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勉強は、私を広くしてくれた

勉強が好きでした。
知らないことが自分の中で、最初にみた完成形として再現できたとき、
それはとても満たされる気持ちになりました。
1が、もうひとつやって来たら2になること。
水を冷やしていくと、0をきっかけに氷へと変化する。
肌の内側の働きの細やかさと、世界観。
漢字を習えば、それはどうやってできたもので、どんな感じと組み合わさるのか、そうやって作り上げる画はいったいどれくらい広いのか。
はじめて平仮名を理解した瞬間も、音符が読めたときも、数字のなかの0の絶対さが眩しく感じた気持ちの高鳴りも、私はよく覚えています。
自分のなかが広がったし、広くなったその場所に、また様々なものが生み出していけることが嬉しかったです。


それが、勉強ができなくなったのは中学二年生の時からでした。
大好きな人が、居なくなってしまいました。
その時私のなかが、どう変化してしまったのか。
これからに前向きになることを拒否してしまうようになりました。
教科書を開くことができなくなり、授業に出ることができなくなり、
学校に行くこともできなくなりました。
その時私ができたことはなんだったっけ。
しょうがない、と私は思いました。
もう起こったことも、居なくなってしまった事実も、そのことに絶望してしまっている自分も、動けないこともしょうがないと。
あんまり眠れなかったし、熱を良く出していました。
動かないまま一日が終わり、何も入れられないまま、日々が続いてしまっていきました。
だから高校は諦めました。
勉強をすること、学校にいくこと、生活をふつうにおくること。
そういうことを諦めて、何とか生きることだけにしがみついて、
そんなことをしていたら、居なくなった人がもう二度と会えない状態になってしまっていたことを知りました。
もう、この人を待たなくてもいい。
そう思って、自分もいなくなることを真剣に考えていました。
それを救ってくれた人がいました。
その人のおかげで、私は生きて、ここまで来られました。
どんなに居なくなりたいと思っても、生きる約束をしてくれたことで
生きていく方を選んでこられました。
きっとあの頃の私が、今の私を見たら信じられないと言うんだろうな。


そうやって今は34歳。
気持ち的には人生の折り返し、です。
そんなときに突然の解雇なんて出来事があり、これからのことを考えはじまました。
求人を見ていると、やってみたい仕事の資格の箇所に「高卒以上」と書かれていることがちょくちょくあります。
そのたびに「あー、ここはダメか」と諦めてきました。
それは元職場に勤めているときからのことです。
その部分を目にすると諦める、ということが、当たり前になっていましたが、こうしてこれからの生き方を考えたとき、本当にその探し方で自分が幸せになる仕事が選べるのかな、と思うようになりました。
それよりなにより、ただ自分の中で、ずっとやりたかったことだったんだと気づいたのです。
高卒資格が取れるということは、前々から知っていたのですが、
それをすることは大変だな、今の自分ができるかなと、目を逸らせてきました。
じゃあ、いつまでもできないな、と思いました。
それなら、今からしたらいいじゃないか、とも思いました。


そして買ってみました、参考書。
中学生の当時も買ったことなかったのに笑
もうどこから勉強していないとかも、理解がどこからできていないのかも
分からないと思ったので、中学一年生からはじめることにしました。
数学の、正の数、負の数からはじめました。
懐かしくて、なんだか楽しかったです。
一日30分。
本当は、もっとしっかりやるべきなんだろうとも思いました。
でも、楽しくやろうと決めたのです。
やっと、また、楽しく勉強ができると。
もう一ついっしょにはじめようと「公民」も。
驚いたのが、本当におぼろげにしか覚えてなかったなー、ということ。
これは、高卒資格なんて遠い夢だな、、、と思いながら、
これを続けたいとも思いました。
やらなければ、はじめなくては、いつまでも羨ましいと眺めているだけだったはずで、それなら、こうやって勉強をはじめられたことはすごくいいことだ、と思います。


仕事の幅を広げるために勉強をしようとおもったのに、これじゃあ仕事を選ぶときには間に合わないな、と思います。
でも、勉強は、あの時と変わらず、楽しいこととして私の中に入ってきてくれました。
ほかの勉強もはじめてみたいなあ。


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