見出し画像

【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第5章 ⑦ 慟哭

←  前の話・5ー⑥ ギフト


晃雄はそんな純江の視線も気にならないのか、面倒そうに肩をすくめた。

「そうだ。だがただ火をつけるだけじゃ、すぐ消えるかせいぜい壁を焦がす程度だ。それでも最初は面白かったが、だんだんそれぐらいじゃ物足りなくなってきた。やるならちゃんと成果を出さなきゃ意味がない。その辺の凡俗な奴らと一緒にされたくないからな」

誰も口を開かないのをいいことに、晃雄はあたかも武勇伝を語るがごとくに滔々と続けた。

「だから一計を案じた。どうやったら確実に火をつけられるか。いくら子供とはいえ、しゃがみこんでごそごそやってれば見咎められるリスクは上がる。逆に少しでも燃え出す時間を遅らせれば、目撃される恐れは少なくなる。だからあらかじめ細工した箱を置くことにした。それならほんの一瞬だ」

『じゃあ発火装置を作ってクリスマスギフトに偽装したのは、あなたがやったことなのね』

「そうだ。イブの夜にプレゼントの箱を子供が持って歩いても、誰も気に留めやしない。中には『僕、プレゼントもらったのか。いいねえ、もう遅いから気をつけて帰るんだよ』なんて満面の笑みで声をかけてきた奴もいるぐらいだ。誰もそのプレゼントとあの火事を結びつける奴なんていない。誰も、誰一人もだ!!」

勝ち誇ったように笑い声を上げる晃雄の後ろからそっと離れた岡崎が、結依に向かってこっそりと手招きした。こっちへこい、という合図だ。
結依は晃雄に気づかれないように、じりじりと動き始めた。純江の目からもそれは見えているのか、晃雄の気を引くように会話を続けた。

『そうね、あの頃はまだ、今ほど子供の行動が管理されてなかったから、夜でも比較的自由に歩けた。しかもクリスマスイブの夜で……じゃああなたは当時、私たちの家の近くに住んでいたの? 子供の足で歩いていけるほど近くに。今の家じゃないんでしょう?』

結依ははっと思い出した。

「今の広尾の家は、お父さんが高校生ぐらいの頃にお祖父ちゃんが建てたって……確かそれまでは品川区に……」

「事件のあった大田区の大森と品川区は隣接してますね。住所にもよりますが、場所によっては同じ区内よりも近い可能性もありますから」

結依は息を呑んだ。岡崎の言うとおり、たとえ区が違ったところで、距離さえ近ければ子供の足でも簡単に行けるだろう。
晃雄はつまらなそうな目で岡崎を振り返った。

「坊主のくせに、妙に目端が利くんだな。あんたの寺からはずいぶん離れてる場所だと思うが」
「――私、子供の頃飛行機が好きで、よく羽田まで見に行ってたもんですから。あれは大田区にあるので」

皮肉な笑い声を洩らす晃雄に、岡崎は静かに訊ねた。

「誰もあなたを疑う人はいなかったのですか? 親御さんとか警察の人とかも。失礼ですがあなたもその頃は、まだ10歳になるかどうかぐらいの子供だったはずですが」

晃雄は冗談だろうと言わんばかりに、傲然と胸を反らした。

「いるわけないさ、そんなもの。父親は大蔵省の役人、母親は実業家の娘。そして俺はその長男で近所でも評判の超がつく優等生だ。いずれ都内屈指の中学に入って、将来は東大が既定路線の俺を疑う奴なんているわけがない。事情聴取にすら来なかったよ。正直、拍子抜けしたぐらいだ。箱の中に設置した線香の束で、燃えるまでの時間を稼ぐなんてごくありふれたトリックに、大の大人どもがこうも簡単に引っ掛かるとはな」

「お父さん、嘘でしょう……なんでそんなこと……誰であろうと許されることじゃない……!」

結依の悲痛な声に、純江も岡崎も思わず目を逸らした。だが晃雄の目にはただ軽侮の光しか宿っていない。

「おまえは本当に判らん奴だな。その立場があるからこそ、己の身を守れるんだ。事実、おまえらが何を言ったところで証拠もなければ、立証もできん。仮にあったところで、その程度の脆弱な証拠なんぞ、確実に“上”が揉み消すさ。仮にも経産省生え抜きの人物を、そんなあやふやなネタで世間の晒し者にするわけがない。そんな真似すれば“上”の奴らだってダメージ喰らうわけだしな」

「お父さん……狂ってる……」

呆然と呟く結依を庇うように、純江はまるでそこに実体があるかのような、はっきりした声で言った。

『だから沙和子を傍に置いたの? 罪滅ぼしなんかじゃなく、火事のことを必要以上に思い出させないために。下手なことを沙和子が世間に言わないために。より強い記憶を持ってる私たちとの接触を絶って、完全に自分がコントロールするために。そうすればあなたの罪を生涯にわたって隠しとおすことができるから……!』

燃えるような瞳の純江を、晃雄はにたりと嗤って見返した。

「つくづく可愛げのない女だな。おまえに何が判ると言うんだ。出会いこそ偶然だったが、俺は沙和子を心から愛していたんだ。いつも俺の言うことを素直に聞き入れて、俺が仕事に専念できるよう、家のことを一手に引き受けてくれた。世間知らずだが、そのぶん世の中のくだらん価値観に染まることもなかった。なのにあれが……あの沙和子が、俺に逆らって水火葬を……しかも田舎の海へ散骨するだと? そんな真似をしたら沙和子が俺の手元から消えてしまうだろうが! 沙和子は誰にも渡さんぞっ!!」

そう言うや、晃雄はバーチャルの純江に向かって猛然と掴みかかった。錯乱のあまり、純江に実体がないのすら失念しているらしい。
純江は一瞬身構えつつも、激しく叫んだ。

『今よっ!!』
「結依さん、こっちへ!」

岡崎は結依の腕を掴むと、墓石が並ぶ通路を走り出した。幸い結依は動きやすい服装だったし、岡崎も今日は僧衣を着ていない。岡崎に腕を引かれながらも、結依は上がる息の中から切れ切れに訴えた。

「お墓が……お母さんの……あのまま……」
「後でいい! どうとでもなります! 早く!!」

やがて遠くからサイレンの音が聞こえてきた。見る間に赤いライトが近づいてくる。まばらにいる墓地の参拝者が、乗り込んでくるパトカーを何事かと遠巻きに見ていた。
石段を駆け下り、やっとのことで下の広場まで辿り着いた結依と岡崎は、ようやく足を止めた。
二人の姿を認めたのか、パトカーがこちらに向かってくる。

「――墓地について、遠目からあなたと鈴村さんの様子を見た時に急いで通報しました。そうしたら鈴村さんがあなたを……それで私も泡を喰って通話を切ってしまって……でも何とか間に合ってくれてよかった」

結依は黙ったまま、後ろを振り返って鈴村家の墓石がある場所を見上げた。
他を圧するような堂々たる墓石の前で、晃雄が地べたに座り込んでくうを仰いでいるのが見える。
父の、かつて父であった男の乾いた哭き笑う声が、近づくサイレンを跳ね返すように広い墓地へ陰々と響き渡っていた。


←  前の話・5ー⑥ ギフト     次の話・終 章 →

最初から読む




この記事が参加している募集

お読み下さってありがとうございます。 よろしければサポート頂けると、とても励みになります! 頂いたサポートは、書籍購入費として大切に使わせて頂きます。