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10・8(実際は10・7の日記)

昨日は絵本カフェくうねるんでの『読み語り会』というのに行ってきました。

自分の好きな絵本を持ち寄って、
語り合うだけではなく、
持ってきた絵本を参加者へむかって読み聞かせるというのが変わっているポイントなんじゃないかなと思います。

中学を卒業してから、
外に出るのはカウンセリングの時くらいだった私は、
中学の図書室とセットになっている町立図書館の司書の方に
「毎週読み聞かせをしてくれているボランティア団体の人を紹介するから、
やってみたらどう?」
と言われ、
すこしの間読み聞かせのボランティアをしていたことがあります。
私以外の方々はけっこう長く活動されていて、
私が読んでもいいのだろうか、、、というくらい差がある読み聞かせをしてしまっていましたが、
あの時感じたことのひとつに、
意外にいくつになっても絵本を読み聞かせてもらうって気持ちがいいものなんだな、ということでした。

小学生が二人家に居て、
毎日のように宿題の本読みを聞かされていますが、
読んでいる本人たちがいやいや、面倒だ、とやっているために、
聞いているこっちもあまりいい気分ではありません。

やっぱり読むほうも「この絵本、お話素敵なんだよ!」という前向きなものがないと、聞いていて楽しくありません。

YouTubeでの朗読のチャンネルなどもありますし、
そういうCDもありますが、
やっぱり目の前でページを捲って聞かせてほしいと私は思ってしまいます。

そんな人にこのイベントはぴったり!
読む人の好みで持ってこられる絵本は本当に様々で、
じっくりと言葉を置く人、
小鳥が肩を飛び回るような気持ちになる声でお話を囁いてくれる人、
目の前に舞台が見えるような熱演を披露してくれる人、
と、数人の集まりですが毎回とても楽しい会なのです。

今回は70歳でバイオリンをはじめた27歳??のミスター・ダンさんが
ちょっと音楽をつけてあげよう!
とやってきてくれてささやかでほっこりする秋のミニコンサートもありました。

秋、というテーマがあったわけではなかったのですが、
ちょうどそんな季節が似合う作品からはじまった『読み語り会』。

一番手は、
文芸会でご一緒のイケオジさんの奥様で、
彼女は長くボランティアで学校などに読み聞かせをしにいっているベテランさんです。
彼女が読み聞かせてくれたのは新美南吉作の『ごんぎつね』。

言わずと知れた名作ですが、
今回聞いていてこの物語には余白もたっぷりとあることが分かりました。
ごんの今までや、
兵十の母親との出来事、
聞きながらそんな方向へも想像は飛んでいきました。
まだ子供のごんの毛並み。
彼岸花の咲き乱れる畦道。
兵十の母親の葬列を見送って巣穴でごんが考える
「あのうなぎは兵十の母親が食べたがっていたものだったんだ。
それをおれがとったから、あいつは母親に食べさせてあげられなかった。
母親はきっと、ウナギが食べたいと言って死んでいったんだろう」
というのは、
本当のことなのかは描写されていないことで、
でもそんなふうに感じたごんには、
それに近い過去があったのかもしれないな、
自分の両親の死をそんなふうに心を残して見送ったのかもしれないな、
もしかしたら親はただただごんを想っていただけだけど、
ごん自身が何か思うところがあって、後悔にしてしまっているのかもしれないな、と書かれてはいないごんの過去をあれこれ考えました。

ごんは、かわいそうなきつねだったかは分からないけれど、
寂しがりなきつねではあったんでしょう。
悪戯をして気を引きたい。
人間で遊んでやれ、くらいの気持ちだったのかもしれないけれど、
危険をおかしてまで人に関わっていたのですから。
でもその中で兵十という自分の境遇によく似た状態になった人間ができ、
彼なら自分に寄り添ってくれるんじゃないかと、
どこかで感じたのかもしれません。

兵十に関しても、
もしもごんの想像が当たっていたならば、
けっこうな落ち込みだったんじゃないかと思います。
もう触れあえなくなるひとにできた、喜ばす機会を逃してしまったのですから。
でもこの兵十という人はやさしい人なんでしょう。
そうだったとしてもごんに恨みを抱いたようではないし、
「あいつ、懲らしめてやる」
と探しにきたりもしない。
ただそういう運命を受け入れて、自分の中に悲しみを受け入れていく生活を送っていました。

そんな彼にごんの贈るもの。
本当に神様みたいな、可愛らしい。
念仏の帰りに兵十と村人の会話から、
この贈り物は神様からのものだと思うから感謝しないといけない、
という村人からの言葉に、面白くない、と思ってしまうごん。
だけど、
だからって彼はいじけたりはしないところがごんのいとおしいところだなと思います。
だってこれはごんからの罪滅ぼしであり、
同じ境遇の兵十への励ましであり、
どこかで自分のことを気付いていっしょにいてくれたらうれしいけれど、
気付かなくても構わない、
そういう感情の贈り物だったから。
ごんは、自分の立場というのか、
彼とは違う生き物で、相容れないものだと分かっていたんだろうと思います。
だから、いつも静かに置いて帰る。
それでもそうやって彼を慰めることは自分にしかできないとも思ったかもしれません。

最後の場面、ごんはもしかしたら少し嬉しかったかもしれません。
兵十に気付いて貰えたこと、
そしてその理由である、彼の母親への後悔を作った償いが、
達成された瞬間だったから。
頷くことで伝わった真実に、
ごんは満足だったのではないかなと思うのです。
そして兵十もまた、受け取りきれていなかった他者からの愛情に気付けた。
こんな風にしか交わらなかったことは悲しいけれど、
このお話はただただ可哀そうで、悲しいお話ではないのかもしれない。

そんなふうに聞いていました。


続いても新美南吉さんの絵本でした。

文芸会のメンバーであるカイさんは、
『かげ』という絵本を読みました。

恐らく外国の深い月夜。
一羽のカラスが木の上から舞い降り、
地面に映るくっきりとした自分の黒い影に出会います。
その影があまりに見事だったので、
カラスはその影に話しかけます。
するとなんだか影が答えてくれているような気がしてきて、
カラスは陰に森までのかけっこ勝負を挑みます。
影は空を飛べないから地面を走って。
よーいどん、ではじまった競争は、
いい勝負を繰り広げ、そして森に同着します。
そして次の朝、森には一羽のカラスが死んでいるのが見つかります。

というお話で、
なんと22歳のころの作品なのだとか、、、
新美さんの作品を読むと、
もの悲しくて、でもその根底には動じることない自分のまわりへのあたたかい眼差しがあるように感じます。
自分の中に宗教があるようなひとだなと。
神さまときちんと自分のまま会話ができるひとだと。

私はこのカラスは寿命が尽きかけていて、
群れからも離れて孤独を抱えた存在と位置づけ、
そんなカラスが影であっても他者と一番の鳥としての誇りだろう飛ぶことの勝負をして死ぬ、そのそばには誰かの存在を信じられて死んだ、
というふうに聞いていました。

影って、海外では自分の中にある、
認めたくない自分の象徴のように書かれることが多い気がします。

だとしたらまた違う語りたかったことがこのお話にはあったのでしょう。
また次にこのお話を読んだら、
ひとりでよんだり、
私が誰かに読み聞かせたり、
または違う人に読んでもらったりしたら、
その時はまた違う物語が見られるように思います。

そういうお話って凄いですよね。


さて、三番手は私です。

私はもしかしたら一番好きな絵本かもしれない
『ごろりん ごろん ころろろ』を読みました。

器用なうさぎさんが、
みんなで使おうと大きなテーブルを作って、
みんなが大好きな丘の上に運びます。
重たいテーブル。
頑張って引っ張る荷台が、
不思議とどんどん軽くなっていきます。
それはがんばるうさぎさんの姿をみて、
黙って後ろから押してくれだしたどうぶつたちのお陰なのでした。
そうしてついに丘の上にテーブルを設置したうさぎさんの前で、
集まったたくさんのどうぶつたちが、明日はこれをしよう、あれをしようと話し合っています。
それを聞いたうさぎさんは大急ぎで家にもどり、
再び大工仕事にはげみます。
翌日それぞれの計画に楽しみを膨らませて集まった動物たちは、
ふと気づきます。
「誰から使うの?」
しかしそんな心配は丘の上に着くと吹っ飛びます。
そこには人数分の椅子が置かれていたのでした。
徹夜で椅子を作っていたうさぎさんだけがいませんでしたが、
みんなは楽しくそのテーブルで思い思いの時間を過ごせたのでした。

と言うお話です。

このシリーズ?の他二冊も紹介したくて持っていっていたのですが、
思いのほか皆さんが楽しんでくれたので、
結局三冊とも読ませてもらうことになりました笑

たぶん、一番読んだことがある絵本だったので、
今までで一番ましな読み聞かせができた気がします。

この絵本は、『風の谷のナウシカ』とともに、
私のなかの優しさの根源というか、定義をつくってくれた絵本です。
見えなくても、その誰かの喜ぶことをする。
そういうことがこの絵本のどのキャラクターにも当然に備わっていて、
どうかこのどうぶつたちが幸せでありますように、
と祈っていたなと思い出しました。
今でも好きなものを見ると
「幸せでいて!!」
と念を送ってしまうのはここからはじまったような、、、、笑

最後のしめは、
店主であるこっこさん。
こっこさんが小学生の頃、演劇部のひとたちがこの絵本の劇をしているのを見て、「演劇部にはいりたい!」と思った思い出の絵本なのだとか。

森の中のどろぼう学校では、
その夜遠足がおこなわれます。
ちかくのお金持ちの町に行って、
一番大きな家からどろぼうをする、というものです。
そこで町で一番の大きな建物に忍び込む先生と生徒たち。
中はたくさんの部屋があり、
奥には大きな錠前が付いた部屋が!
道具を使って入ってみると、
なんとそこは刑務所で、
一同お縄につきましたとさ、というお話です。

こっこさんの熱演で様子が見えるような読み聞かせでした。
それにしても「かわいい生徒」と何度か先生は言うのですが、
まったく生徒たちがかわいくない!!笑

これは演劇で見てもとても面白いだろうな、
と思う一冊でした。

そして最後にミスター・ダンのバイオリンで幕を閉じた『読み語り会』。
今回もとても満足の会でした。


このあと、
まさかのお笑いワークショップになだれ込んでしまったのですが、
それはまた次のnoteで書こうと思います。
(書かないかもしれません、、、笑)

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