特別な日でありませんように
つい、
この間、
私は37歳になりました。
私だけの感覚なのかもしれませんが、
新年は、世界が一変するような感覚があります。
逆に、
自身の誕生日、
新しい一日目には、
私に膜が一枚重なったような、
年輪を増やしたような、
そんな気持ちになります。
その日は、
自身の腕が動くことが不思議な気持ちになり、
感動し、
まるで新しいような気持ちで起き上がったのでした。
そんな気持ちで起き上がっても、
やることは同じ、
家事をすませ、
文芸会へ行き、
くうねるんの読書会へ行き、
帰ってきて子供達と過ごし、
まさかの次男からガンプラ(私の大好きなオルフェンズよりガンダムバルバトスルプスDXと、ガンダムOOのエクシア)を作って送られ、
ちょっと感動してしまいました。
私の部屋のガンダムコーナー(バルバトスしかいない、、、)に一緒に飾らせてもらいました。
文芸会や、読書会でも、
製本所でお願いした冊子を数冊買っていただき、
ありがたや。
くうねるんでは、
窓のちょうど私の座っている場所で見つけられる大きな部分虹を見つけ、
「虹!!」
と叫んでみなさんを驚かせてみたり。
喋りまくり、
少し遅くなった家路の中、
見上げた空が素晴らしい紫、ピンク、薄紅に月までも置かれていて、
感動しながら帰ったり。
自転車を漕ぎながら、
私は、
ああ、この日が特別な日ではないといいな、
と思いました。
世界はどこか天秤の上のようなところがあるから、
誰かに特別に傾く時、
誰かが崖の淵を指で掴むことになるのなら、
どうか、
特別なことではない日であってほしいものだな、と。
自分が、楽しい一日であったはずなのに、
そう思うことの傲慢さよ、と思いながら。
特別で素晴らしい日だったひとは、そのままで、
なんとなくいつもの日だったという人が多ければいい。
せめて悪くなる日ではなかった人が多くありますように。
なんだか自身の誕生日の捉え方が毎年変わってくるような気がするこの日々です。
どうかみなさんの誕生日が恙なく佳き日でありますように。
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