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読む人を意識して書くこと

明石にあるシェア本棚さんに行ったのは昨日のこと。
自転車で30分くらいですよ!
というマップを信じて走ったけれど、
40分かかった。
たまに騙される気がする。
、、、ただ単に私が見間違えただけなんだろうけれど、
毎回狐に摘ままれた気持ちになる。
あのちょっと固そうな肉球に摘ままれたんならいいか、と思うけれど。
今ぐらいの毛量よりも、やっぱり冬毛のもふもふの狐に摘まんでほしい。

一回、やっぱり携帯のアプリで出かけたときに、
きょろきょろしながら行ったのが良かったのか、
けっこう道にあるものを覚えていて、
一回しか迷わなかった。
いや、一・五回かも。

一度ここがお店だよ、と分かればお店自体はすぐにみつけられた。
安心して、ほっとした。

中にはすでに到着しているメンバーさんがいて
(昨日は、東播磨クリエータージャーナルの定例集会のようなものだった)
まさかの歩いて加古川から来たという方がいて、
驚いた。
とっても背筋がきれいに伸びている方で、
いつ見てもお顔がすっきりしている。
少しずつ仲良くなれたらなぁ、、、と思っている。
彼女の詩やエッセイもクリエータージャーナルに載っていて、
昨日はじめて読んだ。
(kindleでどうやって買えばいいのか未だに微妙に分かっていないので、
書いてるくせにまだ買っていない駄目な人間です)
(近々無料期間があるそうなので、
その時こそ手に入れるぞ!と思っている)
穏やかな言葉の選び方なのに、
芯の固さを透かしているような読み心地がある、と思う。
とくにエッセイ。
こんなふうに我武者羅に手を動かすことができるひとに、
私は憧れる。

新しいメンバーさんもお二人来られていて、
どんなものを書かれるのかと気になった。

発起人であり、
編集、発行までをこなしてくれている風杜さんから、
「微々たるものですが、、、」
と、システムや今の売り上げ状況などの説明とともに、
印税が渡された。
前にネットの記事をいくつか書いてお金をもらったことはありましたが、
自分の作品に対してお金を頂いたのは初めてで、
カイさんが
「作家だね」
と笑って言ったのが、とても印象に残っている。
そしてその流れで風杜さんが言った、
「金額は少ないですが、
少しずつ買ってくれる人が増えています。
誰かに読んでもらうということを今一度考えて、
自分が楽しいだけではなく、
誰かが読んで楽しんでくれるものを書くということを意識してください」
という言葉に、
背筋を伸ばさなくては、と思った。
本当に気を付けないといけない。
私はすぐに自分の好きなように書きはじめてしまうから。

歓談をはさんで解散になったのは、五時頃だった。

帰りの自転車を漕ぎながら、
今まで数作出した自分のお話を考えた。

誰かのことを意識して書けていただろうか。
自分以外のひとが読むことは考えたけれど、
楽しませよう、なんてことは考えていなかったな。
というより、書いていて誰かを楽しませようなんてことを考えることってなかったかもしれない。

『変化する目をもつ少年の話』は、
コメントで続きを書いてほしいと書かれていて、
「やった!書こう、書こう!」
と書いたけれど、
書いているときは物語のことしか考えてなかった。

二次創作ではリクエストをもらって書いたりもしたけれど、
結局自分が「この設定いいな」と思ったものを書いただけだし。

文芸会の原稿だと、自分勝手な実験のようなものになってきている。
(来週なのに、相変わらず何にも考えていない)
そう思うと文芸会でみんなに「続きを!」と言われて書き続けて下さっている人の凄さが感じられる。
自分はそういう書き方ができるだろうか、、、
そもそも続きなんて求められること自体少ないのだし。

なんてことをぐるぐる考えていたら熱が出た笑
いつものことだけれど。

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