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昔がたり ~ちくま800字文学賞 応募作品 ②

「ほう、これは絶景」

「何でもいにしえより多くの歌人に詠まれてきたそうな。月昇れば棚田の一つ一つにその姿が写ることから“田毎の月”と言われるとか」

「そなたの博識は相変わらずじゃのう」

「何を言う、貴殿こそ武に強く芸に秀でておったではないか。まあいずれも昔話だが」

「何の、こうして彼の地を眺めれば嫌でも思い出すわ。ほれ、この高さじゃ。はきと見ゆるわえ」

「ふむ……互いによう戦ったの」

「おうさ五度じゃ、五度。今から思えば無駄に槍を交えずとも、我らが轡を並べて京に上れば怖いものは無かったろうよ」

「それがしの国は雪深く、春にならねば動けなんだ。引き換え東海道を悠々と進める貴殿が羨ましゅうござった」

「逆に我が国は海が無い。おかげで奴らに塩留めを食らって手酷い目に遭うたわ。そなたが塩を送ってくれずば……」

「なに、こちらはこちらの目論見あってのこと。あやつらに加担したところで益もなく、機に乗じて高値で売れば儲けはあっても要らぬ恨みを買うやもしれぬ。戦うのは我らの槍と槍ぞ。民を干して何になる。まさに貴殿の申すとおりよ。人は石垣、人は城……」

「ほ、これは一本取られたわ――おう、月が上ったわえ」

「月も良いが、あの色鮮やかな光の粒の波は見事なものよ。あれが今の城下町か」

「うむ……そしてその向こうが我らの相まみえた川中島じゃ」

「昔は昔、今は今。さてそろそろ腹を満たさんか。信濃は蕎麦が名物とか。もっとも貴殿自慢の“ほうとう”は無いがな」

「おお、そなたにも食わせてやりたいものじゃ。何とも味わい深く佳きものじゃぞ」

「はは、いずれ馳走願おうか。蕎麦の後はいで湯で旅の疲れを癒やすも又良し。戸倉上山田、我らの頃には知らぬ湯であるが……」

「はて信濃の湯は如何ほどか、手並み拝見じゃな。何しろ甲斐も越後もいで湯の宝庫ゆえのう」

  ――しんと差し込む月の光を震わせて、二人の男の呵々大笑が遠く棚田へ冴え冴えと響いていった。

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