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【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第5章 ④ 決行

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――少し早すぎただろうか。

結依は不安げに時刻を確かめた。9時半前というところだ。早朝というほどではないが、まだ墓地にはほとんど人影がない。

結依は墓地の入口でうろうろと足踏みをした。実は四十九日の法要の時に、遺族への注意という形で岡崎から釘を刺されていたのだ。お墓参りは一人で行かないこと、早朝や夕方などの人の少ない時間帯は避けること。

「昔から言われることですが、墓地というのはあまり人気ひとけがありません。そして皆さん、自分の手元に一生懸命になっていてまわりに目が行きません。そこを狙われるケースが後を絶たないのです。特に今お墓をお持ちということは、それなりに経済的に恵まれている方がほとんどですから、余計に標的になりやすいのです。くれぐれもご注意くださるよう」

だが来てしまった以上、ここでぼんやり待っているのも手持ち無沙汰だ。そのうち墓参客も現れるだろう。
結依は用意してきたバッグを握りしめると、広い墓地にいくつも伸びている石段のひとつをゆっくりと上り始めた。鈴村家の墓はかなり上の方にある。動きやすいようにとランニングシューズを履いてきたが、それでも手桶や供花などの荷物を持ちながら急な石段を上るのは、若い結依にもなかなかの骨だった。

やっとのことで石段の半ばまで来た時、突如として墓地全体を揺るがすような低音が襲った。

「な、なに……!?」

ぐおう、と不気味な音が耳に響く。地鳴りだ。
結依はとっさに荷物から手を離して、石段の上でしゃがみ込んだ。地震なら立っている方が危ない。だが身を守る物が何もない場所だと、また別の危険がある。
結依はしゃがんだまま、近くの墓石に忙しく目を走らせた。見たところ目立って揺れている様子はない。そのまま息を詰めて目を凝らしていると、最初の音のわりにはさほど揺れも続かず、不穏な気配はやがて潮が引くように消えていった。

「ああ、びっくりした。こんなとこで地震とか、普段以上にビビるわ、マジで……」

大きく息をついて立ち上がり、改めて荷物を持ち直すと、結依は再び石段を上がり始めた。自分の家の墓がある位置まで来ると石段から外れて、横に細く伸びる通路を歩いていく。
ふと振り返ると、眼下にずらりと墓石が並んでいるのが見えた。広々した敷地を重厚な外柵に囲まれ、どっしりと鎮座した堂々たる墓石もあるが、中には草に埋もれ、ただの石塊となり果てたような物哀しいものもある。だが多かれ少なかれ雑草がはびこった様子は、たとえ壮麗な墓石を構えていても、隠し切れないうら寂しさを感じさせた。

「あ、ここだ……!」

結依は自分の家の墓の前まで来ると荷物を地面に置いて、深々と頭を下げた。母を含む先祖の霊が眠る墓に今から自分がやることを思うと、さすがの結依とて神妙にならざるを得ない。

「お母さん、来たよ。一緒に帰ろう……すみません、母を連れて帰らせていただきます。どうか勝手な真似をお許しください」

敷石の上を進んだ結依は、墓石に向かって手を合わせると、はっきりした声で告げた。黙って事に及ぶより、せめて少しでも礼を尽くそうと思ったのだ。
だが鈴村家の墓も他家の例に洩れず、雑草が伸び始めている。それも予期していた結依は、持ってきた荷物の中から軍手を取り出すと、まず草取りを始めた。それも墓を荒らす罪滅ぼしのようなものだ。幸い昨日に少し雨が降ったせいか、少し力を入れて引き抜くだけで、大きな草でもあっさりと抜けた。

「これでよし、と……お墓の掃除は最後にしようかな。まずは大事な用事を済ませないと……」

結依は大きく息を吸い込むと、再び墓石の前にしゃがみ込んだ。だが今度は地面に膝を付くようにして、墓石の前に置かれた重い石造りの香炉を静かに脇へずらしていく。祖父の納骨の際に見ていたから、何となく勝手は判る。もっともその時は兄の大樹がやっていたのだが。

その時の岡崎の話では、昔は関東だともっと大きな骨壺を収めるために、地下に納骨棺を作ることが多かったという。だが今は地上に納骨棺を設置する関西式が主流となっていたのも幸いした。地下式だと納骨棺を開くために動かす拝石が非常に重く、とても女性の結依一人では動かせないからだ。
それでもやはりそれなりの重さはある。結依は軍手をはめた手で少しずつ慎重に香炉を動かしていった。

やがてその向こうにぽっかりと暗い空間が口を開けた。
母の時の納骨は立ち会っていないので判らないが、確かにいちばん手前に置いてある骨壺が最も真新しい。
結依は心を決めるように深呼吸をひとつすると、軍手を外した手をそろそろと伸ばした。その時だ。

「――何をしている、結依」

声と同時に着ていたパーカーの襟首を掴まれ、結依はそのままぐいと後ろへ乱暴に引き倒された。


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