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「変化する目をもつ少年の話 ながい終わりまで」

この続きです。


父さんは、おれの手をとった。
よく冷えていた缶の冷たさが、父さんの体温の上に乗っかって伝わる。
「たすく」
父さんの声に、取られた手からその目に顔を向ける。
「何」
「どうしたい?」
「どうって?」
父さんは握った手に力を籠めながら、その喉を震わせた。
大丈夫だよ、と言ってあげたくなった。
父さんの顔を最近よく見るようになって、気づいたのだ。
父さんの顔は、とても疲れていた。
当たり前だろう。
朝はおれが起きるより早くに出かけていき、夜はおれが寝ついた後に帰ってくる。
その生活が父さんに負担になっていないはずがなかった。
夢の中で見る、皺の端った顔よりも、今目の前にしている父さんの顔はよほどよれよれだった。
疲れている。
そう言ってしまうことも憚られるような、降り積もり、埋め込まれ、
その体に注がれ続けているものがある猛毒が、
今も内側を巡っているような。
「父さん。大丈夫だよ」
だからそう言う意外にどうすることが出来ただろう。
けれど、そんな行き当たりばったりの方法など通じないぞと、
父さんはつよい目をしておれを見ていた。
静かに。
ただ言葉を飲み込んでいるのではない、沈黙の中に誘発剤は香っている。
吸い込んだおれは、目を瞬かせ、その目を区切って飲み込んだ。
「僕」
「そうだな。たすくはそう言っていた」
「僕?」
「そう」
「おれじゃなくて?」
「そうだよ」
記憶が抜けているのだと思っていた。
この瞬間まで。
だけど、父さんの言い様はまるでおれが変質してしまったような言い様ではないか。
「おれは、何を起こしたの」
「おまえは、何も悪くない」
「何をしたの。僕は、おかあさんに」
そして、父さんに。


「いづる」
学校には昼を過ぎてから向かった。
大股で歩いていくおれに、
まわりは迷惑そうにみる。
それを全て背中に受け流し、
おれはいつもの教室のドアを乱暴に開けた。
そこには昼休みを楽しむクラスメイトたちがいて、
こんな時間になってやってきたおれに不思議そうな目を向けた。
しんと静まった教室に、
おれは委縮することなく、ただ一人に目を向けた。
彼のほうもまた、驚いた顔でおれを見ていた。
「どうした」
言いながら立ち上がり、ドアのところから動かないおれのもとへとやってきた。
おれの目を見て、彼の目が驚きに見張る。
「たすく。目が」
そう言ったいずるの手を取った。
ここでどう言葉にしたらいいのか分からず、
何も言わないままいつもの場所へと足を急かした。
いづるはそんなおれの様子に、
黙って付いてきてくれた。
そのことに感謝しながら、階段を駆け上がっていった。
もうすぐチャイムが鳴る。
「悪いけど、今日はサボってくれる?」
階段の一番上についたおれは、手を離し、そう聞いた。
いづるの方は先にいつもの場所へと腰をおろしており、
上がった息を整えていた。
睨むように見上げたその目が、
隣に座れと言っている。
それに従ってすとんと腰を下ろす。
「ごめん」
するりと漏れた謝罪に、いづるは嫌そうな顔をした。
「いや、謝る前に説明」
それを聞いてから、謝罪を受けるかどうかは決めるから、と。
「そうだね」
足を抱え、口を開こうとしたおれの上に、大きな予冷が鳴り響いた。
「間が悪い」
「そういうやつなんだよ」
いづるが笑っていた。
息は整ったようだ。
「そうだね」
笑ってしてもいい話なのか分からないけれど、
それでもおれは笑って話をはじめた。


父さんは言った。
おれの目ができることは、気候の変化だけではない、と。
それどころか、それ自体の理解が間違っているのだと。

もともと父さんは、おかあさんの能力を研究していたのだ。
父さんは研究対象者だったおかあさんと結ばれたのだと。
研究所はけして非人道的な場所ではないし、
もしおれがおかあさんの能力を受けついでいてくれたら、
より長くこの研究をできるというものだと、
どちらかと言えば祝福されての結婚だった。
それがどうしてこうなったのか。
研究者たちの理想が叶い、
おれはおかあさんの能力を受け継いでいた。
受け継いでいたどころか、
おかあさんよりも顕著に能力は高まって現れていた。

「おかあさんの能力は、平行世界のものを引き寄せるってものなんだって」
「平行世界」
「知ってる?」
「本で読んだくらいのことなら」
「じゃあ、それであってるよ」
「相変わらず適当だな」
「どんなに言われてもよく分からなかったんだから、しょうがないよ」
「まあいいや、それで?」
「それで、おれの能力っていうのは、
目の色が変わって天候を変化させる、っていうのじゃなくて、
いや、事実そういうことが起こせるんだけど、
そういうことじゃなかったってわかった」
「なんにもわかんないんだけど」
「待って。もう少し話させて」
「・・・どうぞ」
「ありがとう」

おれの目が最初に変化したとき、
手元には置いた記憶の無いおもちゃがあったという。
黄色のアヒルを持っていたはずだった。
ビニルで作られた、愛嬌のある目をした玩具。
握って離すと高い音が鳴るそれを、持っていたはずだったのだ。
それが気が付いたその時、おれが持っていたのは紫色のそれだった。
おかあさんは、すぐに気付いたのだと思う。
父さんにおれのことを研究をすることは反対したのだ。
今はいいけれど、研究だと言って能力を使い続けていくことで、
おれの内側に能力が拡大していくことを恐れていたのだと思う。
しかし父さんはそんなおかあさんを説き伏せた。
心配ない。私がついているから。
そう繰り返して。
おかあさんの能力は、おれを生んでから目に見えて失われていっていた。
それが研究所での父さんの立場を危うくしていたことも、
父さんを焦らせたし、おかあさんに罪悪感を植え付けた。
それを仕方ないと言っていいのかは分からないけれど、
おれくらいはそう言ってあげていいのではないかと思う。
父さんは、震える声で、けれどしっかりと言葉にして出来事を話てくれた。

研究所では、できるだけこれが研究だと分からないように、
おれに接してくれていた。
それはおかあさんが譲らなかった条件であり、
父さんが交渉してくれたことだった。
おれは遊ぶような感覚で、
それほど多くの時間を拘束されずに過ごしてきた。
らしい。

「それって、話が違ってない?」
いづるが言って、おれは頷いた。
いづると話をするようになって、
お互いの昔のことも話しをしていた。
そこでおれは小学生の頃に目が変化することに気付かれ、
そこから天候を変化できることが分かり、
そして研究所に通うことになった、という記憶があった。
「全然ちがうじゃん」
「そうだね」
「説明つくの?」
「たぶん」
「たぶん」
おれの言葉を繰り返しながら、いづるは何とも言えない表情をし、
それでも続きを話せるようにと口をつぐんでくれた。

おれの記憶のなかの出来事と変わりないものもあった。
幼い頃に出かけた思い出や、
おかあさんの好きだった服装の記憶。
仲良くしていた友人の顔や名前。
共通しているものもあるのに、
全く食い違う部分もある。
これは何。
そう聞いたおれは、少し怒った顔をしていたのだと思う。
自分自身の中身について、外からの介入があったということなのだろうか。
けれど、だとしてもあの夢で語られる出来事は、いったい。
父さんは、手を握ったまま、話を続けた。
たすく。
何度も名前を呼びかけながら。
だからおれはなんとかむくれずに話を聞いていられたのかもしれない。
もう子供扱いを嫌う年齢だというのに、こんなに長く父さんと手を握っていたことが、おれはどこかで嬉しく思っていた。
心がやわらぐような、そんな手だった。

「たすくの能力は、
平行世界のものに影響を与えられることであり、
その影響によって、この世界をも変化させられることなんだ」

つまりは、
目の変化によって周囲の気候に変化をもたらせているのではなく、
平行世界に対して影響を与えることにより、
その波を受け取って、この今存在している世界にもその揺り戻しをもたらしている、と。
「それって、起こっていることは同じだけど、
もっと他にも影響を与えてたってこと?」
「そうみたい」
「すごいじゃん」
「うん、そうだね」
「他人事すぎない?」
「だって、昔には出来てたっていうほどのことが、今のおれにはできないから」
「なんで」

それは徐々に現れていったものだという。
制御は、できていると思われていた。
最初こそ、近しい平行世界のものと自分のまわりのものを入れ替えてしまったりしたが、すぐにコツを掴んだようで、
研究所にいるとき以外は能力を出現させないようにできていた。
それが、変化していったのは、小学生になってからだった。
学年が上がり、きちんとした説明もされないまま、
ひとり特別扱いされるたすくの存在を面白く思わない子供たちがでてきた。
それが少しずつたすくの内側にストレスという雑音を含ませていった。
事件というものは、突然に起こる。
積み重ねていた間は、大丈夫だと言い聞かせていられるだけで、
問題が起こって、やっと認識できるものなのだ。
あの日。
いつもと同じように学校を途中で抜けたおれは、
研究室にいた。
マジックミラーになったガラスの向こうには、
いつものようにおかあさんがいた。
大人たちの言う通りに、能力を使っていたのだ。
同じように。
いつもと変わらないことを。
けれど、その日はクラスを出ていこうとするおれに、
声を掛けるクラスメイトがいた。
何を言われたのかまでは分からない。
けれどそれがバランスを崩した。
その日までなんとか取り続けたものに、無邪気に、
最後のひとつを置いた。

「どうなった?」
「僕のまわりのものが丸々平行世界のものと混ざりだした」
らしい。
「まざる?」
「平行世界のものと、僕の一部、体や精神が混ざりあって、爆発寸前に圧縮され始めたみたい」
「こわ」
「こわいし、言われても、やっぱりよく分からないんだ」
いづるは真剣に聞きながら、どこか違う世界の話を聞いている感覚を捨てられずにいるようだった。
小説が好きないづるは、能力バトルを繰り広げるお話のような話に、目を輝かせてしまいそうになるのを、おれが顔を向けるたびに必死に推し殺しているのがおかしかった。
好きに感じたらいいのに。
そう思いながら、いづるも聞きたがっている話の続きを口に乗せた。

目に見えない力の渦のようなものが出来ていたという。
いきなり現れた圧力の異常な数値に、
警報が鳴ったと父さんは言った。
急いでおれのいる研究室を開けた瞬間、父さんの目には光を屈折させる粘性があるような膜が張っているように見えた。
それはしかし近づくことが出来ないほど、
恐ろしい速さで力が巡回している様子だった。
目にエネルギーが観測できるような状況に、
恐怖を覚えた研究者たちは、
口々に父さんにおれを止めるように言い寄った。
しかし、内側からモザイクになった父さんをみていたおれは、
その表情に驚き、何か問題をおこしているのだということだけを察知した。
怒られる。
その感情が浮き上がった瞬間、全身がその感情に支配された。
お母さん。
そのとき、求めたのはお母さんだった。
お母さんなら父さんをとりなしてくれる。
けして怒鳴りつけたり、手を挙げるようなことはなかったけれど、
それはおれが研究に必要だからかもしれない。
それならば、今問題を起こしているおれは、もう必要ないものになってしまったのかもしれない。
それならば、クラスメイト達が話しているような怒られ方を自分もされるかもしれない。
お母さん。
だから、おれは目の前にあった机を粉砕し、直線でお母さんのいるはずの真っ暗なガラスへと向かったのだ。
それを父さんは危険と理解した。
おれとガラスの間に入りこみ、
お母さんになんとか危険を伝えようとした。
もちろんお母さんのほうが、父さんよりも深くその時の僕の状態を理解してくれていた。
そして素早く決断を下したのだった。
その時の僕の状態は、
おれであり、僕であり、いくつもの平行世界の自分自身をぐちゃぐちゃに入り混じらせた状態であったのだ。
このままでは、過剰に混ざり合ったすべての僕が消失してしまう。
それを一番に理解し、動いた。
お母さんは、自分を、今そこに存在する様々に混ざった僕、おれの補強につぎ込んだ。
誰にも説明せず、感情を置き去ることもなく。

「今のおれは、だから、それまでここにいたたすくという人間の純粋な存在じゃないらしい」
「いろんな世界のたすくが混ざっているってこと?」
「それに、さらにおかあさんが混じってる」
「緩急剤に使ったってことかな」
「おかあさんが、他の平行世界のおれの方にも入っているのどうかまでは分からない。ただ、おかあさんは、おれの状態がおさまった瞬間、溶けた」
「ああ、それが、溶けた」
「そう。だからたぶん正確には、分離したんだ」
おれと、おれたちと、いっしょになったお母さんと、そしてそれに必要ではなかった部分。
そしてそれは今、おれの代わりとして、研究所で保管され、様々な実験をされいる、と父さんは言った。
「それってさ、たすくのお母さんを利用してるってこと?」
「どうかな。父さんの顔は、どちらかというと、いつかお母さんに繋がるナニカにしたいと思っているみたいだった」
「そっか」
いづるは、長い話を腹にしっかりと納めるように、ゆっくりと息を吐きだしていった。


父さんと、話をした夜。
おれは父さんに聞いた。
「おれは、またそういう事故みたいなことを起こす可能性はある?」
「無い、とは言い切れない。あの事故自体が、そういうものだったから」
でも、と父さんは続けた。
「今も継続中だが、お母さんが、内側で蓋の役割をしているんだろうということが分かってきている。だから、たすくの能力は大幅に範囲も出力も抑えられているのだとおもう」
「じゃあ、心配はない?」
「心配は尽きない。でも、無暗に怖がらなくてもいい、という話だ」
「そう」
それだけ聞ければよかった。
おれは、そっと父さんの手から自分の手をひとる抜き取った。
「ありがとう」
それをもう一度重ねて、できるだけ心をこめて言葉を差し出した。
「ああ」
父さんは、一言そう答え、一度だけつよくおれの手を握った。
そして離れていった手に、おれはどうしようもなくこみ上げるものがあった。
できるだけ顔に出さないように努めたけれど、成功していたのかは分からなかった。
それが、夜中の話。

「研究所のひとも、怖くなっちゃったんじゃないかな」
「かもな」
「あのさ」
もう五限は終わりが近づいていた。
校庭を走り回る顔の見えない生徒たちは、光のなかでぼやけている。
おれは変わらないいづるの目をじっと見た。
それにいづるが少しだけ顔を固くする。
「なに」
「おれと、友達になってほしい」
「は?」
いづるは理由を見失ったような顔をし、
怒ろうか、どうしようかを考えているようだった。
腕を組んで、ふんぞり返るようにしておれを見る。
「どういう意味?」
「そのまま。おれと、」
「そうじゃなくてさ、今、俺とたすくって友達じゃないわけ?」
「ともだち」
「だろ?」
「だと、思う」
「おい!」
「あのね、おれ、結局どうしてこういうことが出来るのかは分かってないの」
おれの声にふざける様子がないことを感じとり、いづるが黙る。
最後まで聞いてやろうという顔になり、
そして真っ直ぐにこちらの表情を読み取ろうとした。
努力を努力と思わない。そういう性質の人間だとおもう。
そんないづるは、おれの特異な目を拒まなかった。
それがとても嬉しかったのだ。
「一度起こしたことが、もう二度と起こらないとは限らない。
もうおかあさんはいないから、もしもう一度そういうことが起これば、
誰にも止められないかもしれないし、その影響はどこまで及ぶのかも分からない。それでも、できるならいづるに友達でいて欲しい」
おれの目を見ていた。
その目は呼吸をしているようだった。
光が広がっていくような、深い色合いに落ちていくのが分かった。
いづるが息を吐く。
その音が階段を転がっていった。
塵が踊るそこに、透明に。
「いいよ」
驚きと、喜びだった。
「本当」
「ほんと」
「ははっ」
「笑うなよ」
「笑うよ。嬉しいんだから」
チャイムが鳴る。
その音を聞きながら、お互いの笑い声が大きくなる。
それがおかしくて、また笑った。

「これからは、いっしょにここに上がってこよう」
そう言ったいづるに、おれはただ一度、頷いたのだった。



おわり。

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