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ガマンとアショアと

今年のGWは「ガマン・ウィーク」だったそうだ。全く上手い表現だとは思わないが、きょうを持ってGWも終わりである。ガマンはまだ強いられそうなのが辛いところなのだが。

きのうまでは春の陽気といった感じで暖かかったのだが、今日は気温の数値ほどには暖かさを感じられず、家では暖房を付ける始末。あすも今日より冷え込むそうだが、秋田では6月までストーブを出している家庭もあるくらいだから、例年どおりと言えば例年どおりである。

旅行はもちろん、外出もほとんどしなかったせいで、実に規則的な生活をしたものだと思う。朝に起床、朝食をいただいた後、午前は掃除などの家事、そして昼食をとる(ここまでに必ず朝ドラのエールの視聴)。午後は自由、新聞を読んだり、本を読んだり、録画したテレビ番組をみたり、外を走ってみたり。妻と買い物に出かけることもある。夕食はだいたい6時ごろにとり、夜は10時ごろに風呂、11時過ぎに就寝。

規則正しすぎて、今日が何曜日なのか、時間の概念を忘れそうになる。そして、仕事のことをほとんど考えなかったので、明日から復帰できる気がしない。

こんな風にぼーっと過ごしていたわけだが、今日はやはりこのニュースについて記しておかねばならないと思う。

秋田市の新屋演習場へのイージス・アショアの配備を、防衛省が断念したとの報道。去年の12月に、共同通信だったか、「新屋断念」は報じられはしたものの、NHKなどが報じなかったこともあり、政権による”観測気球”との見方が強かった。それが今回は、どのメディアも伝えているように見受けられることから、ほぼ間違いないのだろう。

これは、近年の日本において、極めて珍しい、異例の決定である。

何しろ、相手は政府であり、防衛省であり、安倍政権である。たとえどれだけ市民が怒り国会前を占拠しようとも、沖縄で何度「辺野古NO」の民意が示されようと、どれだけ森友問題で公文書偽造を追及されようとも、まったく聞く耳を持たず、突き進んできた人々が、今回の新屋への配備については「断念」したというのである。率直に言って、驚きを禁じ得ない。

私個人の考えとしては、新屋への配備には反対である(その理由を書き始めると長くなるので、今日は割愛)。だが、諦めの気持ちもあった。どうせ何を言っても、聞く耳を持たない相手なのだから。「住民の理解が得られるよう、丁寧に説明します」という言葉を何度聞いたことだろう。いまの政府が言うところの「丁寧に説明する」というのは、何も説明しないのと同義であることを痛感したものである。

それに、第2次安倍政権以降の政治の進め方をみていれば、「丁寧に説明する」と言ってゼロ回答を繰り返すのが常套手段であることは、秋田に住んでいてもわかるものだ。

また、防衛省が一度決定したことをひっくり返すということも、滅多にないことであろう。そもそも(日本の)行政の上では、決定事項を覆すことは誤りを認めることになるので、失点を防ぎたい官僚としてはなかなかできることではない。

もちろん今回の新屋配備を巡る一連の調査の中では、お粗末としか言いようのない防衛省のずさんな調査が明るみとなり、住民の強い反感を買っていたという事実はある。それにしても、なのだ。まさか新屋配備が覆るとは。一体なんの前触れなのだろうと逆に訝ってしまうほどである。

巷間、よく言われていることの中には、安倍官邸と与党との間に温度差が生まれ始めているとか、コロナ危機に際し、国民への給付金を巡って公明党が激怒して30万円案が10万円になったとか、政治力学の変化への指摘がある。しかし、そのような権力のゲームのなかで、地方の暮らしや住民の生活が左右される宿命にあるのだとしたら、やはり悲しい気持ちにもなる。

記事中、このような説明があった。

こうした中、防衛省は候補地の検討にあたって住宅地からの距離を重視した結果、新屋演習場は住宅地に近すぎると判断し、地元の反対が根強いことも踏まえ配備を事実上断念しました。

新屋演習場が住宅地からの距離が近いことなどは、調査するまでもなくわかっていたはずの当たり前の事実である。前回の調査は、ずさんなものであったにせよ、「新屋以外に適地はない」としていたのである。それがどのような理屈で、上記のような説明になり得るのだろうか。もとより、政府にしてみれば、新屋を強行しても、断念してもどちらも茨の道だとは思っていたが、明日以降、どのようなロジックを持ち出すのか。

また、引き続き秋田県内で候補地を探すそうである。日本の防衛も大事だが、コロナで多くの倒産や失業という未曾有の危機に直面しようとしているいま、税金の使い方にはくれぐれも慎重に考えてほしいものだ。

ガマン・ウィークが、ガマン・イヤーとなっては御免である。

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