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桜井英治 贈与の歴史学
読書記録です。
第1章 贈与から税へ
贈与といえば1920年代の研究の贈与論。モース『贈与論』で提示され、ゴドリエ『贈与の謎』でさらに言及した贈与をめぐる4つの義務がある。
1 贈り物を与える義務(提供の義務)
2 それを受ける義務(需要の義務)
3 お返しの義務(返礼の義務)
4 神々や神々を代表する人間へ贈与する義務(神にたいする贈与の義務)
お返しの義務が現代人も感覚的にわかりやすいだろうか。これは「互酬性(reciprocity)」という概念でも表される。贈り物には債務・負債のような、貸し・借りのような側面が宿る。お歳暮のお返し、待ち合わせに遅れたから一杯奢る、お世話になっている人だからお見舞いに行く、など。
神にたいする贈与の義務はピンときにくいが、お賽銭を考えるとイメージしやすい。また著者の表現が面白い。
世界史上には莫大な供犠(いけにえ)を神に捧げていた文化も知られてはいるが、そうした類型のなかでは、日本の神仏は人に多くをを要求することがなく、こんなに安上がりで微温的な〜(略)〜捨てる神あれば拾う神ありという神々の競合状態が、贈与学の高騰を抑制してきた面もあるに違いない。
八百万の神のおわす日本は競合がひしめいているので信仰も安上がりだ。3円でレジ袋、5円で神様にお祈りができる国ニッポン。
前近代の税制、租庸調のはじまりはこれにあたる。神の代理人としての首長に初穂を納めるという仕組みだ。
第2章 贈与の強制力
贈与が税に転化する場面について。
中世の日本には、祭礼費用を金持ちに負担させる富裕税のようなものがあった(=有徳銭)。何かしら不吉なことのあった者に役落としとして、災を避けるための神事の出費を一人で担わせた。不利益なことのように思われるが、不幸を払うという論理(蓄財はよくないという思想があった)と一人で担うことで名声も得られるということもあった。
しかし、担う者の負担が大きくなったこと、仏神事専用だった使途が世俗的な領域へ流用されるようになったことから、神への捧げ物から人へ捧げるものとなったことに反発が生まれた。俗権力がただ稼ぐだけのものになっているということで、捧げる物じゃないですよ借りさせて頂くものですよとなった。
有徳人が祭礼費用を持ち、民衆に祭礼として還元される。
結果、贈与から神々へという様式が失われたが、喜捨や徳行の要求、富の平等化を求めるような民衆意識が贈与の論理を支えた。
また、この時代は先例にとても重きがおかれた。先例と相当(=釣り合い)というメカニズムがあった。
先例に従うのが正しく、従わないのが間違いだった時代。先例があることで、そこに贈与の関係ができる。はじめ賄賂だったものも、「先例」となることで以降は当然の報酬のようになるというような具合だ。
逆に、より一層のお礼をしたいときも、そうしてしまうと新たな「先例」となり贈与の関係が生まれてしまうから「心落」という例外を作った。心落はこれは「先例」とは無関係の、例外的な、私的な気持ちとしてのお礼ですというもの。お礼の中にお礼の部分が生まれるのは不思議だ。
相当の概念は、贈り物の種類や数だけでなく、時期や人間関係まで反映されていた。銀行の通帳のように正確に貸し借りとして記録されていた。
第3章 贈与と経済
贈り物が質に入れられることが想定されていたこと、「相当」の概念によって計算可能なものとなっていたこと、現金も贈り物とされていたこと、現金を贈る場合は折紙という小切手のようなもの(詳細は後述)を先に贈られ、それがほぼ現金同様に扱えてしまうことなどから、贈与と経済が近いような状態であった。
折紙は、現金を贈るに際してのいくら贈る予定かという目録であった。しかし、お互いの贈り合いのプラスマイナスで折紙の相殺ができたり、支払いの権利を譲渡できたりともはや手形・小切手のように機能していた状態。何でもかんでも不動産化、債権化できるカオス時代へ。
第4章 儀礼のコスモロジー
あまりピンと来なかった。
次に読みたい本
参考文献にあったものから。
阿部欽也『「世間」への旅ーー西洋中世から日本社会へ』
ブラウ『交換と権力ーー社会過程の弁証法社会学』
あとモースとゴドリエですね。
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