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映画のあの場面を作った女の子のこと

昨日、
寝る前に見た映画が
『女子高生に殺されたい』
だったんです。

が、

私この作品は原作の漫画を読んでいました。

好きな映画紹介のYouTubeでもなかなか高評価だったので
楽しみにしてみました。

原作から改変してある部分もよくて、
映像化のほうも面白かったです。

ただ、漫画で読んでるときには思わなかったことが引っ掛かりました。

映像を作るうえで当たり前なのですが、
人間がその役割を演じることで
漫画だったら面白かった!で終わったものが
そう終われなかったという感じです。


ちょっとネタバレになりますが


小学校低学年の少女が大人の男性に組み敷かれ、
それに抵抗し、
その後逆にその男を押し返し首を締め上げる
という場面があります。


これを見ている時
お話の流れよりも
「これ、この女の子は怖くなかったのだろうか」
ということの方が気になって、
見終わったあとも
くすぶる気持ちを残して寝たので
ちょっと夢見も悪かったです。


きっと、
女の子の中に恐怖がのこらない撮り方をされていたのだろうと
思うのです。
彼女も、幼くても女優なんだからとも
思うんです。
それでもあの年齢の女の子が、
何も抱えなかったのかな、と思うと
これは撮らないという選択もあったんじゃないかと
思えてきました。


(そんなわけにはいかないと分かっているんですが)

もしも、
動物だったら。
人間以外の生き物だったなら、
「これは撮れない」
と考える箇所が出来たら
出来ないな、やめよう、次にのできることをやろう、
となると思うんです。

(この例えが変なんですけど、、、)

この枝が駄目なら、こっちの枝、という感じで。


でも、
人間は
「いや、でもどうにかしてこれをとる方法を考えよう」
となるんですよね。
創意工夫というやつで。
なんとかしようと頑張るのが人間なんでしょう。


女の子に嫌な思いを残すかもしれないからやめよう
とはならない。


女の子が何とか気持ちを引きずらないように
でもこの映像が撮れるように
考えようなんですよね。


それがなんだか、
いいことだ、と言い切れないな
と思います。

漫画は、
その状況に置かれているのは本人で
他の誰かがそれに似た状況に置かれるなんてことはなくて
だから気持ちに寄り添って
その本人のことだけを考えていられるんです。

でも実写化となるとそうはいかない。
その場ではたしかにその役を生きているとしても
たしかに本人が生きている事実があるから
どうしても純粋に物語だけを見ていられない時がある。

あの映画がよくなかった、とか
そういうことではないのです。

映画は面白かったです。
ただ、そんなことを考えたので
書きたくなったnoteでした。



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