【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第5章 ⑥ ギフト
ちらほらと人影が見え始めたものの、墓地の中はまだ閑散としている。豪奢に構えた墓の前で佇む晃雄や結依たちの姿は、遠目にはただ墓参りに来た家族連れにしか見えないだろう。だがその場に漂う空気には敵意と嫌悪が渦巻き、肌を切るような緊張感に包まれていた。
『私のことは何とでも仰ってください。でも結依ちゃんに危害を加えるのは許しませんよ。たとえ電話が繋がってなくても、今の結依ちゃんの姿を見れば何があったか大体の想像はつきます。これ以上の真似はさせません』
「純江伯母さん……私なら大丈夫です。岡崎さんが……それより父が……父がひどいことを伯母さんに……伯母さんにまで……」
純江の顔を見て緊張が緩んだのか、結依が堪え切れずにしゃくり上げる。たった今起きたことが頭の中で目まぐるしく渦巻き、結依はひどく混乱していた。
『私はいいの、結依ちゃん。火事のことは、もう私の中では区切りをつけたことだから。クリスマスイブが近づくと辛い気持ちになったのも、もうとうの昔の話だから大丈夫』
だがその純江の言葉を踏みにじるように、晃雄がぞんざいに吐き捨てた。
「あんたらはすぐそうやって被害者ぶるがな。そもそも燃えやすいゴミを前日から置かないなんてのは、子供でも知ってる常識だろう。まして他にも火事が起きてる時に新聞紙の束をこれ見よがしに玄関先に置いとくなんぞ、あんたの母親はずいぶん迂闊極まりない真似をしたってことだ。火事はそのしっぺ返しみたいなもんだな」
「お父さん、いい加減にして!」
結依の悲鳴を待たずに、純江の顔はさっと強張った。
『――あの日新聞紙の束を玄関に置いたのは、出張に出かける前の父だった。母は華奢で力のない人だったから、翌日の廃品回収で母が一人で運ばなくてもいいようにと……それを父が、後からどれほど悔やんだか……』
「鈴村さん、よしましょう。もうこれ以上は……」
岡崎が後ろから肘を引いて止めに入る。だが晃雄は意にも介さず、純江に向かってふんと鼻を鳴らした。
「本当のことじゃないか。まったくとんでもないサンタクロースの置き土産もあったもんだ。綺麗なプレゼントの箱の中身が、実は火付けの装置とはな」
「プレゼント?」
純江の声が固く響く。だが晃雄は小馬鹿にしたように笑った。
「新聞紙の上に箱が置いてあって、そいつが燃えたんだろう? クリスマスイブの夜にプレゼントの箱が玄関先に置かれてたって、近所の人が見ても『ああ、クリスマスの余興か』ぐらいにしか思われんのが不幸だったな」
『――なぜですか。なぜ、あなたがそれを知っているの?』
結依ははっとして、純江の方を振り返った。純江の顔はバーチャルでも判るほどはっきりと青ざめ、その声は冷たく震えていた。
「そんなもの、散々記事に乗ってたじゃないか。後から調べた俺でも知ってるぐらい……」
だが純江は、即座に晃雄の言葉を遮った。
『新聞紙の上に置かれた箱が発火の元だったことは、確かによく知られてる。でもその箱にクリスマスのラッピングが施されていたことは、警察と父、そして私しか知らない話。大元の証言者を除けばね。沙和子だって知らない。警察が取り調べでうっかり私に話したのを知った父は、烈火のごとく怒ったわ。そんなことまで子供に聞かせてどうするって。だから父は、せめて沙和子だけでもと思って伝えていない』
「……なんだと……」
『これだけはマスコミにも知られていない事実。警察が犯人を特定するために必要だとして、わざとただの箱として情報を流していたから。私も沙和子と事件の話は何度もしたけど、あの子が知ってた様子はなかった。なのになぜ、あなたが知っているの。諸悪の根源の発火装置が、実はクリスマスプレゼントの箱だったことを』
誰も口を利かなかった。日の高く昇り始めた墓地が陽炎のように歪み、結依は意識が遠のいていくような錯覚に陥った。
「お父さん……どういうことなの。ちゃんと説明してよ……」
混乱どころか錯乱の一歩手前で何とか踏み留まりながら、結依がかすれた声でうわごとのように呟く。
「なんでそんなこと知ってるの。私も散々記事を調べたけど、純江伯母さんの言うとおり、ただ箱って書いてあっただけで、ギフトラッピングされてたなんてどこにも書いてなかったよ。マスコミもお母さんも知らないようなこと、どうしてお父さんが知ってるの!」
もはや絶叫に近い結依の声に引き出されるように、晃雄の口から呟きが洩れた。
「――親父のせいだ」
「は?」
晃雄は虚ろな目で、独りごとのように呟いた。
「親父は俺がまだ小さい頃から、徹底的なスパルタ教育を俺に強いた。将来、おまえも官僚になるんだってな。俺も自信はあったし、人とは違うという認識もあった。だがあんまり親父がうるさいんで、たまに夜に家を抜け出しては、息抜きにちょいちょいその辺に火をつけてたんだ。あの頃はあちこちで放火があったから、多少増えたところで大した差はないさ」
「鈴村さん、もうやめましょう。お話しになるなら、しかるべき場所で……」
肘を掴んで止めに入った岡崎を、晃雄はちらりと嫌な目つきで見やった。
「一介の坊主が偉そうな口を利かんでもらおうか。あんたは沙和子の葬儀の時からあれこれ差し出た口を叩いて、こっちとしても我慢ならんかったんだ。沙和子のためと思って、あの時は堪えたがな。また今になって、何をしゃしゃり出てくるつもりだ」
「私が頼んだの! 私が岡崎さんに相談に乗ってもらったの! 岡崎さんはお母さんのために親身になって……」
「親身? 沙和子のために? 誰に向かって言ってるんだ、結依。沙和子のためを思っていたのはこの俺だ。俺がつけた火で焼け出された沙和子と先々になって巡り合ったのは、もう偶然なんてもんじゃない。運命だ。初めて会って名前を聞いた時は、驚くどころじゃなかったよ。事件のことは、大人になってからもずっと追ってたからな」
『あなたが……あなたが私たちの家に火をつけたの? 親から受けた圧のストレス発散のために』
純江の口調は、不思議なほど冷静だった。だがその瞳には炎のような強い光が宿っていた。
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