見えるな。
ただ、私は勝手に、
フロドもビルボも世界の調和のために旅立ったのではないかな、
なんて考えたりもしていました。
指輪に侵された心には、指輪を憎みながら欲する気持ちのこびりつきがあったでしょう。
きっと火口でゴラムともつれあい(これが映画オリジナルの展開だとは最近知りました)落ちかけた時のことを、きっと何度も思い返しては、
いっしょに指輪と落ちてしまえたらよかったと思うこともあったでしょう。
最後に指輪を手にしていたゴラムを、羨ましくも、
ある種願いを叶えて救われた彼にやさしい気持ちにも、哀れな気持ちにもなったでしょう。
サムが手を伸ばし、呼びかけなければ、きっとフロドは落ちることを選んだんじゃないかと私は思っています。
サムが言った「お願いだから、手を伸ばして」の台詞に、
今でも私は感動します。
私だったら、きっと言えない。
指輪が彼の心のどれほどを占めてしまったのか、ここまで目の当たりにして、その指輪が失われようというその時に、「自分を、生きることを選んで」なんて言えないと思うのです。
薄情なのかもしれません。
同じ理由で、
フロドが一度は指輪を見つめたあと、宙に揺れる手をサムに届けるために伸ばしたことにも感動しました。
、、、やっぱり、私ならすぐ落ちてると思います。
やっぱり薄情なんでしょうね。

そんな風にして、指輪よりも平和のなかに帰ることを選択したのに、
それも仲間のために選択したのに、
彼は苛まれ続けるのです。
自身のなかにあり続ける妄執のような指輪の存在。
それは、どれくらい冷たく、苦しく、孤独なことなのでしょう。
そしてそんなものが存在していてはいけない世界へ移り変わりはじめた中で、彼は追い詰められていったのではないかな、なんて思ったのです。
指輪に繋がったことがあるものがいることが、
再びその指輪をもたらす存在になりえるのではないか。
そんなことを考えました。
だから、根こそぎ指輪を手にしたものが中つ国を去っていく必要があったのではないか。
だとしたら、
彼が海を渡ったのは自身の傷を癒すためであり、
また愛するひとたちが平和の中に長くいられるようにだったのではないかなと。
もうそう思いだしたら、悲しくて、悲しくて、、、

映画を観るたびに、繰り返しだとは思えないほど泣くので、
一作目と『二つの塔』はともに50回は見ているのですが、
『王の帰還』だけはまだ10回ほどしか見ていないということになっています。

『王の帰還』を見るたびに、
もう倒れていいよ、
起き上がらなくていいよ、
なんて勝手に思っています。
(ネットなどで、「フロドもっと頑張れよ」とか見ると、
あれ以上何を!!とびっくりします。無理無理、あれ以上は頑張りようがないくらい、限界超えてフロドは頑張ってたんだよ、と。)

ラストの彼の表情は、
「これで恐怖の種になりそうなものは全て去るから、
あとは存分に幸せに生きておいで」
「僕はまったく大丈夫だから、
心配はせずに、気持ちを落とさずにいてほしい」
そんなふうに見えます。

それを受け取っての三人の表情も、
家に辿りついたサムのどうしようもないくらいほっとしているのに、
寂しくて仕方がない気持ちも、
胸を掻きむしってくるのでした。

サムが、妻のロージーを亡くした後、
フロドから受け継いだ赤表紙本を長女に譲り、
フロドを追って海に出るというのを知ったときには
ただただその旅路が短く、そして彼に会えましたようにと祈らずにはいられませんでした。
本の中に、果たしてフロドとサムは再会を果たしたのかが書かれていないと知った時にも、めちゃくちゃ泣きました。
会えないとか、酷すぎるのでは??と笑

去年の終り頃、
原作の『指輪物語』が新訳(単語などが少し整備されたりしたそうです)が出ているのを発見して、
思わず買ってしまいました。
(祖母に買ってもらったほうは、色々あってもう手元にはないのです)
そして今年に入ってついに読み始めたのですが、
面白過ぎてびっくりしました。
最初の数十ページを読み切れるかに、このシリーズを完走できるかがかかっている、なんてことも読んでいたので、
大丈夫かな、、、と思っていたのですが、
全く問題なかったです。
あの文章が不思議なのです。
児童文学のようで、それよりも繊細で大胆で的確。
穏やかなようで、突き放すときがあって、でも親しい。
読めば読むほど面白く感じる、はじめての味わいの文章だな、と思います。
暗がりの場面を読めば、暗がりに手を繋いでつれていかれ、
様々な花火、ご馳走、楽し気な音楽の場面を読めば、
その空気ごと内側に広げてくれるのです。
ほんとにすごい。
そしてホビットへの愛情が感じられるなとも。
ホビット学とかあったら面白そうですよね。
読み切ったら、また映画の見え方が変わるかな、と楽しみです。

さて、2023年に入りましたが、
まだ私は『ロードオブザリング』をぐるぐるしています。
その合間に特典ディスクを挟んだり、
『力の指輪』を挟んだりしながら。
映画館に映画を観に行ったり、
たまには他の映画を見ることも増えましたが、
それでも戻ってくるところのようなものになっています。
いったいいつこれが終わるのか分かりませんが、
正直、この映画だけをずっと見ていることもできるなぁと思います。
それくらい、いろんなよそ見ができるし、
想像する余地があるし、
何よりこの世界を“発掘”してくれた監督はじめすべての関わったひとたちの思いの結晶が凄すぎて、
飽きる気がしないのです。


私の、ただただ突然に好きの度合いがおかしくなってしまった映画(と、一部イライジャ君の)ことでした笑
お付き合い、ありがとうございました。


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