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「白い机」から「海」の詩の解説のような

はい、
やっとのことでここまでやってきました。

第三段。

ここからは、またちゃんと、、、、
っていいながら、溜めそうですよね笑

いや、逆に一個ずつより、こうやってあつめてのほうが一記事で済むからいいのでは、、、、

雨漏りがしてきたらいいな
と思った
息を整える箱の中だと

外はざあざあ あーせいせい

この天井も染みを大きく
それは自由のようなものを描きに
雨が降ってきたらいいなぁと

白い机の前に座っていたの

「白い机」

何かを書き始める前の、
静かな間に起こる空想のような。

ああ、雨が降って(現実で起こったら大変だけれど、絵本の中のようにそれがいろんな形を作って、雨と家の中のひとで大笑い、できるような、
そういうことがふわぁっと目の前に浮かんだだけなのです)
雨漏りが絵になるって楽しそうと。

自分の白い机の上には、
もう準備はできているのだから、
はやくここへ帰っておいで、というラストです。


さぁ どうぞ

嫌いだったら、どうしよう

それでもうつくしかったなら

さぁさぁどうぞ

ここに全てをのこすから
どうかペン先乾かないで

さぁどうぞ
冷たい雨も咲いて書くから

「この雨も」

139冊目の最初の詩です。

どの一冊も、最初の詩はこんな感じの、
どんな言葉も感情も否定せずに、
嘘を築かずに書きますので、
どうぞ、どうぞ、言葉よいらっしゃい、
という詩になります。


わたしのどこかから
血が流れ続けている気がする
それは見えないと言い張って
体の不調に隠しておくことの
難しい量になってきているような気がする

あなたから見たら
私はどう見えるかしら

顔色は
やわらかに白んでいるのかしら

わたしの血はどこへ流れていくのかしら
せめてどこかで点滅する
あなたの赤い場所に垂れたならいい

「流れ去る血」

不調の原因が目に見えるものでないとき、
ただただ生きていることが不調につながるとき、
その不調のために流される見えない血は、
どこに流れていくのかしら、と。

せっかくならば、この重たい身体の決意のような、
結晶の欠片のような、見えない血が、
今、生きようとする誰かの助けになるのなら救われることもあるのに、
という詩です。妄想で痛みを誤魔化す。そういう詩です。
だけど、そうだったら少しは私の足掻きが無為からつま先をだすなぁ、
という希望のような気持ちの詩です。


あなたと向き合う水面
あなたは下に黙り 笑う
わたしは上で藻掻き 水滴を零す

たった一面の
うすい水の膜のようなこれに
どれほどの時空は重なっているのか

あなたはかわらない目で微笑む
黒い水晶をはめそうになる思い出を
やさしく正す

あなたを見ていたい
あなたのそばにいたい
それは相反して私を暴れ泣かせる

静かに見つめることさえできれば
おそらく心は添うのに
そう呟いてみても

結局私は
水面に崩された水玉をつくる
水滴があなたを濡らすのも構えずに

「水面に立つ玉」

時、
または生死が隔てたものは、
特別なルールの外でしか会わないものです。
そしてその特別なルールはいつでも満たされるものでもない。

それでも会いたいひとがいて、
そのひとを隔てる一面の水面、薄い膜のようなそれすら破る力はないのです。
その無力さに落ちる雫は丸くない。

『水玉』というお題で書いた詩でしたが、
あまりに個人的な詩だな、と出さなかった詩です。


トカレフ
かっこいい銃ね
私のこめかみが強請ってしまう

カトレア
なんて可愛い花なの
耳に挿したい

アネモネ
私の心にあのようなものを与えてよ

ああ 味わい深い白いマイクをなぞる
私はメロウにカナリアに成り
夜を明かさず消えてしまう

煙る幻
あなたの紫煙になりたいわ

「紫煙」

私にしては珍しい詩なのかな、と思います。

煙る店内。
不浄の底のような、その一歩手前のような場所で、
歌うこころが、
果たして届かないひと。

それならば、たった数度の瞬きのあいだ視界を狭める紫煙になって消えたいわ、という“現代版人魚姫”のような。

恋、ということを書くのがあまり得意ではないのですが、
この詩はそれに一番近いのじゃないかなと思います。


分かろうとして分かったこと
どれほど分かったというの
言えるその口の端
舐めきれなかったクリーム
あなたはもう分かっているかもしれないけれど

「クリーム」


分かる、ということの困難を分かりあうことはとても難しいことだと思うのです。
クリームが付いているわ。
そう言って伝え、
ああ、
と拭うほどに分かりあえることであったなら。


ペンも紙も選ばずに
土に指でも書いてやろう
と、覚悟をしているけれど

どうだろう

このお気に入りのペン
戻った私の指先の軽さは
浮かれ度合いは

あーだ
こーだ
何ででも書けると言いながら

このペンをとても頼っている
それがさめざめと胸に染みた

「わたしのペン」

お気に入りのペンがありまして、
それのインクが切れたので買いにいったら間違ったインクを買ってしまい、
もったいないと間違って買ったインクが使えるペンを探して使っていたのですが、やっぱり使い勝手が違う、、、
ということで、不経済だと思いながら正しいインクをお店の方と確認しながら買ったのでした。

そしてペンを握ったときの歓びが思わず詩になったのでした。

道具は大切ですね。よく分かりました。


折れていくものがある
無数に
それはまだ使える長さかもしれず
幾度も折った 指先のさきほどのものかもしれず
折れて
手放されたものたちの行きつく浜がある
これに供養はいらない
全ては尽きたこと
そうではないものは
誰かの手に触れ
再び折れていく道をゆくだろう
それを手に一歩を踏み込む
その下に折れる無数の折れてきたものの砕ける音が見送る

「折れるもの」

鉛筆の芯。
鉄骨のはみだした部分。
木の枝。
爪。

折れてしまうものはいくらでもあり、
それは心の一端だってそうでしょう。

そういうものが、
もし、
誰かにとってはちょうどいい長さと成り得て、
再びの時間を重ねられたらいい。

それが叶わない短さならば、
それはそれとして細やかに崩れていき、この浜で光を返せばいいのよ、
という詩です。

いくらでも、どうなっても、
それが生きるところはありますよ、
と伝わったならいいなと思います。


電車に乗って
窓に張り付いて
海を見ていた

ゆっくりと建物に隔てられていく波
時折
きらりと返事のような投げかけを掴む

この奥には海がある
あの広大な青の集約が

そう思えば
ただ続くビル群も
少し特別に思えそうな

ただ このずっと奥に
呑み込まれたい海があるというだけで
胸の弱い鼓動は力づけられていた

「海の向こうの車窓」

これは実話です。

自由港書店さんからの帰りの電車で、
まりさんと別れ(これに乗ったら一本で帰れるからね!!と電車の入り口まで送ってもらって、乗るのを見送られた後の話。本当に至れり尽くせりでした。ありがとうございます!)席は空いていたのですが、
どうしても海が微かに見える入り口を離れがたく、
どんどんと海との距離が空いていく寂しさと、
それでもこの(私にとっては)無機質な建物群の向こうに海はあるのね、
という心強さを書いたのでした。


海を前にすると
私は海につくりかえられる
波は私を過ぎ
白い波の花は遠く背中の月に
耳から入っていたはずの音を
私が広げる側に立つ
透明さは血を残し
私を漂う夕陽にする

あなた

それなのに
たったその三文字だけが
私から海を拝する 一瞬で
つれない恋人に視連の爪を掛けるように
たった三文字が
重たい私を浜に立たせる
戻った血で頬を赤くして
惜しがるのは私も同じなのだよと
それでもこの腹に帰るにはまだ早すぎる

あなた

せめて海と呼び合いながら
影が出来た私は足あとと共に
去る方向を向く

「海」

これはその電車に揺られながら書いた詩です。

海に少しだけ寄った昼間。
海に帰れるのなら、
それを越す喜びはあるだろうか?

そんな風に思いながら。

留まる点は「あなた」。


余談ですが、このあとにいった、自由港書店さんは最高に楽しかったです。
海の欠片を持っているような書店さん。
あんな世界を作り上げるご店主はすごい方なのだろうと思います。
そのひとがすでに物語りだ、という方を何人か知っていますが、
このご店主もそうだなぁと思いながらお話させてもらったのでした。


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