偶然が世界を変える
Nice-Ville駅から電車で30分弱、駅員もいない、工事中の小さな駅に降り立った。Menton(マントン)、レモンで有名な南仏の小さな町にきた理由はただ一つ。ある場所を訪れるためだった。
午前中にニースのスタジアムでイタリアのキャプテンズラン(試合前のメディア向け公式練習)を撮影し終え、カメラをバッグにしまっている時だった。この日の取材、日本のメディアは私とラグビーライターのSさんだけだった。
Sさんにこの後の予定を聞くと「これからマントンに行こうかと思ってます」と笑顔を見せた。この日は、日本代表の練習公開のない貴重な休養日。「今しか行けないから」とその強い想いに惹かれた。
「それで…、マントンには何しに行くんですか」と尋ねると、Sさんは「ウェブ・エリスのお墓があるんです」と教えてくれた。
ウェブ・エリス、ラグビーに関わるものなら誰もが知っているであろう名前だ。ラグビー誕生に関わる重要人物、ラグビーの生みの親、それがウェブ・エリス。その名はW杯の優勝チームに与えられるカップ「ウェブ・エリスカップ」として今もラグビーの歴史に刻まれている。
知らなかった。イングランド発祥のラグビー、当然ウェブ・エリスの墓も故郷にあるものだと思っていた。Sさんによれば、ラグビー校を卒業したウェブ・エリスはロンドンで牧師として活動し、晩年、病気療養のため温暖なマントンに移り住み、その生涯を閉じたとのこと。
行ってみたい。「お供させてください!」と頭を下げ、Sさんとともにマントンを目指した。
地中海の強い日差しが降り注ぐマントン、Sさんがカラカラの喉を潤そうと駅の自販機にお金を入れたが、自販機は微動だにしない。「壊れてるわよ」と通りかかったおばちゃんが教えてくれた。マントンの駅はそんな殺風景な場所だった。
駅を出て、2人で街を歩く。お昼のランチタイムの終わりに差し掛かっていたこともあり、目の前に飛び込んできた何が出てくるのかわからないレストランに入った。
値段の割にはボリューミーなランチ、店主は「食後のコーヒーは?デザートもあるよ」と声をかけてきたが、きっと追加料金が必要だろうと断った。会計時に「本当にコーヒーもデザートもいいのか?料金に含まれてるぞ」と言われ、驚いたが、すでに胃袋はいっぱい。「グラッチェ」と感謝を告げて店を出た。
「グラッチェ」ー。そう、ここマントンはフランスではあるもののすぐ隣はイタリア。住民や生活の中にフランスよりもイタリアが溶け込んでいる。多様な文化が混じり合う境界の場所だ。
街路樹のレモンの木を横目に、Sさんとともにウェブ・エリスの眠る高台の墓地を目指した。街を見渡してもラグビーにまつわるような景色は皆無。オレンジ色や黄色のカラフルな壁が青い空に映える。
マントンはまさに地中海の小さな田舎町だった。延々と続く細い路地を登ること約20分、小さな墓地の入口に、ボールを抱えたウェブ・エリス少年の像が我々を出迎えてくれた。
青い海を望むその墓地には、たくさんのジャージーと花が添えられいた。場違いなほどにそこだけラグビーの濃い景色があった。墓地を訪れる人は多く、その大半がウェブ・エリスの墓に花を手向けるラグビーファミリーだった。
William Webb Ellis
who with a fine disregard for the rules of football as played in his time first took the ball in his arms and ran with it thus originating the distinctive feature of the rugby game. AD 1823.
ウィリアム・ウェッブ・エリスは、当時行われていたフットボールのルールを見事に無視し、初めてボールを腕に抱えて走り、ラグビーというゲームの特徴を生み出した。西暦1823年 (Deeplによる翻訳)
偶然、一人の少年がボールを持って走り出したことから生まれたラグビーが、世界で愛されるスポーツになった。ウェブ・エリスはフランスの地で盛り上がるW杯の景色を見てどう思うだろうか。Sさんとともに笑いながら細い路地を下った。
フランスでW杯がなければ、ニースで日本代表が試合を行わなければ、そしてSさんに話しかけなければ生まれなかったマントンへの旅。偶然は面白い、ラグビーボールが楕円球であり続ける理由がわかった気がした。
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