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自分には才能や取り柄がない。100%自信のなかった私が才能を発揮し、たくさんの人に頼られる生徒会長、学校の先生になっていくまでの奇跡のストーリー

初めまして。アキと申します。

少し前まで、小学校の先生として、13年担任教師を務め、あと2年間は担任教師たちのリーダー役として、教務主任を2年間、計15年間、子供たちの成長に尽くしてきました。


今でさえ、そんな私ですが、私が小学生の頃は、この世で一番なりたくない職業が小学校の先生でした。なぜかというと、私が能力が無いばかりに周囲からいじめられ、そんな現場は絶対に嫌だと思っていたからでした。

【苦しい日々】いじめられる日々

小学2年生からイジメを受け、のけ者にされました。
「お前は馬鹿だから。」「使えないやつはあっちに行ってろ。」
トイレにこもることも多くなりました。

「ここにはぼくの居場所はない――。」

それでも母親には相談ができなかった。母親は自分のために家事もしながら身を粉にして働いている。心配はかけられなかった。
「助けて」が言えなかった。

イジメはその後も続いた。ある日は多くの子になぐられ、ある日は徹底的に馬鹿にされました。周囲のみんなも笑っていた。ぼくは何もできなかった。それは、5年生になっても続きました。


【転機】コーチとの出会い

「もう無理だ。」そう思った時、ある出会いが私を変えました。
習っていたサッカーのコーチが、私をチームのキャプテンに指名したのです。

「なんであんな馬鹿がキャプテンなんだよ。」周りは反発しました。それはそうです。私は、勉強もできず、サッカーも周囲のいうように下手くそだ。なんで私がキャプテンに指名されたのか、私も正直戸惑いました。

でも、次の一言が、私の人生の大きな転機となりました。
「あいつはな、一生懸命の天才なんだよ。」

「あいつは何回抜かれて悔しくて涙でぐしゃぐしゃでも、体がくたくたでもがむしゃらに追いかけるんだよ。チームが苦しいとき、あんなに頑張れるやついるか?あいつ以上にあきらめないやつ、このチームにいるか?」

「チームが勝ち上がれば、必ず苦しい試合はある。そういうときに、一番あいつみたいな、あきらめないやつが必要なんだ。キャプテンに必要な才能だ。それによく周りを見てる、賢いぞ。お前たちが思うよりずっと。」

このコーチの言葉に、誰一人返すことができなかった。
「お前たち、本当に思っていることはちがうだろ。しっかり言え。」
コーチは周囲の子にそう促した。彼らからは思いもよらない言葉が出た。

「今まで嫌な思いをさせてごめん。お前があんなにがむしゃらになれるのがうらやましくてつい、いやがらせをしちゃってた。でも、お前が馬鹿じゃないのはみんな知ってた。でも抜かれるのも悔しかったしそれで・・・。」

いったい何が起こったのだろう。私は返事もできず、しばらく立ち尽くしていた。コーチは私からの返事も求めず、彼らが言い終わると、
「じゃあ、そういうことだから、これからはあいつをキャプテンとしてがんばるぞ。」
とだけ言い、ミーティングを閉じた。

ミーティング後、私はコーチに呼ばれた。コーチは私を見つめ、言った。

「お前は馬鹿じゃない。諦めない天才、一生懸命の天才なんだよ。じゃあ、なぜ今までできてないか。やってないだけだ。サッカーのようにいろいろ 死ぬ気でやってみろ。自分の力を死ぬ気で使ってみろ。絶対できる。」

私は、その日から、一生懸命努力した。勉強も、サッカーも、言われるままに、死ぬほど努力した。勉強もサッカーも基礎からやり直した。分からない勉強は職員室に乗り込み、分かるまで教わった。とにかく必死だった。

夏休みも家族旅行以外は、毎日、勉強とトレーニングのみに費やした。すると、5年生の2学期から明確に結果が出てくるようになった。国語の漢字や算数の計算領域で100点が、サッカーではうまい子からボールを奪えるようになった。

どんどんいろいろなことができてきて、周囲の評価も変わってきていたが、私はまだやめちゃいけないと思っていた。コーチに「天才」と言われたからだった。天才は周りよりもずっとできなくてはいけない。そうならないとコーチに報いることができない。

必死に努力を続けるうちに、勉強のコツが分かるようになり、サッカーの守り方も分かるようになった。6年生の夏を迎える頃には、各教科で100点を当たり前のように取れるようになった。もう私のことを馬鹿と罵る者はいなかった。

中学校では、私のことを認めるようになったクラスメートが私のことを生徒会長に推薦し、当選することができた。もう誰も私を馬鹿と呼ぶ人はいない。私は変われたのだ。私は進学校に進むことになった。

私が変わるきっかけをくれたコーチにどうしてもお礼と聞きたいことがあり、私は再び小学校を訪れた。

コーチに会えて、お礼を言った後、「どうしてぼくが馬鹿でなく、できると思ったのか」聞いた。コーチは言った。

「俺は、馬鹿であそこまでがむしゃらになれるやつを見たことがない。だから、こいつはやらないだけだと。周りに馬鹿だと思わされているだけだとそう思った。」

それで、チームのためにも、自分を変わらせるためにもキャプテンに抜擢したのだという。

コーチは最後に、私の手をぎゅっと握りしめ、力強くこう語った。

「自分が馬鹿だと思いこんで才能を腐らせてしまうやつは、まだまだいる。苦しいところを乗り越えたお前みたいなやつに、俺は学校にいてほしい。そういうやつらを導いてほしい。」

このことが強く印象に残っていて、私は、教職の道に進むことになった。大学4年生、教育実習生で小学校に入った時、過去の自分みたいな子に出会った。小学校3年生、女の子。口癖は「どうせできないよ。」

正直、私はイライラした。過去の自分に出会った気になったからだ。でも、気がつくと、一生懸命教えていた。そして、教えたら彼女も真剣になり、九九も言えなかったのが、実習が終わる頃には、算数のかけ算の筆算ができるようになっていた。「できるって楽しいね」彼女は満面の笑みでそう言った。

あぁ、みんなやらずに自分の可能性あきらめちゃうのかー――。そのことを、「もったいないな」とふと思って、そして、「よし、小学校で、やれるだけのことをやってみよう。」そう思って教員採用試験を受け、正式に小学校の先生となった。

その後、様々な子や親御さんとの出会いがあり、たくさんの「できた!」の笑顔、可能性を開花させた場面に出くわすことができた。それはまた、次の話で。


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