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座談会「現代川柳のこれから」資料(2022年8月6日 於・北とぴあ)

飯島章友選 
【湊圭伍の5句】
法廷では全てが詩語であるように
教科書の表紙の光沢はぬかるみ
もうデマと妻の区別がつきません
何となく明るいほうへハンドルを
靴音から遙かに閉じゆくみずうみ
  ――すべて『そら耳のつづきを』(書肆侃侃房より)
 
・ 時事川柳にみられがちな揶揄や冷笑ではなく、時に戯画的に、時に詩的抽象性を駆使して現代社会を表現しています。それもあって句意が一方通行にならず、或る層や党派にとって胸がすくだけの川柳にはなっていません。或る党派の危うさとは、それと正反対の党派も実は持っているものです。要するに或る党派だけがマズイのではなく、現代社会全体が問題なのです。  「もうデマと〜」「何となく〜」の句はその文脈(現代社会全体の問題)で捉え、オルテガ『大衆の反逆』や山本七平『「空気」の研究』などを想い出しました。
 私の記憶では、最後の「靴音から〜」の句は湊さんの初期作品。まだ現代詩的なにおいが残っている気がします。これがベースにあるとすれば、その後の湊さんの表現方法も合点がいきます。
 
【川合大祐の5句】
ぐびゃら岳じゅじゅべき壁にびゅびゅ挑む
世界からサランラップが剝がせない
   ――『スロー・リバー』(あざみエージェント)より
あばばばばバカSFに母音あり
馬場眠る漬物図鑑ひらきつつ
死、の文字を、もうすぐあめ、と読み上げた
   ――『リバー・ワールド』(書肆侃侃房)より
 
・ 川合さんの川柳は、一見すると短詩自動生成装置で作られる作品と似通っています。でも本人にとっては、句を書いたそのつかのまの実存を込めているのではないか。何というか、彼からすると〈生〉にたいして整然とした体系などは見出せず、〈世界〉には混沌だけがあるのかもしれません。したがって既成川柳にみられる〈膝ポン〉や〈一読明快〉の書き方は、彼からすると嘘の川柳になってしまうのでは? 川合さんは自分の川柳を「この子たち」とよく呼びます。彼の作る川柳はまさに実存であり、分身であり、体臭がにおいたっていると思うのです。
 私はポストモダン的な価値相対主義はとりませんが、川合さんの句にみられる世界の在り方も別の現実として、好奇心をもって楽しんでいるのです。
 
・ いっとき「意味を取り払う」といった類の言説に惹かれました。が、それはつかのまの悪夢でした。言葉に意味があると前提しなければ創作はできないし、読むこともできないと思います。所謂〈現代思想〉界隈の影響はまったく受けていません。むしろ、それに水をさした人たちから影響を受け、折に触れ彼らの言葉を思い出しては作句をしています。
 
 「絵画の本質は額縁にある」(チェスタトン)
 「(詩人の)作品の最上の部分だけでなく、もっとも個性的な部分でさえも、実は彼の祖先たる過去の詩人たちの不滅性がもっとも力強く発揮されている」(エリオット)
 「もしドアの開閉を望むならば、蝶番は固定されていなければならない」(ウィトゲンシュタイン)
 
【飯島章友の自選3句】
あれが鳥それは森茉莉これが霧
選びなさいギムナジウムか白昼夢
424回混ぜて変になる
 
※飯島のパートのみ抜き出し、一部加筆修正しました。