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第8話『迷子の名探偵』

 日崎さんと出会ってから
 2度目の春は、
 不思議な電話から始まった。

 あれは3月下旬頃、春分の日も過ぎて
 外の風や空気にうっすらと
 春の輪郭が見え始めた頃。

 僕が午後の訪問を終え診療所に
 戻ってくると、菅ケアマネが
 するするっと近づいてきた。

「松嶋君、おかえり!
 あなたに電話があってさ。
 日崎さんの娘さんから」

 日崎さんと聞いてドキッとした。
 名探偵は冬の寒さで、
 体のこわばりが増していたのが
 積み重なって調子が悪かったから、
 何かあったのかと思ったのだ。

「詳しくはわかんない。
 とにかくあなたと話がしたい、
 またかけ直しますって。
 私も娘さんとはほとんど
 喋ったことなかったし、
 向こうからかかってきたことも
 無いからびっくりしたわ。
 
 松嶋くん何かやらかしたの?
 じゃ私は帰るから~また来週!」

 そう言い残して、
 菅さんはさっさと帰ってしまった。

 菅さんとは職種や年齢は違えど、
 入職から約10年来の同僚。
 ケアマネジャーと訪問リハとして
 同じ患者さんを担当することも
 多かったから、
 僕が過去にやらかしたアレコレ
 もよーくご存じだ。

「ここ数年はやらかしてませんよ!
 お疲れさまでした~!」

 管さんの背中に向かって言った傍を、
 その当時唯一の後輩が
 含み笑いで通り過ぎ帰っていった。

 面目丸つぶれだよ、全く。
 などと1人愚痴りながら僕は困っていた。
 日崎さんの娘さんの要件が、
 とても怖いがとても気になる。
 だが、その日は金曜日で、
 土日は休日だったから2日間空く。

 かといって、
 18時近くにかけ直すのは気が引けた。
 管さん以上に僕は、
 娘さんの人となりを知らなかったし、
 当然喋ったこともなかったのだ。

 訪問リハビリをしていると、
 自然と患者さんの同居家族さんとは
 話す機会が多い。
 また、別居であっても、
 頻繁に出入りしている場合は
 よく顔を合わせるので何かと話した。

 だが、日崎さんのように
 1人暮らしで家族の気配がしない家は
 当然、全く関わらない。
 そういう家は、下手に連絡すると
 嫌がられることさえあるので、
 ケアマネジャーでも滅多に連絡しない
 場合もあるのだ。

 そういう訳でリダイヤルもできず。
 僕は後ろ髪を引かれながら帰宅したが、
 その次の週以降、
 日崎さんの娘さんからの電話は
 結局なかった。

 4月に入り風はすっかり春だったが、
 平年以下の肌寒さが続いていた。
 名探偵は冬からの不調をまだ引きずり、
 本調子では無かった。

「黄金の時間、私の時間・・・。
 まだ4時間と半分ってところね・・・」

「筋や関節の変な固さは、
 もう無いですよ」

「そう、それがまた問題なの。
 筋骨格系の問題が少ないなら、
 神経系の問題ってことになっちゃう。
 そうなると、
 やっぱり大原ちゃんに相談か・・・」
 
 大原ちゃんというのは、
 某大学病院の院長兼理事長で
 日崎さんの昔からの主治医だ。

 業界の中でもかなりの重鎮だが、
 日崎さんに言わせると、

「大原ちゃんは、
 私のボーイフレンド1号よ」

 ということだった。
 日崎さんが発病してからずっと主治医で、
 困難を極めたという薬の調整も二人三脚
 でやってきた。
 いわば、黄金の時間の生みの親の1人だ。

「大原ちゃんには相談したいことが
 あるから丁度良いか・・・。
 でも急ぎの案件も目処をつけたいし、
 ああ時間が足りないわ・・・」

 その時の日崎さんは、
 困っているのか楽しそうなのか
 よく分からなかった。

 その時は改めて、
 主疾患であるパーキンソン病について
 研究や論文を調べていたはずだ。

 英語やドイツ語も、
 大雑把だが読めたらしい名探偵は
 病気の成り立ちから新薬の治験まで、
 あらゆる情報を集めようとしていた。

 また次の訪問の時、
 主治医と話したという日崎さんは
 何だかそわそわしていた。
 精神的な動揺は一切見せない人
 だったから良く覚えている。

「相談はきっちりできたんだけど、
 大原ちゃん、ついでに依頼をくれたの」

 20年来の主治医は当然、
 日崎さんの探偵業のことも了承済み。
 むしろ面白がって話を聞きたがり、
 日崎さんからの医療的な質問にも
 快く答えたりしていたらしい。

 それでも、直接の依頼はこの時が
 初めてだったようだ。

「さすがに大原ちゃんの頼みだから
 断れなかったんだけど、
 正直私、気が重いのよ」

「えっ!日崎さんでも、
 そういうことあるんですか?!」

 これも、今でもよく覚えている。
 どんな小さな依頼に対しても、
 冷静で真摯に取り組む名探偵に
 あるまじき発言だった。

「私だって人間ですもの。
 そりゃちいっとばかし、
 他人様より色んなことを見聞き
 してきたかもしれないけど」

「ちいっとじゃないと思いますけど。
 それで、何が嫌だったんです?」

「嫌じゃないの、気が重いだけ。
 些細なニュアンスって大事よ、先生」

 日崎さんはそうぼやきながら
 問題の依頼について教えてくれた。

 依頼人は日崎さんの主治医である、
 大原ちゃんこと
 某大学病院の神経内科医。

 内容は、
 担当しているネガティブな患者さん
 をどうにか直せないかというもの。

「要するに、何でネガティブなのか
 謎を解いて反転させてくれってこと」

 これは確かに畑違いだ。
 しかし、いつもの日崎さんなら逆に
 面白がりそうな気がしたので更に問うと、

「それがね、
 そのネガティブな患者さんは
 パーキンソン病なのよ。
 しかも、私よりかなり軽症のね」

 依頼の概要はこうだ。


 話題の主は、60代男性の加茂さん(仮)
 年末頃に歩きにくさなどを訴え来院し、
 検査の結果、
 軽度だがパーキンソン病だと診断された。

 主治医となった大原医師は、
 さっそくパーキンソン病の
 原因や予後の説明をし、
 薬を幾つか試していくけれど
 かなり軽症だから安心するよう伝えた。

 その日はそれで終わったのだが、
 2週間後の受診予定日、
 娘さんから電話があり、

「父はあれからふさぎ込んでしまって。
 一歩も外に出ようとしないんです」

 と、小さな声で
 申し訳なさそうに言われた。

 大原医師が事情を聞くと、
 パーキンソン病と診断された翌日、
 パソコンや書籍などで徹底的に
 情報収集した加茂さんは、
 娘さん曰く、絶望してしまったようだ。

 大原医師は信じられなかったらしい。

 何しろ加茂さんは
 一見すると普通に歩けていたし、
 診察時の検査では、
 片脚立ちや後歩きまでできていた。

 また、同居の娘さんによると、
 日崎さんのような1日の中での変動、
 いわゆるON/OFF症状も無さそうだった。

 僕もパーキンソン病の患者さんを
 何人か担当したことがあったが、
 加茂さんくらい動ける方は知らない。

 大原医師はもう一度、
 現状と治療方針を説明したいから、
 とにかく本人に来て欲しいと頼んだ。

 すると次の週、
 娘さんと一緒に加茂さんが来院した。
 大原医師は言葉を尽くして説明したが
 ご本人は、

「ワシはもうあかんのです。
 治す手段が無いから難病なんでしょう?
 治療より、公的な支援の手続きを
 お願いしたいのです」

 と言うだけで一向に話を聞こうとしない。

 大原医師は、

『確かに加茂さんの言うことも
 間違ってはいないが、
 あまりに極端すぎる。

 今は服薬無しでも問題無さそうだが、
 経験上、早めに服薬調整をした方が
 将来の機能低下が緩やかになるから、
 調整はできるだけ早く始めたい。

 また、初めて来院した時に比べると、
 明らかに歩くのがおぼつかない。
 本人はそれも病気のせいだと
 思っているようだったが、
 これは明らかに閉じこもりで
 運動不足になったことが原因では。

 だが、次回の予約はとったものの、
 ご本人の様子では定期受診は難しい』

 そう考えた。

 ならばと、
 ひとまずご本人の希望通り、
 難病の公的支援を受ける為の書類
 を早急に準備すると共に、
 筋力体力低下予防に訪問リハを勧めた。

 運動ついでにリハ職から、
 現状と服薬の意義を説明して貰えば、
 少しずつでも理解が進むだろう
 と期待したようだ。
 
 だが、訪問リハを開始して
 3ヵ月が経過しても、
 状況は全く変わらなかった。

 定期受診予定日には毎回、
 娘さんが申し訳なさそうに
 電話をかけてきてキャンセルする。
 電話の際に娘さんに確認しても、

「父はあれ以来、
 ふさぎ込んでしまって・・・」

 という言葉だけ。
 このままでは、
 パーキンソン病の進行を待たず
 歩けなくなってしまうかもしれない。

 そう思った大原医師は、
 日崎さんに相談しようと思い立った。

 大原医師が知る中で
 最も勇敢に粘り強く病気と闘い、
 付き合ってきた日崎さんなら、
 加茂さんを説得できるかと
 思ったからだそうだ。

「そういう訳で、依頼をくれたのよ。
 でも私、この案件に関してはまだ
 探偵に徹しきれないわ」

 日崎さんの話を聞いていて
 僕はなるほどと思った。

 日崎さんは本当に他人のことを
 悪く言わない人だったから
 表現が曖昧になっていたけれど、
 腹立たしかったのだ。

 自分と同じ病で、同じく早期発見。
 そこから自分のたどった道筋が
 険しかったからこそ、
 加茂さんには大原医師の治療を
 早くからしっかり受けて欲しい。

 まだまだ体も動くのだから
 閉じこもらず、
 運動したり旅行したり、
 人生を楽しむことができるはず。

 それなのに加茂さんは
 早々と諦めて自暴自棄になり、
 自分で自分を弱らせていた。

 しかも、それら全てを病気のせいに
 していたのだ。

 どんな理由であれ、
 日崎さんは心穏やかでは
 いられなかっただろうと思うが、 
 僕は【3ヵ月前から】知りたいと
 思っていた。
 加茂さんの極端すぎる行動の裏に
 どんな背景があるのか?

 そう、この時、僕は日崎さんに
 ある隠し事をしていた。

 3ヵ月前から、
 加茂さんの訪問リハビリを
 担当していたのは、僕だったのだ。

 加茂さんの訪問リハビリ依頼は、
 初めは当時の勤め先だった診療所
 の母体である総合病院にあった。

 大原医師の大学病院と
 提携関係にあり、
 大学病院からの出向医師もいたので
 話があったらしい。

 その後、訪問範囲の関係で診療所
 に回ってきた。
 ケアマネージャーも未定だったので、
 菅さんとセットで
 僕が担当することになったのだ。

 加茂さんの様子は大原医師の依頼通り。
 3ヵ月経っても状況が同じなのも、
 悔しいけれどその通りだった。

 自分が行き詰まっていた案件に
 まさか名探偵が関わってくれるなんて
 その日まで思いもしなかったが、
 またとないチャンスだと思った。

 日崎さんの話を聞いていて
 これはもしやと思った時点で、

「加茂さんの担当は僕です!
 現場アシスタントします!」

 と元気よく、
 話の途中でも名乗りをあげようか
 とも思ったのだが、
 結局あえてそうしなかった。

 加茂家にはまだ、
 この時点では日崎探偵が知らない
 奇妙な点があったし、
 僕がアシスタントになれば
 名探偵の仕事がやり易くなるのは
 重々分かっていた。

 だけど僕は見てみたくなった。
 日崎さんがこの案件にどうやって、
 どんな風にあかりを灯すのかを。

 誰よりも近くで、
 誰よりリアルタイムで、
 見てみたくなってしまったのだ。

 この自己本意で軽はずみな決断を
 いずれ僕は後悔することになるが、
 その時はまだ、
 名推理小説の唯一の読者になった
 ような浮かれた気分だった。


 いつの間にか桜が咲いて、
 いつの間にか散っていった。
 平年よりも遅かったが、
 ちゃんと春が来ていた。

 気が重いと言っていた
 日崎さんだったが、
 さすがに仕事は早く加茂さんの
 情報収集を速やかに始めていた。
 とはいえ、
 訪問リハビリしかサービスが
 入っていなかったので必然、
 隠し事がばれるピンチだった僕は、
 前もって先手を打った。

 総合病院の訪問リハ名義で、
 大原医師から依頼されたからと
 日崎探偵事務所に報告書を送ったのだ。
 もちろん僕が知る限りの情報を載せた。

「話が分かる担当者で助かったわ」

 と日崎さんは喜んでいたが、
 内心僕も、よしこれでしばらく
 バレずに済むぞと思っていた。

 訪問リハ担当者(自分)からの
 情報提供内容は要約すると以下の通り。

 ◇訪問リハビリは週2回契約

 ◇加茂さんの精神状態は、
  主治医の印象と娘さんの証言通り。

 ◇妻は10年以上前に死去。
  以来、娘と同居。

 ◇加茂さんの運動能力は、
  非常にムラが あって正直不明。
  手のふるえやすくみ足も見られるが
  ごく軽度。

 ◇娘さんは毎回在宅されているが
  基本的に自室で訪問リハと接点はない。

 ◇訪問リハでは、
  ストレッチ・関節調整・基本的な運動
  屋内外歩行促しなどを実施。
  基本的に協力的だが、
  屋外歩行だけは怖いからと拒否。

 以上。

 本人と話すにはまだ早いという判断で
 訪問リハビリ以外の情報源は、
 娘さんとケアマネージャーに限られた。

 しかし、ケアマネージャーの菅さんは
 月1回程度の訪問だし、
 守秘義務だからとほとんど情報提供は
 無かったようだった。

 娘さんとは、大原医師が紹介した
 臨床カウンセラーという役回りで
 何度か話していた。

「それで日崎さん、進捗はどうですか?」

「そうね、訪問リハビリからの報告書と、
 ケアマネ、娘さんと話した感じでは、
 方向性は見えてきたわね」

「えっ!
 もう見えてきちゃったんですか?」

 僕が3ヵ月かかっても見えなかった
 何かが、名探偵には見え始めていた。

「でも、あと少し情報が欲しいのよ。
 先生、訪問リハの担当者に
 幾つか質問してくれないかしら?
 同じ法人でしょう?
 報告書に署名がないから問い合わせ
 できないのよこの人」

「もちろん!
 速やかに返答するよう言っときます!」

 結局アシスタントをしていた
 僕だったが、自分の存在を消しつつ
 起承転結を見たかっただけで、
 元々邪魔する気は無かったから
 問題無かった。

 日崎探偵が追加で質問したのは、

 一、運動能力のムラはON/OFF症状か
   また、開始当初と比べて
   能力低下が見られるか?

 二、加茂さんは本当に閉じこもりか?
   外出している形跡はないか?

 三、加茂家の経済状況

 四、ご本人が一番大事にしていること

 少々難題が含まれているが、
 僕は気合いを入れてその翌日、
 加茂家の訪問に向かった。

 加茂さんは
 つかみどころの無い人だった。
 決して無口ではないが、
 肝心なところは黙秘するか
 上手に話題を逸らしていた。

 日崎さんに報告した通り、
 提供する運動に対する拒否はなく、
 むしろ凝り性で
 細かい出来まで気になる人だった。

 その為、訪問時に行っていた運動は、
 少しずつ上達していたくらいだ。
 しかし、本人に告げても全く喜ばず。
 不思議なことに、
 その次は必ず一旦下手になった。

 また生活も謎が多かった。
 職業柄どんな方にも1日の生活
 を聞いていたが、
 加茂さんは1日中何もしていない、
 買い物・食事準備片付け・掃除・洗濯
 など全て、娘がやってくれている
 と言っていた。

 確かに、運動などをしていた
 リビングはいつも物が少なくて
 小ぎれいだったし、
 ちらと目に入るキッチンも同じ。

 僕自身、独り暮らしが長く
 料理も好きだったので、
 実際に使われているキッチンだと感じた。
 間違いなく誰かの手が入ってはいるが、
 その誰かは相当、きっちりとした性格で
 ある印象だ。

 配食サービスは不味い、
 ヘルパーは必要ないから
 という理由で利用がなかったし、
 娘さんが実はよく動く人なのかな
 と最初は思っていた。

 だが僕が訪問中、
 あまりにも娘さんの気配が無いのが
 徐々に気になりだした。

 元々活発ではなさそうだったし
 父親の客とあえて接触したくなかった
 のか、実は毎回外出していた可能性も
 ゼロではなかった。
 
 だが、本当に娘さんが
 家事全般を担っていたのなら、
 もっと顔を合わせたり、
 挨拶やお茶出しをする方が自然だ。

 また、家の前に置いてある電動自転車
 には僕が訪問した時はいつも、
 雨避けのカバーがきっちりしてあった。
 多少汚れているが、
 放置されている汚れ方ではなく
 誰かが定期的に使っている様子だったが、
 少なくとも僕が訪問中ではなかった。

 それに、加茂家の近所には、
 徒歩圏内に食料品店などは無かったから
 買い物の線も薄そうだった。

 結局、加茂さんが定期的に、
 リビングの奥にある娘さんの部屋を
 気にするそぶりをみせること。
 漏れ聞こえてくるテレビの音、
 加茂さんの
 娘の世話になってる系の話だけが、
 娘さんの存在を思い出させるという
 状態だった。

 訪問リハビリの利用についても、
 契約自体は週2回だったが
 キャンセルも多く、
 まるで計算しているかのように
 月換算すると週1回ペースを保っていた。

 そんなミステリアスな加茂さんが唯一、
 はっきりと本音を言ったことがあった。

 あれは確か、
 四つ這いの運動の説明の為に、
 子どもの発達の話をした時だ。

「私は仕事ばかりで、
 娘が幼い時からあまり家にいなくてね。
 気がついたら大きくなってた。
 妻に任せっきりだったから始めは、
 関わり方が分からんかったですが。
 そんなに多くは喋らんけど、
 一緒に暮らしていると本当に
 安心するんですわ・・・」

 と言っていた。
 結局それっきり黙り込み、
 その後はそれまで以上に、
 時事ネタ・天気や、営業マン時代
 からの習慣だという、
 株価・経済・日用品の価格などの
 話だけになってしまったが。

 結局、僕が日崎探偵の追加質問に
 回答として報告書に記載したのは
 以下の通り。

 ◇加茂さんの運動能力のムラは、
  ON/OFF症状ではなく
  意図的である可能性がある。
  開始当初からの能力低下は無い。

 ◇加茂さんは、
  話の内容や娘さんの気配の無さ、
  部屋や自転車の様子から、
  外出や家事をしている可能性がある。

 ◇言動、介護保険サービスの使い方、
  訪問リハのキャンセル率、家の様子
  などから、
  支出管理は相当きっちりしている。
  収入・貯借金は不明。

 ◇加茂さんが大事にしているのは、
  おそらく娘さんとの今の暮らし。

 僕は報告書を、
 ちゃんと総合病院近くのポストに
 投函すると、次週、
 名探偵の推理を聞きに日崎家を訪れた。


 日崎さんは珍しく疲れた様子で、
 これまた珍しく眉間にしわを寄せ
 考え込んでいた。

「・・・日崎さん?
 どうかしました?」

「少し気分が悪いだけよ、
 ありがとう。
 加茂さんの案件で困ってたから・・・」

 初めて見る弱気な姿と声に、
 僕はいっぺんに動揺した。

「リハからの報告書が届いてません?
 内容が何か変でしたか?」

「報告書はちゃんと届いたし、
 聞きたかったことも書いてあった。
 おかげで真実らしきものが見えたわ」

「えっ!」

 今度はいっぺんに驚く番だった。
 依頼を受け動き出してから1週間たらず。
 解決に向けたそのスピード感は、
 今まで何度も見て、聞いてきた。

 だが、自分が関わった案件で且つ、
 その不可解さを体感しているが故に
 驚きは大きかった。
 
 それにしても、
 真実にあかりを灯したのなら、
 名探偵は何に悩んでいたというのか?

「色んな情報のつじつまを
 合わせていくと答えはひとつだった。
 加茂さんは、疾病利得者だと思うわ」

 正直、初めて聞く言葉に
 僕がぽかんとしていると、
 名探偵は相変わらず眉間にしわを
 寄せながら説明してくれた。

「疾病利得というのは、
 自身が病気であることで
 何らかの利益を得ることよ。

 障害年金、医療費補助など
 金銭的なもの以外にも、
 周囲の人から心配して貰える、
 手伝って貰えるとか
 精神的な利得もあるわ」

 ああ、そういうことか。
 日崎さんの説明を聞いた瞬間、
 加茂さんに対して今まで感じていた
 違和感の数々が弾けて消えた。
 そして、
 日崎さんの眉間のしわの理由も
 分かった気がした。

「じゃあ、
 加茂さんはパーキンソン病を
 演じているということですか?」

「検査結果から大原ちゃんが
 診断した訳だから、
 パーキンソン病なのは確かでしょう。
 でも、検査通りごく軽度なのよ。
  今でも1人で、
 夜な夜な買い物に行けるくらいだもの」

「加茂さん、やっぱりあの自転車で
 買い物に行ってたんですね!」
 
 僕は自分の予想が
 当たっていたことが嬉しくて、
 つい自分が知らないはずのこと
 まで喋り過ぎた。

 日崎さんは一瞬、
 僕の目をじっと見つめたが何も言わず。
 今回の案件の種明かしを始めた。

「早い段階から予測はしてたの。
 だけど加茂さんの訴え通り、
 病状が急に進行した可能性もある。
 でも再検査なんてまずしないと思った。
 それで、裏を取る為に訪問リハビリ
 からの追加報告が欲しかったのよ」

 訪問リハビリのくだりでまた、
 日崎さんに一瞬見つめられた気がした。
 僕は大いに焦り、矢継ぎ早に質問した。

「でも!
 訪問リハビリからの報告だけじゃ、
 確証にはならなかったでしょう?」

「そうね、娘さんの話との合わせ技。
 彼女とは2回話せたけど、
 情報はあまりくれなかったわ。
 加茂さんから
 注意もされていただろうけれど、
 もともと話すのが苦手な印象だった。
 それでも重要なことが分かったわ。

 一つ、
 母親と仲が良く、成人・独居後も
  頻繁に会っていた。

 二つ、
 母親が亡くなってから
 うつ病を発病し仕事も辞めた。

 三つ、
 今でも心療内科を定期受診して
 服薬を継続している。

 全ての情報を時系列で総合すると、
 真実が見えてきた。

 まず、加茂さんの奧さんが亡くなった。
 母を心の拠り所にしていた娘さんが、
 うつになり働けなくなった。

 加茂さんと同居したが、
 何らかの理由で加茂家は経済的に
 苦しかった。
 
 娘さんの精神系の障害年金で
 何とかやりくりしていたが余裕は無く、
 おそらく何かしらの期限もあった。

 加茂さんはそんな中でも、
 幼少期に育めなかった娘との絆が
 少しずつ形作られていく生活に、
 喜びと安堵を抱き、
 それを守ろうと思った。

 そんな時、
 加茂さんが難病診断を受けた。

 自らの病気の情報を集めていた
 加茂さんは、
 一定以上の重症度なら自分も、
 身体系の障害年金を受給できる
 可能性に気付き、
 もし受給できれば期限を越えて
 今の生活を続けられると思った。

 ・・・そして、加茂さんは、
 もっと病気になることを選んだ」

 名探偵はそこで一度言葉を切った。
 いつもの明朗快活さは影を潜め、
 次に言うべき台詞を必死に
 思い出そうとしているようだった。

「・・・娘さんの様子や、
 訪問リハビリからの報告にあった
 家の様子からするとおそらく、
 同居した当初から今まで
 家事や買い物を担っていたのは、
 病的にきっちりした性格と思われる
 加茂さんでしょうね。

 推測だけど、
 近所の目を避ける為と経済的な理由で
 閉店間際のスーパーなどを狙って、
 自転車で行っていたんだと思うわ。

 訪問リハビリを週1回分は
 継続していたのは、
 本来の目的とは矛盾するけれど、
 本当に動けなくなると娘さんに負担を
 かけてしまうから。

 週2回契約することにも
 こだわっていたのは、
 週2回受けたいけど受けられない
 という医療介護側への重病アピール。

 経済的な事情が許す範囲で、
 娘さんの関係者には娘の方が、
 自分の関係者には自分の方が、
 より重傷で公的な支援を享受するのに
 相応しいと思わせたかった。

 そう考えると色々な説明がつきそうね」

「そうか、だから加茂さんは、
 運動に拒否は無いけど
 自分の能力やできていることを
 隠そうとしていたし、
 投薬治療も拒否していたんですね!
 娘さんも同じでしょうか?」

「・・・娘さんの場合はそもそも、
 社会性が希薄そうな気がする。
 友達や同僚よりも、母親と過ごす
 ことを好んでいたみたいだし。
 そういう意味では、
 閉じこもっているのは娘さんの方ね。
 だから、結果的に加茂さんの望みと
 同じになっているだけだと思うわ」

 ここ3ヶ月の疑問がスッキリして、
 密かな希望通り名探偵劇場を
 最も間近で鑑賞することもできて、
 僕は大満足していた。

 いつもの一連のストレッチも終わり、
 日崎さんの筋骨も
 目標とする段階までほぐれていた。

 後は、おそらく半分以上バレている
 隠しごとをいつ白状しようか・・・。
 そう思ったところで、
 日崎さんの様子が
 まだおかしいのに気がついた。

 既にベッドに腰かけていたが、
 いつものように立ち上がる気配はなく
 眉間のしわはより深い。

「えーっと、日崎さん?
 加茂さんの件は大原先生に報告して、
 主治医に諭された加茂さんは改心して
 治療を受け始める。
 それで一件落着ですよね・・・?」

「・・・いいえ、
 そうはいかないでしょうね。
 大原ちゃんにはもちろん報告するけど、
 加茂さんの決断がそれで変わるなんて
 あり得ない。
 だって彼は大事なものを守る為に、
 重病になる必要があるんだから。

 それに加茂さん達は、
 少しばかり症状を誇張し続けていたり、
 積極的な治療を拒否しているだけ。
 犯罪をおかしている訳じゃないから、
 もちろん逮捕も起訴もされない」

「確かにそうですけど!
 でも何だか、
 何だかそれって・・・」

 ズルいじゃないですか。

 そう言おうとしたが、
 言葉にならなかった。

 もはや僕個人の倫理観の領域
 かもしれないと思ったし、
 原因は何であれ、
 加茂家の経済面の影響が強いなら
 尚更何も言えなかった。

 だが日崎さんの葛藤は、
 僕とは比べ物にならない程激しかった。

「・・・やっぱりダメ。
 私はどうしても納得できない。
 理屈の上では理解してるわ、
 経済的な支援をする立場にない以上、
 私には何を言う権利も無い。

 だけど・・・だけどね。
 加茂さんは何の関係も無いのだけど、
 馬鹿にしないで!
 って思ってしまうのよ。

 私を、
 病気を得てからの私の半生を、
 馬鹿にしないで!って、
 今すぐ加茂さんに叫んでやりたい。

 ただの自暴自棄じゃなかった。
 意図的に病気になろうとしてる、
 病気であろうとしているのよ?
 大事な娘さんまで巻き込んで!

 私と同じ病気だけど、
 まだまだ歩けるし自転車にも乗れる!

 今から大原ちゃんの治療を受けて、
 運動も食事もちゃんとしていけば、
 私よりも、もっともっと、
 自由に動ける時間が長くなる可能性が
 あるのに!」

 気が付けば、
 日崎マイ子は泣いていた。

 もちろん見たのは初めてだったが、
 それが悲しみではなく怒りの涙だ
 ということは鈍い僕にも分かった。

 ちょうど1年ほど前、
 底知れぬ日崎さんを動揺させたいと
 【日崎崩し】を企んだ時期があったが、
 実際に目にしてみれば
 それはひたすらに、
 何もできない無力な自分と、
 こんな日崎さんは見たくないという
 身勝手な自分を思い知らされる時間。

 声をかけることもできず、
 呆然と立ち尽くす僕の前で名探偵は、
 その溢れて止まらなくなった感情を
 届くはずのない加茂さんにぶつけていた。

「ねえ替わってよ、今すぐに!
 大事な体を、時間を、
 そんな風にしか使えないなら、
 私にその体を頂戴!

 あなたなんかより余程、
 有意義に使ってみせるから!

 5時間に縛られず、
 今よりももっと探偵の依頼を受けて、
 構想中だった事業で社会貢献もして、
 今度こそ家族との時間も作って、
 あの人のお墓参りも行ける!

 替わってよ、加茂さん!
 私にあなたの体を頂戴よ・・!」

 最後は、
 嗚咽でほとんど聞こえなかった。

 日崎さんはしばらく泣き続けた。
 僕は時間が止まったように、
 ただ彼女の前に居続けた。

 そして、無限にも思えた時間の後、
 やがて日崎さんは、
 小さいけれど落ち着いた声で言った。

「・・・ごめんなさい先生。
 時間も過ぎてしまったでしょう。
 今日は運動は良いから、
 ここで終わりにして下さい。
 私はもう少し落ち着いたら1人で
 事務所に行けるから・・・」

「・・・はい、分かりました。
 ・・・お大事にして下さい」

 僕は最低限の挨拶をすると、
 そそくさと日崎邸を後にした。

 外は春らしい爽やかな晴天。
 時計を見れば、終了予定時刻を
 5分過ぎただけ。
 本当に時が止まっていたようだった。

 僕は、
 怒り、泣き続ける日崎さんの姿と
 溢れだした感情を振り切るように、
 いつもよりもスピードを出して
 次の訪問先に向かった。

 そして結局この日が、
 日崎さんの訪問リハビリ最後の日
 になったのだ。

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