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ブラジルのお話しvol.2

更新までのスパンがだいぶ長引きましたが更新だけは何とかしてるのでカロリー0。
携帯もここ数年で何回か変えているので残ってる写真も限られてきた・・
いや、そもそもあんまり写真も撮ってなかったのかも・・
もちろん柔術のお話がメインなのですが「ブラジリアン柔術家の海外修行!」なんてのはもうすでに飽和状態だと思うので柔術家でなくとも楽しめる記事にはしたい。
ゲスいのと色物はここでは書けないので気になる人は僕に直接聞いてね、酒でも飲みながら話します。

とりあえず、トランジットも含め半ば30時間ほどの時間をかけてブラジル、グアルーリョス空港に到着。
初の海外の外の空気、ムワっとしてる。


空港に降り立つと黒人が「タクシー、タクシー・・・」と観光客っぽいのに次々声をかけてる。
前もって警戒はしていたので普通にスルー。
ちなみにこれから南米に行くよー、て方。
空港で向こうからタクシーと声をかけてくるのにまんまとついてって乗らないように、
どこ連れてかれるかわかんないよ。

ひとまずは前もって連絡していたブラジル人の友人が迎えに来てくれる予定だったので待ち合わせの時間まで空港内で時間つぶし、ちなみにその友人はむかーし一度だけ大阪に遊びに来ていた時に軽く練習した人。
向こうに渡る前に連絡しておいた、快く泊めてくれることになった。
シェイキーって人、ほんと世話になった(笑)


小腹がすいたからシェイキーが来るまで売店でなんか買い物して軽食。
ちなみにブラジルは英語しゃべれる人割と少な目、たぶん日本人と同じくらいの比率と聞いた。
生きていく上でお金のやりとりは必須だったので数字は比較的に早い段階で覚えたかも。
そんなこんなでぼーっとしてると連絡がきた、外に出ると数年ぶりのシェイキーがいた。
久しぶりのあいさつを交わして早速車に乗り込むと「荷物これだけ?」
キャリーケース一つだけだったけどそんなに不思議か?1,2か月くらいならそんなもんだろと思ってたけど少なかったみたい(笑)
何なら数日の東南アジアくらいなら手提げ一つで何とかなる、今だからだろうけど(笑)

ひとまずこれから世話になる宿はグアルーリョス空港から車で30分程のところにあるSao Miguel(サン・ミゲウ)時刻は20時くらいだったような気がする、暗かったもん。
ちなみにこの時お世話になった拠点となる地域は「ファベーラ」と言って
ブラジルで言うところのスラム街。

暗い
家の前

日も落ちて夜遅くに自宅前についた、今日は遅いのでシェイキーとその彼女とシェイキーの友達、僕の4人で外でピザを食べることに、と「ちょっとその前に」なんか地元の奴らが集まってるところに連れていかれて一人一人
紹介された。
と言うか彼らに俺を紹介してた。
「こんな時間になんでわざわざ?」と聞いたら彼は「このエリアの奴らに僕の連れって言っとかないと危ないからね」と、あぁ・・そういうことね・・

逆を言えば次の日からはこの地域、このエリアにいれば基本は安全とのこと。ただ、「あの大通りを超えてあっち側はだめね」とのこと。
りょーかい。

そして町のピザ屋さんで食事をとってからお待ちかね、夜のクラスの最中だからと明日から世話になるジムに挨拶に行くことに。
飛行機降りてからなかなかハード。

シェイキーも所属していたジム、
カイオ・アルメイダ率いるALMEIDA JJ(アルメイダ柔術)


この時点であのアメリカのおっきいジム、ATOS柔術のアソシエーションだった。(2022年、現在も)

もう最終コマのクラスは終わりかけ


僕が来る数年前はハイアン・グレイシー柔術のアソシエーションだったとか、マニアの人は好きそうな話だ。

ジムを見渡すとクレベル・ソウザ、ビアンカ・バジリオ、当時紫帯だったビアンカの弟、ハウル・バジリオもろもろ言うとキリがない。
当時はまだエルバース・サントスも所属してたかな。
なんとまあワールドチャンプクラスばかり、その時点で(あぁ・・なんか・・あぁ)
てな感じ、期待に胸を膨らませながらもなんかやばそうな雰囲気、これだけは何だろう、言語化できん、ごめん。
とりあえずカイオ達に初めましてのあいさつを済ませてやっとこさ宿に帰宅。
明日の朝から練習だ。さあがんばるぞ。

ちなみに航空会社はエミレーツ。
機内食美味しかった。

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