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自問自答するカウンセリングについて

カウンセリングをして何を見つけたいのか、
どうなりたいのか、
考えてみている。


暗いことをつらつらしています。


はじめは、ただただしんどくて吐き出したかった。
中学生の頃の話だ。
あの時はスクールカウンセリングの一環としてくれたので、
おそらくきちんとしたカウンセリングだったのに無料だった。
本当に生徒のことを考えてくれる学校だったと思う。
カウンセラーの人も。

あの人がはじめてのカウンセラーだったから、
あの人を基準にその後を考えてしまってかなり戸惑った。
ふつうの、仕事としてのカウンセリングは、
それまでの話を聞いてもらうこととは少し違った。
私がどうしたいのか、どうなりたいのかが軸になるのだと、
その頃になってやっとわかった。

どうなりたい?
36年も一緒にいれば、自分のことはけっこう分かってくる。
分かるというよりも、そうだね、それも私だよね、と諦めて認めるというのか。
私は書くことが好きだから、
こういうものを延々書いてみたり、
手紙を長々と書いてみたり、
詩にしたり、
小説の流れで自分の感情が理解できたり、
と自分とも会話することが多いと思う。
下手をするとひたすらひとりでカウンセリングしてるんじゃないかと思うこともある。
だから自分のこの不調の原因を考えたときに、
うっすらとこれだろうな、というのは思いつく。
確証はないけれど、と。

今通っているカウンセリング。
先生は熱心に話を聞きながら、
困惑しているようにも見えた。
仕事のストレスを訴えてはじめたカウンセリングだったけれど、
お腹を割いてみると出るわ出るわの原因の数々。
それも物心ついたころから一緒にいる「死にたい」欲求。
母親、兄弟、父親との関係の歪さ。
自分自身の感じ取りやすい性質、というのもあったと思う。
それとまだ話していないけれど、
何人かのたいせつなひとの別れが肉を抉っていったこと。


私が最初に死にたかった理由を、
私は覚えている。
「ひとでいたくなかった」
だった。
人以外のものと、人のずれが気持ち悪くて、
じりじりと圧迫されていた。
人としての当たり前の感情や振る舞いを求められることに困惑した。
ひとが嫌いだ。それは感情ではなく、もう感覚としてあったものだったから、取り除くことは考えられない。
でもそこに反して好きな人がいた。
祖母や親友が、私は好きだった。
たった二人の異例が認められなくて、
まさに真っ二つな状態だった。
そこからはじまったジレンマの日々だ。
本当に根深い。
解せる気がしない。

今でもこの感覚があって、
それに反するように好きを広げているのだ。
感覚が盤石になってしまったのに対応するように、
ひとを好きに思った。
ひとが作ったものを好きになってきた。
好きを口にして、質量をあげようとしてきた。

死にたいと生きていかなくてはの狭間で、
体はびりびりしている。

理由は、分かっているのだと思う。

父親とも、兄弟とも二度と会いたくない。
出来たら死んでてくれないかな、と時々思う。
いっそ殺してから私も死ぬのはどうか、
と今さら思う。
思うだけだけれど。

私はさて、どうなりたい?

連絡が途絶えて一か月。
じろうさん(夫)から電話をしてみてもらっては、と言われて、
そうかと頼んでみた。
その時にじろうさんに
「もちろん、電話はしてもいいんだけど、
そもそもカウンセラーさんにどうしてほしいの?」
と聞かれて口ごもった。
どうしてほしい?
体調が悪く、連絡が取れないくらいの状態ならば、
他のカウンセラーにつなげてもらうとか、
今のカウンセラーさんに続けてほしいから、きちんと状況を説明してもらいたいとか。
どうしたい?
私は。

正直、他のカウンセラーさんに受け渡されてもいいとは思っている。
でも、いくつかした心理テストを何も活かせないまま終わるのって、
ちょっともったいない。と思っている。
だって、二万くらい払ったのだ。
最後にした心理テストの結果も教えてもらえていないし。

「カウンセラーさんが何か心の不調を抱えている状態なら、
この電話で悪化させるんじゃないかということも考えてしまう」
とじろうさんに言われた。
それは私も考えた。
そのようなことを言われていたりもしたし。

じゃあ私は放っておかれていいのかい?
とも思うけれど。

結局、今度心療内科に行った時にどうするべきか、
聞いてみてからにしよう、となった。
こちらから動くしかないですよ、と言われたら、
電話してみる。

結局お金を惜しんでいる自分に悲しむべきか。

一歩一歩。
とりあえずそう唱えておく。

「死にたい」を取り除きたいと思っているかどうかも正直分からない。
しんどさを取り除いたって、結局生まれるものだ。
じゃあ、これと生きていくために、
この状態でも生きていける環境を作りたい。
たぶん、私がしたいことはそういうことなんだと思う。

生きる上で、自分を押しつぶすものがストレスになるとしても、
ここまで私をつくったそれに、
もう愛情があるのだから仕方ない。

私はひとが嫌いなまま、
ひとを好きでいたい。

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