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2024、私写真について
2024年、あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願い申し上げます。
年が明けたその日の能登半島地震、そして2日の羽田空港での火災と、
痛ましいニュースが立て続けに起こり、心落ち着かない新年を過ごしております。
石川県は毎年伺う機会があり、個人的にも思い入れの深い街です。
地震のニュースが飛び込んできた瞬間、お世話になった方々の顔が脳裏に浮かび、
心配でなりませんでした。
一刻も早く、みなさまの生活が落ち着き、安心して過ごせる日々が
戻ってくることを願っております。
私が写真をはじめた理由
本来であれば新年第一回目は、商品撮影についてお話ししていこうかと考えたのですが、
こういった出来事の最中で思いっきり仕事の話というのはなかなか気持ちの切り替えが
追いつかないというのが正直なところ。
いっそ少し方向を変え、私が写真をはじめた理由についてお話をしていこうと思います。
というのも、最近にわかにそれを思い出した瞬間があって、振り返ってみようと思った次第です。
![](https://assets.st-note.com/img/1704283782419-d8OXxHaHHm.jpg?width=1200)
フラッシュバック
昨年末、夜の運転中、久々にミスチルの「ファスナー」を聞いていたんです。
(いつもはポッドキャストか、長男の選曲で80年代ポップスを聞いている)
その時ふと、学生時代にこの曲を口ずさんで帰ったときのことを思い出しました。
年の瀬の深夜、東京の冬の空気、サークルの仲間たちと飲んで帰った西調布の線路沿い。
京王線の車両の音、そんな中で口ずさんでいた「ファスナー」。
音楽と記憶は結びつきやすいといいますが、
そんな光景が割と克明に思い起こされたんですね。
確かクリスマスあたりにサークルの男ばかりで集まって、
飲んで騒いだ帰り道だったような気がします。
本当になんてことない、よくある光景なんですが、
それが自分にとってはとても大切な時間だったなと、
今この場所から振り返ると実感します。
また仮に今私がそこに行ったとしても、数年前訪れた時点で
すでに街並みは変わっていましたし、何より私自身も変わっていて、
その時と同じ感覚を共有できるわけではありません。
当時は写真をはじめてもいなかったので、それを形にして残すこともありませんでした。
カメラとの出会い
学生時代は突っ走ることに精一杯で、何気ない日常に目を向ける余裕がありませんでした。
ところが社会人になって環境が大きく変わると、そうやって普通に過ごせることの大切さに気付かされました。
舞台関連の仕事は、それはとてもやりがいがあったのですが、反面生活そのものが疎かになり、
逆にくすぶりながらも悩んで過ごしていた学生時代がとても貴重なことに気づかされたんです。
そういった、日々の言葉にならず消えていくような小さな感情を、
少しでも形にして残しておけないかと手にしたのがカメラでした。
舞台の仕事に挫折した直後ということもあり、そういった日々の悔しさや
どうにもならない感情と向き合うには、写真というメディアが自分には
しっくりきたのかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1704283782391-edJNAgz4lG.jpg?width=1200)
写真の力
写真の、写した光景を他者と共有することができるという副産物も、私にとっては大きな要素でした。
もちろん写した時の感情まで共有できるわけではないですが、
撮った写真を誰かと見せ合う中で、自分のことを少し相対的に見つめ直すことができたり、
また相手を知ることができるというのが、当時の私にとっては魅力だったのです。
今思えば、当時私が撮っていたのは手帳の中の殴り書きに近い、本当にラフな私写真でした。
当時の私にとって写真は、誰かに評価されるためなどではなく、
ただただ日々の世の中との軋轢を、カメラを通して整理するというような、そんな行為でした。
その結果として、同じ写真を撮る仲間と出会い、写真を通じて表現する
ということの面白さに気づくことができました。
そんな動機で写真をはじめた人間が、気づけば写真を生業にして、
会社をどうにか大きくしていかなければと足掻いているのですから不思議なものです。
仕事として、写真を生業にするものとして、常にクライアントに対して
価値あるビジュアルを提供できる存在でありたいと考えています。
ただその一方で、こうして写真の持つ、日常の何気ない感情を形にする力も、
信じていたいと思うんです。
音楽がきっかけで、ふと自分の写真体験の始まりに気づいた、そんなお話でした。
悲しい出来事があまりにも多い昨今ですが、写真というメディアが、
同じように誰かの心を救うことがあるかもしれません。
写真に携わるものとして、もう少し写真の力を信じてみようと思います。
※カバー画像:2008年、武蔵野市内
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