【番外編その4】あたし、息子、旦那-14歳で反抗期を終えた息子とオカンの物語
さて息子ががっつり反抗期だったとき、息子のお父さんとの関係がどうだったのか、そして16歳の「今現在」の彼らの関係について書きたいと思います。
息子が4歳の時に旦那を家から追い出して、それ以来ほぼ一人で子育てをしてきたオカンですが、息子が13歳の時に書いたのがこちらの記事↓
小学生の頃、息子は頑なに「ぼくの夢は、お父さんとお母さんとぼくの3人で住むこと」と言っていました。が、その度に胸をきゅっとして辛くなるんですが「うん、ごめんね、知っているけれどそれはできないんだよ」と言っていたオカンです。
息子が小学生の時はほとんど会ってくれなくてイライラしていたあたしですが、息子が小学校4年生の時に急に息子に会いたいと言い出して、ちょうど息子も言い出したので、息子の精神科医兼カウンセラーのマイクを挟んで会うことになり、この日は息子もかつてない笑顔を見せていました。
その時のことは今も昨日のように覚えていて、アデルの Hello と共に思い出されます。
それをきっかけに、中学生になる頃から、息子と旦那と息子とマイクと3人で会ったりするようになってきて。
マイクについては以下から読めます。
ときどき息子は行きたくないから、なぜかマイク、旦那そしてあたしという大人3人で息子について話し合ったりしていました。
特にあたし的には息子にもっとあって欲しいという気持ちが強くて、なぜ会ってくれない? と半分詰め寄るような、諦めるような、そんな気持ち。
旦那にしてみれば直接連絡したいけれど電話は持っていないんだろ? だから連絡が難しい、と。あたしを介してだと時間がかかるとかなんとか言っていて。
息子は小学4年生の時から一人で学校に行っていたため、わたしの古いiPhone4Sを渡していたけれど、旦那にはぜったいに番号を教えなかったんですね。
これに関しては息子も同意していました。
というのも気分次第で旦那は電話してくる傾向があるので高校受験をさせようと思っていたあたしは、旦那の気分に振り回されては困ると思ったし、今までの話を読んでくださっている皆さんならおわかりでしょうが、なかなかハードな中学時代を送っていたので、そこに旦那の問題までは追加したくなかったというのも本音です。
それにあたしの中で「旦那に面倒見てもらったら息子の将来は真っ暗だ」と頑なに思っていた時期もあったので、とにかく面倒くさいものは排除する(って、旦那なのに😅)、できるだけ関わらないスタンスで子育てをしてきたのでした。
だけど息子が12歳から13歳にかけて本当に大変だった時、あたしの精神はおかしくなってしまって、まさに精神崩壊。
実は泣きながら息子のカウンセラーのマイクに電話したこともあったし、ママ友にも「もう育てるのがイヤだ。誰かに育て欲しい。落ち着いたらまた家に戻ってきて欲しい」と愚痴っていたりしていた時期。
息子の目の前で里親保護センターの電話番号を調べたり、警察も呼ばれたのもこの頃だったはず。
旦那に「1週間くらい預かってくれないか? このままだと頭がおかしくなるから」とマイクとセッションしている時に訊いたら
「いや、わかるけれど、そりゃできるものなら預かりたいけれど、わかるだろ、そんな場所はないし……」
と、旦那はしどろもどろの返事。
「いや、寝袋持たせるし、そのヘンの床に寝転がせておけばいいから。毎日ピザでも文句言わないから」
何が I wish, I hope, I want to do it だよ。
いつもそう言いながら最後には but I can't って言ってんじゃん。
そんな答えはもう聞きたくないよ。
と、毒づいて。
「わかった、1週間は長いね、一晩でいいよ、それならどう?」とかな〜り譲歩して交渉したみたけれど、結果はノー。
マイクも「あきつは一人で頑張っているし、息子くんにとってもお父さんと一緒に過ごすのはすごく良いことだから、どうだろう?」と援護射撃をしてくれたけれど、結果はノー。
まったく使えないやっちゃなー!!!!!!
とまたまた毒づいて。
そんな奴にあたしは「お前はいったいどんな風に育ててんだ?」って言われちまったんだよね! Switchを取り上げる時。
さて、そんなてんやわんやがあったあたし達親子ですが、息子が無事高校が決まり、その頃から息子の電話番号を教えても良いよね? と息子と話し合って、それ以降は彼らが個人的に話すようになりました。
その年が2020年だったので、世界的にパンデミックになってもともと会わない生活だったのがもっと会わなくなり、でも電話で交流はしていた息子と旦那。
パンデミックも落ち着いて、普通に会えるようなった今では息子から「明日お父さんに会うよ、お家に来るよ」という感じで教えてもらって、ほとんどあたし経由で旦那に連絡することもなくなりました。
これがさ〜
すっごい楽なんですよね〜。
旦那に連絡することが、いかにストレスだったのか!
というのがわかった瞬間でした。
息子も「今度お父さんに会うけれど、会えるかな、ま、お父さんだしね」という感じで、お父さん=約束守らない(守れない)認定されていて、なんか息子に申し訳ない気持ちになります。
昔は頑なに父親の家に行くことも泊まることも拒否していたけれど、そろそろもう良いんじゃない? お父さんのターンでいいんじゃない? オカン、たまには一人になりたいぜぇ、と思うんですが、息子的には「いや、ぼくは行かない。お母さんと一緒でいい」と言って、1回もお父さんのお家に泊まったことがない息子。
ということでパンデミックが落ち着いてから月に1回は会うようにはなったけれど、一緒にディナーをするわけでも買い物に行くわけでもなく、ただウチのアパートに寄ってちょっとお話をしてお終い。その時間約10分。そんな交流です。
義理母の時にも思ったけれど、わたしの気分で旦那側の家族との交流を避けてきたから、息子に悲しい思いをさせていると思ってしまうので、これからはもっとお父さんとできる限り交流して欲しいなーと勝手に思ってしまうオカンです。
2006年生まれのアメリカ人とのハーフの男の子のいるシングルマザーです。日々限界突破でNY生活中。息子の反抗期が終わって新しいことを息子と考えています。