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第6話『名探偵は坂道を登り続ける』

 「松嶋先生はリハビリって
 何だと思ってますか?」

 日崎さんの問いが僕の脳みそを、
 がつんと掴んだ。

   その時、
 僕が理解していたリハビリは
 専門学校や本などで学んだ体の知識と、
 現場での経験、講習会で覚えた技術
 などを用いて、
 患者さんの体の動きを良くする。
 適した運動や生活習慣を指導する。
 手すりや家具配置など住居を整える。

 そうして、患者さんの希望を少しでも
 叶えてあげることだった。

 全ての希望なんて叶えられないし、
 諦めなければならないことの方が
 多かったけど。

 自分なりに、
 こだわりとやりがいを持って
 仕事をしていたつもりだった。

 でも、日崎さんの言葉は、
 僕がそれまで信じてきたことを、
 いとも易々と揺さぶったのだ。

「リハビリの語源を調べると
 ラテン語の、
 Re Habilisになるわ。
 Reは再び。
 Habilisは、
 ふさわしく適合させる。

 歴史的にみると、
 宗教家や没落貴族が何かで失った
 社会的な権利や立場の復権、
 という意味でも使われていたの。

 だから私にとってのリハビリは、
 【私らしく生きることを
 取り戻し、
 再び社会統合を果たす】
 ということ。
 ずっとそれを目指してやってきた。

 ストレッチを受けることも、
 運動することも、
 手すりをつけることも、
 リハビリのほんの一部なのよ」
 
 頭の中がぐらんぐらん
 揺さぶられていた。
 それでも僕は、
 もう少しで届きそうな何かを
 探して日崎さんを見つめていた。

 彼女の言葉から、
 その体から、
 湧き出す何かを見つめていた。

「その人らしさも、
 社会への再統合も、
 それを定義するのは誰?
 もちろん、主は本人であるべきよ。
 でも人間の本質を考えると、
 それは決して独りでは成り立たない」

 僕の思考にぽつりと、
 明かりが灯った。
 それは少しずつ大きくなっていく。

 日崎さんのいう、
 【独りでは成り立たない】
 というのは、
 周りの人間だけの話ではない。

 いくら自分の理想があったとしても、
 その人が属する環境の影響を
 無視することもできないだろう。
 
 同居家族、家の立地や間取り、
 周辺道路の環境、貯蓄など。
 影響を及ぼす因子は数えきれない。

 例えば、
 歩いて買い物に行きたいとして、
 10m歩けばいい人もいれば、
 1キロの人も、
 それ以上の人もいるだろう。

 僕は思わずつぶやいた。

「人間は否応なく、
 他の誰かや何かと一緒に
 社会的な囲いの中で、
 生きてるんですね・・・」

 ついに指定席に腰を降ろした
 日崎さんは、僕の呟きには答えずに、
 最後にこう言った。

「松嶋先生、私、考えたんだけどね。
 こちらの希望ばかり押し付けるのも
 悪いと思ったのだけど、
 担当変更はやっぱりしないで貰いたい。

 私には確固たる理想がある。
 リハビリで目指すゴールがある。
 魂が体を離れるまで止まる気はない。
 でも、私だって弱くて脆い時もあるわ。
 だからこそ、やっぱり、
 自分が信頼した人に支えて欲しい。

 先生、ワガママを申しますが、
 来週からも私のリハビリを手伝って
 下さいませんか?」

 涙が出そうになった。
 日崎さんがその日考えていたこと、
 僕に伝えたかったことが分かった。

 きっと、
 自分の想いを再確認しながら
 僕の立場や事情を汲んで、
 ぎりぎりまで担当変更の件を
 前向きに考えようとしてくれたのだ。

 でもダメだった。
 日崎さんが何故、僕を選んだのか。
 理由はその時の僕には解らなかった。
 僕には日崎さんや辞めた元同僚のような
 特別な能力はなかったから。

 それでも、ただ嬉しかった。

「・・・もちろんです。
 こちらこそ、
 よろしくお願いします」

 涙をこらえながらやっとで
 僕はそう答えて日崎邸を後にした。
 
 時刻はちょうど、
 次の訪問の開始予定時間。
 僕は震えそうな声を押し殺し、
 次の訪問先に遅れる旨の電話をかけた。
 
「あら珍しいですね。
 分かりました、お待ちしてます」

 聞き慣れたはずの家族さんの声が、
 耳元でぼわんぼわんと反響していた。

 
 
 13時過ぎに遅々と
 診療所の事務所に戻った僕は、
 同室のベテランケアマネージャー菅氏に、
 担当はやっぱり変更なしで、と伝えた。

 菅氏は訪問リハを依頼してくれた
 時からの、日崎さんの担当ケアマネだ。

「あら、やっぱり断られた?
 良かったわ~。
 あの人、意外とナイーブさんだから。
 松嶋君の前にも他事業所で、
 何人か訪問リハお願いしたけど
 長続きしなかったもんね」

 それは初耳だった。
 約半年前の依頼時にも聞いていない。
 菅氏に担当変更を打診した時、
 微妙な反応だった理由が分かった。

「旦那とは若い頃に別れて以来、
 音信不通。
 娘さんは超キャリアウーマン。
 お孫さんは外国に留学中。
 親類縁者は九州にいる・・・。
 サービスはみっちり入ってるけど、
 案外と孤独を感じてるのよきっと」

 これも初耳だった。
 そういえば日崎さんとあんなに
 喋っているのに、家族の話を
 詳しく聞いたことがなかったと
 この時気が付いた。

 質問していないはずは無いので、
 本人が巧みに避けていたのだろう。

「やっぱり相性ってあるからさ、
 松嶋君のことは随分気に入ってるはず。
 マニアックな医療系の話とか、
 なんちゃら探偵だっけ?
 あの変わった商売の話も松嶋君には、
 してるみたいじゃない?
 私なんか・・・」

「変わった商売とは何ですか。
 あれはとっても意義がある事業です。
 とにかく、担当変更は無しで宜しく」

 僕は菅氏の言葉を遮る形で会話を切り、
 短い昼休みに入った。
 弁当をレンジで温め始めた時、
 日崎さんの問いかけが再び頭に浮かんだ。

「リハビリって何だと思ってますか?」
 
 日崎邸では結局、
 日崎さんの想いを理解するのが精一杯。
 僕にとっての答えは、
 まだ出していなかった。

 僕は電子レンジの動作音をBGMに、
 名探偵になったつもりで考えてみた。


 僕が経験してきたリハビリは、
 特に介護保険分野が多かった。
 先ほども書いた通り、
 その数年間、
 自分なりには真剣に前向きに
 仕事をしてきたつもりだった。

 しかし思い返すほど、そこには、
 影の主役が居座っていたのだ。


 介護保険の対象者は基本的に65歳以上。
 訪問リハビリに依頼がくる方は大概、
 過去に大病や大きなケガ・手術を経験し、
 筋骨格・神経・精神に制限を抱えている。

 所説あるが例えば、
 体を支えたり運動する為の筋肉は
 30歳がピーク。

 頭脳労働者で運動習慣が無ければ、
 1年間で1%ずつ減っていくという
 研究報告もあるので、
 65歳では既にピーク時から
 3割ほど減っている可能性がある。
 
 そしてややこしいことに、
 減った筋力を再び取り戻すには、
 10倍時間かかるというのが通常だ。


 それでも、例え100歳であれ、
 食事・睡眠・適度な運動の三拍子
 が揃えば筋肉は太くしなやかになる。
 関節も神経も基本的には同じで、
 条件が揃えば機能は改善しうる。

 ただ、加齢によって体には、
 消化吸収力の弱化。
 ホルモンバランスや量の乱れ。
 呼吸と血行の弱化。
 それ以外にも様々な変化が起きる。

 相応の努力をしなければ
 例え病気やケガが無くても、
 心身は坂道をずり落ちるように
 弱っていってしまう。


 加えて、
 1週間の絶対安静や寝たきり状態で
 筋肉はなんと最大で10%も減りうる。
 手術などで、
 安静・寝たきり期間が2週間、
 1ヶ月と続けば、落ち方はもっと激しい。

 炎症や腫れが治まると病院でも
 リハビリが始まるが、
 落ちた筋力を全て取り戻すには、
 時間が足りない。
 法律で入院期間も決まっており、
 トイレに行くなど最低限の条件が
 達成できたら、
 退院となる場合も多いのだ。


 退院後も厳しい現実が待っている。

 入院中はリハビリ担当が、
 1日に2回以上は病室にやってきて
 運動を促すので、
 嫌でも運動量が維持できる。
 また、食事も睡眠も管理されるので
 回復に必要な三拍子が揃いやすいが、
 自宅ではそうはいかない。

 よほど治癒過程が良好か、
 運動経験や習慣があった人でなければ
 容易に運動不足になる、
 食事も偏る。
 
「退院した時は、
 もっと歩けていたんだけど・・・」

 これは訪問リハビリでよく聞く台詞だ。

 人間誰しも、
 しんどければ寝ていたいし、
 食べたいものだけ食べたくなる。

 退院時、わが身と共に家に持ち帰る、
 痛み・しびれ・神経麻痺などの
 様々な後遺症がそれに輪をかけるのだ。

 こうした経緯を経て、
 体の色々な機能が落ちた状態で
 ようやく訪問リハビリに依頼がくる。

 時には、退院直後から依頼がある
 場合もあるが、
 訪問リハは最大でも、週に3回40分ずつ。

 訪問リハビリでも運動はするが、
 病院でのリハビリとは明らかに頻度が違う。

 だから最終的には、
 その人の生活や体に対する意識
 そのものが変わらない限り、
 回復し続けていくのは極めて難しい。


 だけど。
 痛み、麻痺で思うように動かない体。
 運動不足による筋力や体力の低下。
 家事や社会活動から
 遠ざかることによる、
 記憶力、判断力など認知力の低下。

 元気だった頃の自分との乖離の大きさに、
 数ヶ月前の【当たり前】が
 当たり前ではなくなってしまった現実に、
 驚き、呆れ、夢なら良いと何万回も思う。

 医者やリハビリ担当者から告げられる、
 必要な運動量や生活習慣改善は、
 時に非現実的で別世界のことのよう。

 どうしてこんなことに!
 どうして自分だけが!
 〇〇のせいだ!
 
 日崎さんが以前言っていた通り、
 始めに【怒り】が沸いてくる人が多い。
 怒ることは一時的な現実逃避と、
 生きるエネルギーをくれる。
 しかし、決して未来を創りはしない。

 朝起きる度、鏡を見る度、
 当たり前だと思っていたことが
 できない自分を見つける度、
 現実という大波が当人を飲み込んでいく。

 するといつしか【諦め】が顔を出す。
 年だから・病気だから・手術をしたから、
 そんな言い訳を口にしながら、
 徐々に動かなくなっていく体を、
 ただただ傍観するようになる。

 諦めはその領域をじわじわと広げて
 周囲の人々にも伝播し、
 やがてその人の未来を決定づける。

 だが、それを誰が責められるだろうか?

 これが僕が見てきたリハビリの現実。

 目標達成して、
 訪問リハを卒業する方はごく僅か。
 あくまで主役は【諦め】だ。

 「リハビリって
  何だと思ってますか?」

 この問いかけに
 答えられなかった理由がこの時、
 はっきり分かった。

 他の誰でもない僕自身が、
 いつの間にかリハビリというものの
 価値を諦めていたからだ。
 だからこそ、
 何十年も【坂道】に抗い続ける
 日崎さんに特別な敬意を覚えたのだ。

 こうして名探偵・日崎マイ子は、
 僕の上っ面を見通して見事に、
 その奥にある真実に
 明かりを灯したのだった。

 そこまで至って思考が一度停止した。


 目の前の電子レンジは
 とっくに止まっていて、
 温めたはずの弁当は、
 すっかり冷めているように見えた。

 電子レンジ特有の、
 水分が飛んでしまった冷め方が
 僕はとても苦手だった。
 もう一度温めようか迷ったが、
 時間も無かったので、
 諦めて結局そのまま食べることにした。
 
 何度かやらかしていて、
 その度に管氏などに宥められるものの
 いつもすぐに温め直していたから、
 この状態で食べるのは初めてだった。

 日崎さんなら温め直すかな?

 何の脈絡もないことを思いながら
 食べた弁当は、
 意外にまだ温かく、
 具材の中はしっとりさえしていた。

 冷めているように見えたのは、
 外側だけだったようだ。

 なんだ、これなら十分食べられるな、
 外カリ中フワと表現しても良いかも。

 嬉しい驚きを味わいつつ、
 今まで無駄にしたであろう電気代や、
 温め直したことで更に飛んでいった
 であろう水分が気になった。
 そんな自分がみみっちくって、
 でもちょっと面白くて、
 ひとりでふっと笑った。

 そして管氏や日崎さんに話したくなった。

 突然、脳髄に電撃が走った。
 頭の中を直接引っぱたかれた感覚。 

 冷めてしまったと思ったのも自分。
 そのまま食べてみぃと言われても、
 きっと美味しくないから
 と食べなかったのも自分。
 今回は食べてみようと思ったのも自分。

 意外な美味しさと、
 今まで自分の思い込みで浪費したかも
 しれないものたちに思いを馳せ、
 愉快になったのも、
 それを誰かと共有したくなったのも、
 全部自分だ。

   【弁当を温め直すかどうか】
 
 などという些細なことの中に、
 どれほど多くの自分がいて
 小さな自己決定が繰り返されているのか。

 しかもそれは、無意識に育んできた
 固定概念にがんじがらめで縛られ、
 一見、他者の言葉など入る余地がない。
 それなのに、
 何でもないようなタイミングで
 するりとほどけて頬を緩ませ、
 誰かと分かち合いたくなる。
 
 その日、
 日崎さんが言っていた通りだ。

 人間というのはなんて自分本位で、
 そのくせ、どうしようもなく
 他者を必要としてしまう
 生きものなのだろうか。

 だけど・・・。
 いや、だからこそ、

「人間は面白いのよ。
 だから、私は人間が好きなの」
 
 日崎探偵の声が聞こえた気がした。
 僕も心から、そう思った。
 そしてもう一度、
 始めの問いに思考を巡らせた。

 日崎さんの言葉通り。
 リハビリとは、一方的に他者が
 与えられるものではない。
 そのゴールも必要な条件も、
 その人自身が作り上げるものだ。

 だが、
 身体的・精神的・社会的に
 様々な囲い・制約があることと
 人間の本質上、決して、
 独りでは成り立たず、継続できない。
 あの日崎マイ子でさえそうなのだ。

 だからこそ、
 1人では成立しないからこそ、
 支援者が要る。

 それはきっと、
 固まった筋や関節を一瞬で緩めたり
 神経の働きを高めるような
 特別なテクニックや、
 病気・人体・薬等についての先端知識
 をもつだけの専門家ではない。

 必要なのは、

 本人とは別の視点をもちながら、
 その人が目指す大きな目標を尊重し
 共有する理解者であり、
 時には叱咤激励もできる、
 そして何よりも
 決して諦めに飲み込まれない存在だ。


 しかし、
 それがとても難しいことは
 自分自身が一番良く分かっていた。

 なら僕に今できることは・・・
 なんだ? 

 弁当はとっくに食べ終え、
 短かったはずなのに長く感じた昼休み
 も終わりかけ。

 僕は午後の訪問準備中も、考え続けた。
 相棒の原付に鍵を差し込み
 エンジンをかけ、
 午後1件目のお宅に向けハンドルをきる、
 その時まで考え続けた。

 しっくりくる答えは思いつかなかった。

 日崎さんが僕を必要としてくれる理由も、
 やっぱりまだ分からなかったし、
 小さな自分と大きな自分を理解して
 受け止める度量もまだなかった。

 それでも、
 名探偵が教えてくれた
 リハビリの本当の意味とその価値を信じ、
 這ってでもそれを体現し続けることで、
    老化や病気がもたらす、
 【諦め】という名の見上げるような坂道を
 誰かと一緒に登り切ることだって、
 できるかもしれない。

 それだけは強く思ったのだ。

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