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"Chopin the improviser (ショパン 即興演奏家)" 記事拙訳 & H.Sumino

 今回はショパン角野隼斗(以下敬称略)の共通の特技である即興(演奏)について、予選2次直後の角野のインタビューの関連箇所と国立ショパン研究所(ショパコンの事務局)がショパコン期間中、毎日発行している「ショパコン新聞」No.8に特集された記事の全訳を紹介したい(ヘッダーはショパンが芸術家仲間の前で演奏している画;Wikimedia Commonsより)。

予選2次直後の角野のインタビュー


角野が全世界を感動させた予選2次
(2021年10月10日)の演奏の直後、ポーランドのラジオ局の取材で以下のような発言をしていた。「即興(演奏)」に関する発言を以下の通り抜粋する。念のためインタビュー動画(角野の発言部分の抜粋版;質問の音声が除外されたもの)も貼り付けておく。

※ 英語は角野のほぼ発言のママ(一部、正しいと考え得る語順に微修正)

Chopin's music is sometimes very improvisational.
ショパンの音楽はときに大変即興的です。

I love Chopin so much. I like his sense of beauty, his sense of everything, including sometimes cynical. It's a kind of similar to me.
僕はショパンがとても好きです。僕は彼の美のセンス、全てのセンスが好きです、時に皮肉っぽいところも含めて。そういうところ、僕に似ています。

He loves improvisation, but when he created a piece, it's not completely just improvisation, of course, it's perfectly sophisticated. But, inspiration, maybe I think, comes from improvisation. That balance between them is very beautiful for me.
ショパンは即興が好きですが、彼が曲を作る時、それは完全な即興ではない、当然ですね。それは完全に洗練された曲です。だが、インスピレーションは多分即興から来るものと僕は思っています。即興とインスピレーションのバランスが僕にはとても美しいんです。

偶然にもショパコン日誌 No.8(2021年10月10日発行)の5, 6ページに「Chopin the improviser (ショパン 即興演奏家)」という非常にタイムリーな記事を見つけ、読んだところ、角野のインタビュー、常日頃から角野が(インスタライブやラボ配信などで)話していることに通じる内容だった。ブラウン大学の音楽の教授(Dana Gooley)が具体的なエピソードも交えながら興味深くまとめており、大変読み応えがあり、感銘を受けた。

角野の予選2次のみならず、彼が創り出す音楽と幅広い活動に感銘を受けた多くの方に是非とも伝えたいと思い、和訳を試みた。和訳作業は数時間で行ったため、和訳の質はあまり高くないことを断っておく。参考程度に斜め読み頂き、英語にアレルギーのない方はぜひ原文(ポーランド語・英語)を読むことをお勧めしたい。

以下の動画は、質問⇄回答版だが、上記に訳出した「即興」に関するインタビュー部分はスキップされている。

Chopin the improviser (ショパン 即興演奏家) - 記事の全訳

【全訳に関する補足】
以下の()内は、これを読んで下さる方々の理解の一助となればと考え、私がGoogle検索等で調べて補足・挿入したもので原文には含まれていない。また、私が強調したい部分、大いに共感したり、心を揺り動かされた部分を太字にしている(太字が多くなってしまった・・・)。

【記事本文(全訳)】
ショパンの30年来の親友の一人であるユリアン・フォンタナ(1810年-1869年;ポーランドの法律家・著述家・起業家、作曲家)は、ショパンの即興の才能について次のように書いている。

ショパンは幼少期から、その即興の豊かさは驚くべきものだった。しかし、彼はそれをひけらかさないように細心の注意を払った。そして、とても素晴らしいやり方で、彼が何時間も即興で演奏しているのを聞いた数名の幸運な人たちは他の作曲家(の曲)からのあるフレーズを持ってきたと考えるようなことは決してなかった... 彼らは、ショパンの最も美しい完成した作品は、それら(即興演奏)の単なる反映と反復であることに完全に同意していた。

フォンタナの言葉は魅惑的だ。ショパンのピアノから生まれた(即興)音楽が、彼の書いた作品さえも超えていたという考えは、もっともで反論の余地はない。これは、私たちを(ショパンの即興演奏を聴けた)少数の友人らに対し嫉妬させ、ショパンがリラックスした環境でプライベートにしばしば演奏することが大変幸運なことであることに気づかされる。「あなた(ショパン)はそこにいなければならなかった。」それは、観衆と芸術家の楽しいノスタルジーを彷彿させる。さらに、ショパンが無限の想像力を兼ね備えた真の天才であり、彼の書いた作品が(彼の)ほんの一部の反映に過ぎないことに気づかされる。ショパンの即興演奏についてのフォンタナの説明は、余りにも出来過ぎており、真実ではないように聞こえるかもしれないが、これは真実だ。

1820年代(注:ショパンは1810年生まれ)には、ショパンには熱心に即興練習を行う様々な理由があった。野心的なコンサートピアニストとして、ショパンはイグナーツ・モシェレス(注:チェコの作曲家・ピアニスト)、特にヨハン・ネポムク・フンメル(注:ハンガリー出身のオーストリア系の作曲家・ピアニスト)のような一流の国際的なヴィルトゥオーソ(名ピアニスト)が、聴衆によって求められたテーマで、長くて華麗な「幻想曲(注:作曲者が伝統的な形式にとらわれず、幻想のおもむくまま自由に作曲した作品を指す)」を自由に即興演奏することに長けていることをよく知っていた。したがい、ショパンが1829年に開催されたウィーンのデビューコンサートでこの種の幻想曲を自由に(即興)演奏したことは驚くべきことではない。(ウィーン)市のTheatrezeitungのレビューは以下のように記している:若いポーランドのヴィルトゥオーソ(名ピアニスト)は、即興での幻想曲において、人気のある魅力(「主題がさまざまに変化するさま」)とプロフェッショナル(なピアニスト)としての誠実さ(「穏やかに溢れてくるアイディア(曲)」と「 それらが発展していく豊かさ」)を上手くバランスをとって(演奏して)いた。

しかし、数年後にはショパンはパリにいて、彼の野心は変わっていった。彼はピアノ教師として生計を立てることができると考え、コンサートピアニストとして成功することに対する意欲を失った。ショパンは公の場で演奏することは滅多になく、演奏した時にも自由に幻想曲を演奏することはなくなった。代わりに、ショパンは、自らの創造力を非常に緻密な楽曲を書くことに注ぎ込み、前例のない方法で現代のピアノの音の世界と表現の可能性を探求した。ショパンは音楽のアイディアを練り上げながら、楽器でさまざまなバリエーション(変奏)を試し、友人や同僚に聴いて貰い、その反応を踏まえて改訂していった。これが(まさに)ショパンの作曲手法 --- 完成度、評価、洗練(されていく過程)だ。周囲の人間は(ショパンの)即興(演奏)を、気軽に聞いたり、或いは誤解したりするかもしれない。フォンタナがショパンが他の作曲家(の曲)から「1つのフレーズを持ってきた」のを聞いたことがないのも不思議ではあるまい。

ショパンの完璧主義と、ピアノの即興演奏の名声が急速に低下していることにより、良き友人であるフランツ・リストが自由奔放に即興演奏を行うことから、ショパンを遠ざけてしまった。疑うまでもなくショパンは即興演奏を行うことができたが、即興演奏を続ける動機を失くしてしまった。しかし、ショパンの芸術家仲間の多くの人々、フランスのロマン派は、即興というレンズを通して、ショパンの演奏を解釈することに多くの時間を費やした。彼ら(ロマン派)の首謀者、ジョルジュ・サンドは、即興は芸術的な創造活動の最も高く、最も詩的な形式として理解されるべきだと考えた。なぜなら、それは自発的な感情の最も直接的な発現であったからだ。サンドは、当時パリのサロンのスターだった、亡命ポーランド人の詩人アダム・ミツキェヴィチの即興で作られた詩を称賛した。サンドは、(フランス中央部に位置する)ノアンにある有名な彼女「自由の城」で、詩人に穏やかな音楽の伴奏で詩を即興で作るように勧めた。時折客として(ノアンの城に)招待されていた、画家ウジェーヌ・ドラクロワは、ささっと描かれた芸術的な「スケッチ」には完成品よりも多くのパワーが含まれているという見解を示し、絵画の「構成要素」に与えられた伝統的な名声に挑戦した

ロマン派の間では、ショパンが実際に完成曲を演奏している時でも、ショパンの演奏を「即興」として見立てる、根強い考えがあった。この言葉は、ピアニストの音楽の独特の詩(poetry)と柔軟性(plasticity)を文学的な形で捉えるのに役に立つ特別な魅力を伝えた。亡命ドイツ人の詩人、ハインリヒ・ハイネが、ショパンの即興演奏が彼を普遍的な芸術の領域へと導いたと考えたのはこの精神からだった

ショパンがピアノ(の前)に座り即興演奏する時、彼が私たちに与える喜びに匹敵するものはない。その時、彼はポーランド人でもフランス人でもドイツ人でもない。彼はモーツァルト、ラファエル、ゲーテの域をもはるかに凌駕している。彼の真の祖国は、詩(poertry)の夢の領域だ

ショパンが亡くなってから数十年で即興演奏はコンサートの舞台から姿を消したが、最近になって、1995年のショパン国際ピアノコンクールで3位となったピアニストのガブリエラ・モンテーロ(1970年生まれ;べネズエラ出身で米国で活躍するピアニスト・即興演奏家)が現れた。マルタ・アルゲリッチによって、即興の才能を(世界に)シェアするよう勧められたモンテーロは、その才能を以前は隠す必要があると感じていたが、現在では、リサイタル・プログラムの半分を、聴衆から与えられたテーマで自由に即興演奏をすることを定期的に行うことにしている。彼女の即興演奏の並外れた対応力と多様性は、ショパンが最後の偉大な代表者の1人であった(即興)芸術をより多くのピアニストがスムーズに受容していくという希望を与える。(終)

【参考】ガブリエラ・モンテーロのYouTubeチャンネルで見つけた即興演奏「Amazing Grace」

なんちゃって訳者の所感

まず、私の拙訳を辛抱強く最後まで読んで下さった皆さんに感謝申し上げたい。英語のまま読む方が意味が通じやすいところもある。いや、私が和訳に慣れていないため、理解しづらい訳はあると思う。繰り返すが、英語にアレルギーのない方は是非原文の一読をお勧めする。

昨夜10月10日17時45分過ぎ(日本時間)の角野の演奏と直後の複数のインタビューを聴いた後、Chopin Courier No.8で「ショパン、即興演奏家」の記事に巡り会えたのはとても幸運だった。ショパコン事務局は現代のショパン、角野の演奏の日に合わせて特集記事を掲載したのではないかとすら勘ぐりたくなるほどだ(これは角野ファンの都合の良い解釈か?)。

この記事を英文で読みながら、最近のコンサート、YouTube配信、インスタライブでの即興演奏の数々を思い出さずにはいられなかった。印象深いのは変幻自在に姿を変える「子犬のワルツ」。角野は、ホールでも配信でも、惜しみなく即興演奏を披露してくれる。一期一会の即興演奏のワクワクを思い出しながら、ショパコン新聞の記事を読み、やっぱり角野隼斗がショパンの死後、146年の月日(1995年 - 1849年)を経て、今度は日本人として生まれ変わったようにしか思えなくなった。

ショパンの即興演奏を実際に聴けた聴衆が超ラッキーだったというフォンタナのエピソードは、今の角野の演奏を聴く機会を得るたびに感じてきたことと同じ。生演奏に勝るものはないが、今の時代はYouTube等のメディアを通じ、世界のどこにいても、角野の生演奏の配信、アーカイブにアクセスできる。同じ時代に生を受けたことに感謝せずにはいられない。

角野隼斗がとうとうChopin Courier No.9の表紙に!日本のスターから世界のスターへ!

この記事をUPする前に、Chopin Courier No.9のNewsが来た。該当リンクをクリックしたら、なんと、角野隼斗が表紙にいるではないか!予選2次に向かう前、「任せろ!」と言いたげなポーズでカメラに向かって視線を送っている。Courierの3ページ目では、角野の英雄ポロネーズがめちゃめちゃ高く評価されている(号泣)。該当箇所を抜粋する。

Hayato Sumino alone brought out the essence of the contemplative passage that follows the glorious octaves (other­wise surprisingly ineffective among yesterday’s pianists) and even dis­played some interesting counterpoint.
角野隼斗だけが、華やかなオクターブに続く瞑想的なパッセージのエッセンスを引き出し(それ以外、昨日(10/9)のピアニストの間では驚くほど効果がなかった)、興味深い対位法をも披露した。

【角野隼斗の予選2次(単独動画)】
角野の演奏の時は、同時接続数が45,000以上となり、ショパコン史上最大となった模様(その後の、牛田さんの時も同レベルの接続数だった)。

おまけ

ショパコンでは、再現芸術、ショパンの曲に向き合っている角野だが、彼の持ち味が存分に発揮され、ショパンの名曲の数々も角野の即興アレンジで登場する、最新のYouTube動画を貼ってこの回を締めたい。


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