立ち止まって、初めて見えてくるものもある。
募金依存症かもしれない
今日も日々の気づきを書いていこうと思います。
僕は、慈善団体に対してかなりの金額を募金しています。ユニセフや赤十字など複数の団体に、月に二万円近くの寄付をおこなっているのです。
それは、社会人になった頃から毎月続けている僕のポリシーですし、アイデンティティーでもあります。
ただ漫然と生活し、何も考えず食事をし、向上心などなく働き、仕事から帰ればダラダラとスマホを見て時間をつぶし、休みの日は昼過ぎまで眠ったあとにジャンクフードをたくさん食べる。
そのような緩慢な生活を送る自分は、果たして社会に対して何を残しているのだろうか。そう考えたとき、このままではいけない。と思ったのです。
でも、だからといって世の中の困っている人々に、何かしてあげられるわけでもありません。直接手を差し伸べられません。そこで一番手っ取り早く社会に貢献し、自分の存在価値を確保できる手段が「募金」だったのです。
僕にとって募金とは「こんな自分でも存在していいんだ」と自分を励ますツールでもあるのです。そして日に日に募金の額は上昇していき、月に二万円近くになろうとしています。僕は「募金依存症」なのかもしれません!
ある日、僕は家族に自慢したのです。「こんなにたくさん寄付をしているんだ。偉いだろう!」と。すると家族は心配そうな表情をしながら「ちょっと多すぎじゃない? 自分の生活も考えたほうがいいよ」と言いました。
確かに僕の手取りの収入は、あまり高いほうではありません。この際、生活を見直すいい機会だと、そこでふと立ち止まって考えることにしたのです。
立ち止まることの大切さ
考えてみれば、今まで僕は「募金さえしていれば、自分自身に価値があることの証明になるじゃないか」と心のどこかで思っていました。
でもそれと同時に、慢心もありました。
今回、家族に指摘されたことで「ちょっと募金額を下げなくちゃ。募金額を下げるからには、今まで以上に気を引き締めて生活をしよう!」という考えになったのです。
そこではっとしました。「今まで以上に気を引き締めて生活しよう」
つまり今まで募金をしていることで「自分には価値がある」と慢心していたのです。
いちど立ち止まり、生活を見直し、本当に大切なものは何かを見据えるいい機会だと思いました。