"Competition menu: Mazurkas (マズルカ)" 記事拙訳& H.Sumino (11/6追記)
1週間ほど前に書いた記事を上げるかどうか躊躇っていた。その間、国内外の音楽ライターによる角野隼斗(敬称略)のマズルカの絶賛の声が止まないので、1つの記事に纏めておきたくなった。本選コンチェルトの最終日で数時間後に結果が発表されるタイミングではあるが(ヘッダーはマズルカOp.24-1の冒頭;Wikimedia Commonsより)。
個人的にはショパン国際ピアノコンクール(以下ショパコン)でのさまざまなコンペティターの演奏を聴く内に「マズルカ」という音楽にすっかり魅了され、特に角野の予選2次のマズルカ風ロンド(以下動画の1曲目)と予選3次のマズルカOp.24の演奏がとても気に入っている。
日本時間10月13日(水)5時過ぎ、ショパコン予選2次の結果が発表され、予選2次に進出した45名中23名が予選3次に進出することが決まった。通過者の内訳はポーランド人の6名に次いで日本人が5名と多かった。3次の課題曲の1つがマズルカだが、10月12日(月)に国立ショパン研究所から発行されたChopin Courier No.10に偶然マズルカに関する寄稿があった。
今回は上述マズルカの記事(全訳)の前後に、角野の予選2次直後のインタビュー及び海外メディアのレビュー、予選3次直後のインタビュー及び海外メディアのレビューと高坂はる香さんのインタビューを紹介する。
① 予選2次直後の角野のインタビュー
予選2次の演奏(10月10日)直後、角野がポーランドのラジオ局の取材で発言していたマズルカ含む舞踊音楽に関する部分を抜粋する(即興演奏については別途記事を書いているため、そちらを参照願いたい)。
② 予選2次の後のレビュー
英国のクラシック音楽誌「Gramophone」
10月12日の記事では、記事トップに角野の写真が載せられ、ピアニスト兼作曲家でジャズや現代クラシック音楽に精通するNY在住の音楽ライターのJed Distler氏(略歴はこちら)が、冒頭のパラグラフで、錚々たる往年のクラシックとジャズのピアニストの名を列挙し、彼らが名前か苗字の何れかで認知されてきた経緯を振り返る。その後「それでCateenだ。Cateenのことを聞いたことがなくても心配ない。彼は日本でYouTubeのピアノのセンセーションを巻き起こし、数十万人のフォロワーがいる」と始め、角野の略歴を紹介し、マズルカ風ロンドをレビューしている(角野に関する記事の(全)拙訳は私の10/14付のツイートを参照;角野は予選3次の演奏(10/14)後、インタビューに応じた後にTwitterを見たのか、私のGramophoneのツイートに「いいね」をくれた。翌朝にはいいねが400を超え、今は約500。角野の予選2次の演奏に対する海外メディアの反応への関心が高いことを物語っている)。
国立ショパン研究所が発行するChopin Courier No.10のp.5に掲載されていたはロンドンの王立Holloway大学のJim Samson教授が執筆している。予選3次の課題曲であるマズルカについて理解を深めるべく、記事の全訳を行いたい。
③ Competition menu. Mazurkas (課題曲: マズルカ) (記事全訳: 意訳)
【全訳に関する補足】
以下の《》内は、これを読んで下さる方々の理解の一助となればと考え、私が言葉を補足したり、Google検索等で調べて追記したもので原文には含まれていない。また私が強調したい箇所は太字にしている。
【記事本文(全訳)】
1830年11月《20歳》にワルシャワを離れる前に、ショパンは既に少なくとも5つ、できたら6つのマズルカを楽譜にすることを約束しており、疑うまでもなく更に多くのマズルカを即興で作った。その時までに独特の地域の形態が1つの国民的舞踊に収束されたので、マズルカは地域から国へと既に広がっていた。しかしショパンが出版した4つまたは5つの作品のグループで《構成される》最初のマズルカOp.6とOp.7(1832)により、ショパンはマズルカを舞踊作品として統合し芸術音楽のためにそれを定義した。Op.6以降、彼はマズルカを機能的なジャンルではなく(「舞踊のためではない」が彼の決まり文句だった)、伝統的舞踊音楽と現代芸術音楽の間の洗練された対話の場として考えた。Op.6とOp.7のマズルカは後に彼が「我々の国民音楽」と呼んだものの1つの要素を具体化したものであり、それらをヨーロッパのナショナリズムの最初の規範的な作品と見なすことは不自然なことではない。彼がポーランドを去った直後にOp.6とOp.7のマズルカを作曲したことは重要だ。なぜなら《別の場所に》移住することこそ「空間(place)」に集中し《て取り組み》やすいからだ。その後、ショパンはこのジャンル《マズルカ》のために、彼の作品群の中に特別なコーナーを作り上げた。そのコーナーは、彼の内面の感情的な世界を国家の精神に結び付けた、稀にみる技術的技巧のレパートリーと並外れて表現力豊かなコンテンツとともにある。
彼の後期のマズルカでは、エネルギッシュな「オベレク」であれ、穏やかに《身体を》揺らす「クヤヴィアク」であれ、伝統的な民謡形態が見た目に分かりやすい場合もあれば、分かりにくい場合もある。しかし、一般化するためにOp.30のセット(1837年に出版)以降から、農民の踊りの活気はやや後退する傾向にあったことは特筆に値する。同時にショパンは、《マズルカの》セットが正確に統合されたサイクル《流れ》ではないものの、セット内のピースが少なくとも相互に互換性があり、最終ピースが《その》前のピースよりも構造的に大きなウェイト《意味》を持ち、真のフィナーレとして機能することを確認するのにかなり苦労した。後期の3セット(Op.50, 56, 59)---さらに大きな野心と複雑さが見られる。これらのセットは現在では4つではなく3つのグループに分かれ、最も壮大なスケールの舞踊詩であり、調和のとれた対位法の繊細さを豊富に示している(或いは《すぐに分からないように》かなり隠してもいる)。そして、これらのセットはこのジャンルでのショパンの作品に最高傑作群と広く見なされている。その後、1840年代半ばに作曲された最も後期のマズルカの幾つかで、ショパンは初期の作品のよりシンプルな輪郭とより控えめな箇所を復活させた。これは晩年の作曲家による興味深い原点回帰である。(終)
和訳は難しい作業だった。ざっくり要約すると、マズルカはショパンの内面の感情を祖国ポーランドの精神に結び付けようとした作品ジャンル、舞踊曲であっても踊るためのものではない、ショパンが特別に思い入れを持って作曲した作品群と言える。
④ 角野の予選3次(10/14 PMの部)の演奏
⑤ 予選3次直後の角野のインタビュー
(1/3) ポーランドのTV番組(TVP VOD)
ショパコン特集の角野が弾いたセッションに埋め込まれていた角野のインタビューのなかでマズルカに関するインタビューを紹介する(本放送はポーランド語で4人の有識者が出場者の演奏を観ながら演奏を振り返る内容で、角野のインタビューは英語で行われ、ポーランド語に通訳されていた)。
以下の内容(マズルカ(のリズム)とポーランド語の発音の類似性)は、角野が自身のYouTube配信(ラボ配信)で話していたことでもあった。
(2/3) ポーランドのラジオ局でのインタビュー(10/15アップロード; 5'59" ver.)
予選3次の演奏後のインタビューの最後に、即興演奏に合う曲とそうでない曲があるといった話をしている。
(3/3) 月刊ショパンのインタビュー【10/31に公開・追記】
こちらでもマズルカについて話をしている(インタビューが行われたタイミングは予選3次の結果が発表された後、ファイナル初日と思われ、インタビューに応じるのが辛そうにも見えた。一方でファイナリストばかりが注目される中、角野に声を掛けたのは悪いことではないとも思える。ここでは、マズルカの話のみを引用するが、今後のことなど前向きな話が含まれており、私個人としては良い内容だと感じた)
⑥ 予選3次の後のレビュー
(1/2) 英国のクラシック音楽誌「Gramophone」
10/15付の記事では、予選2次の時と同様、トップに角野の写真を載せ、同じ音楽ライターのJed Distler氏が角野のマズルカを絶賛している。
(2/2)Diario dallo Chopin: La terza prova (予選3次の記録)
10/15付の記事はイタリア語のため、Google翻訳で英訳後、和訳にしたため、正確性にやや欠けるかもしれない。この記事の著者は予選のChopin TalkでのMC役のAlessandro Tommasi氏である。
⑦ 音楽ライター高坂はる香さんのインタビュー
角野の予選3次の演奏後、高坂さんが声をかけたことが彼女のツイートに上がっており、角野が「マズルカがよく弾けたのでそれだけで満足」と答えている。
日本時間10/20夕刻にONTOMOに上がった記事「角野隼斗~音の出し方が変わった!音楽家としての生き方も考えたショパンコンクール」では、高坂さんが角野に「20分にわたってインタビューし、コンクールで変わったと感じた弾き方や、この大舞台に出場した理由」を聞いている。ここにもマズルカの話が登場する。
記事の該当箇所を読むことを勧めるが、少し要約すると、「ルイサダがマズルカの魂を全部を伝授してくれた感じ。(特に)左手のバウンス感(オシャレさ)」「僕にとってマズルカとワルツは自分のものになりやすい、なじみやすい曲だった。マズルカOp.24の4曲のうち、2曲目が特に好き。すごく楽しい」
マズルカに恋をした著者の所感
まずは長文にお付き合い下さった皆さんに心から感謝申し上げる。マズルカと角野について過去を振り返ると、2021年7月に放送された「情熱大陸」で角野はマズルカの弾き方に悩んでいた。7月20日の予備予選では緊張気味にOp.24の最初の2曲を弾いていた。10月の予選2次ではあまり緊張することなく、マズルカ風ロンドを軽やかに優雅に弾いていた。本日10月20日付の高坂さんの記事を読むまで、予選1次と2次の間にパリに飛んでいたことは勿論知らなかったが、このルイサダ先生からの呼び出し(追い込みレッスン and/or 猛練習)のお陰なのか、予選3次のマズルカOp.24は6月下旬に紀尾井ホールで聴いた時よりもずっと「オシャレさ」が増していた。9/3のかてぃんラボ「ピアニストの音色辞書」では21の音色の解説をしてくれたことも思い出し、予備予選の後、角野がさまざま方向から研究を重ねたことを改めて知った。
マズルカは、角野が得意とする即興的に演奏しやすい要素も含まれており、短い期間に「これだ!」という感覚、技を身に着けやすかったのかなと思う。勿論、見えないところでの研究、努力が重ねられたことは、私がわざわざ言及するまでもない。
高坂さんのインタビュー記事にマズルカOp.24の2曲目が特に楽しく、すごく楽しいと語っているが、まさにOp.24-2について、Gramophoneの記事でも、ピアニスト兼作曲家でジャズとクラシックに精通し欧米でのコンサート歴も豊富な音楽ライターのJet Distler氏に、クロスリズムとトリオでのリディア調を高く評価され、またマズルカを聴きたいとまで言わせており、プロも角野を評価している。特に予選2次以降、海外メディアからも注目を集めており、世界はHayato Suminoの名と魅力を知りつつある。
【2021.11.6追記】ポーランドのメディア"La Vie Magazine"が自身のFacebookサイトにRiff Pianosalonの投稿(ショパンコンクールでの演奏やサロンコンサートで披露した即興演奏の素晴らしさなどを称賛する内容)をシェアしつつ、角野を最高のマズルカ風ロンド奏者だと賞賛し、彼のYouTubeチャンネルのリンクを紹介している。地元メディアからの賞賛は嬉しい!以下は私のFacebookで英文に翻訳されたものと私の拙訳。
最後に
日本時間10月17日未明にファイナリスト12名の発表があり、大変残念ながらファイナリストには選ばれなかったが、セミファイナリストとして第18回ショパコンの歴史にしっかりと名を刻んだ。10月17日の角野のツイート(以下; 日本語)、インスタ(英語;日本語にはない文章がある)、10月18日に高野麻衣氏が書いた記事「あらゆる音楽経験を糧にーー独自の“ピアノ道”を歩む角野隼斗という個性に迫る」にはショパコンで得たことを糧に次のステップに進む決意が示されている。
私が、ワルシャワフィルハーモニーホールでコンチェルトを演奏する角野を見られないことをいつまでも悔しがっていてはいけない。気の利いたことを全然書けず、だらだらと長文になってしまったが、スタインウェイジャパンのツイートも引用させて頂き、ジャンルも超えて、どの道も極める角野隼斗さん、Cateenさんのワルシャワでの健闘を讃え、今後のご活躍を応援することをここで誓って、この記事を終えたい(また後日、加筆修正をするかもしれないが)。
(終わり)
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