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【#創作大賞2024】蒼に溶ける 第4章 ⑦ 覚悟

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伯母である純江の説明は、結依にとってはあまりに知らないことばかりで、いかに純江の説明が整然としていても、結依の困惑は増すばかりだった。

『要するに理由や根拠はともかく、私たちは晃雄さんに交流を禁じられた。でもこの時代、隠れて連絡を取る方法はいくらでもあるわ。でもさすがに父や私が富山から東京の家まで行くわけにはいかないし、沙和子も富山まで来ることはできなかった。だからせめて私と沙和子の間だけでも、こっそりと連絡を取り合ってたの。もっともバレるといけないから、そんなに頻繁じゃないけどね。ただそれとは別に、ひとつ取り決めがしてあったの』

「取り決め?」

『そう。もしもどちらかが連絡した時に相手の反応がなかったら、まず三か月は待つって』

「三か月……」

結依は頭の中で素早く計算した。母が亡くなったのは6月の上旬で、今は9月の半ばだ。伯母が最後に連絡したのはいつか判らないが、日数的にはほぼ計算どおりというところだろう。

『やっぱりこの歳になると、何が起きるか判らないでしょう。相手の反応がないからって、あんまり頻繁に電話したりメール送ったりしたら、どうしても晃雄さんに気づかれてしまう。だからまず三か月は待つと決めたの。その間に相手が連絡できるようになれば、すぐに返信する。でもそれがない時は……』

「――相手に何か非常事態が起きている時」

純江は感心したように声を上げた。

『そのとおりよ。結依ちゃん、さすがね。呑み込みが早いわ。おっとり沙和子とはずいぶん違う。だから沙和子もあなたを指定したのね』

「指定?」

『そう。もし三か月経っても沙和子から返信がない場合は、私は結依ちゃんに連絡するように言われてた。だからあなたの番号も知っていた。逆に私からの返信が三か月間途絶えたら、私の親族はもういないから、こっちに住んでる私の親友にかけるように沙和子へ伝えてあった』

初めて聞く話だが、結依には大いに納得がいった。そして純江には判らないかもしれないが、兄の大樹が完全に父親サイドの人間だったことも影響していたのだろう。もし純江が大樹に連絡するようなことがあったら、兄はほぼ間違いなく父に告げることを、母はよく見越していたに違いない。

「あの、母はいつから富山に住んでたんですか?」

純江は驚いたように言った。

『そうね、そのあたりのことはネットの記事にも書いてないわね。あの事件から二年後に、私たち――父の吾郎と私たち二人姉妹は、事件の現場だった東京の大田区から父の実家がある富山へ引っ越したの。それまでは元の家からちょっと離れたアパートに住んでたんだけど、やっぱり事件の記憶は色濃く残ってるし、マスコミとか近所の人なんかがあれこれ詮索してくるしね。何より私たちへの影響を考えて、父――あなたのお祖父ちゃんが決めたの』

母方の祖父の顔はもうぼんやりとしか残っていない。だが満面笑みくずれた顔で、何度も頭を撫でてくれたことと、その節くれだった手が思いのほか温かく優しかったことだけはよく覚えている。

『それでずっと富山で暮らしてたんだけど、あの子は東京の大学へ進学して、卒業間際に晃雄さんに出会ってしばらくしてから結婚したから、結局ずっと東京暮らしだったのよ。でもまさかそれ以降、自分の実家に帰れなくなるとは思いもしなかったでしょうけど』

純江の言葉を聞きながら、結依は心の中にふつふつと怒りが煮えたぎってくるのを抑えられなかった。父がそこまで母を、母の人生を支配していたとは。母が放火事件の被害者だからと言って、その家族との交流を断絶させていい権利も根拠もあるはずがない。

『それで結依ちゃん、そちらでは何があったの? 今度は私に教えてくれないかしら』

純江の言葉に、結依ははっと我に返った。どこまで話すべきか。自分自身、まだ整理がつかないこともたくさんある。だが……。

「母は6月5日に交通事故で亡くなりました。私は偶然その直前に母と家で話してたんだけど、その時に『自分は火葬が怖いから代わりに水火葬がいい』ということを聞きました。でもやっぱり父が許さなくて……」

『ああ、水火葬の話は私も聞いたことがあるわ。あの子はよく『水火葬にしたら富山に帰れるかしらね』なんて言うから、なに馬鹿なこと言ってるの、そんな先のことって笑ってあしらっちゃってたけど、まさかこんな……』

整然としていた純江の声がふいに揺れる。
――この人もまた、被害者の一人なのだ。直接火事には巻き込まれなかったものの、警察やマスコミにつつき回されて追われるように移住した挙句、たった一人の妹と半ば生き別れのような目に遭う羽目になったのだ。放火は卑劣な犯人のせいかもしれないが、その後のことはすべて父の責任かと思うと、結依は父のしたことの罪深さを呪わずにはいられなかった。

「それでつい先日、父が納骨までしちゃったんです。私に内緒で」
『え!?』

純江の声のトーンが跳ね上がった。

「私、せめて遺骨を海へ散骨してあげようと思って、父にも兄にもそう提案してたんです。でも例によって父はまったく取り合わなくて……そうこうするうちに、私に黙って父と兄の二人で勝手に納骨を済ませちゃったんです」
電話の向こうの純江は、ひどく落胆したようにため息をついた。

『そうだったの……実は私もね、沙和子が亡くなったって知って、結依ちゃんと同じことを思ったの。もしまだお骨がお家に残ってるのなら、何とか晃雄さんに頼み込んで分骨していただいて、一緒に富山へ連れて帰ろうかと。いずれ時期を見て富山の海にって……でももう遅かったのね』

「いえ、まだ私は諦めてません」

結依は断固とした口調で言った。

『諦めていない? どういうこと、結依ちゃん。もうお墓の中に入っちゃったんでしょ? じゃあ滅多なことでは……』
「いえ、まだ方法はあります。実は先日私がお寺に行ったのは、その相談だったんです。大丈夫です、純江伯母さん。私に任せてください」

そう言葉に力を込める結依の肚はすでに固く決まっていた。

『結依ちゃん……あの、もしよかったら画像をオンにしてくれないかしら』
「え?」

遠慮がちな純江の声に、結依は思わずきょとんとした。

「声を聞いてると、ほんとあの子に……沙和子にそっくり。だからどんなお顔をしてるのか、電話越しでも会ってみたいの。だめかしら」

ふと気づくと手元のブイホは、相手の画像が許可状態になっている。あとは結依が許可して、バーチャル設定をオンにすれば……。
ふいに目の前に現れた純江の姿に、結依は一瞬息を呑んだ。場所を考えて少し小さめの映像にしたが、それでもその容貌ははっきりと判る。さすがに姉妹だけに似てはいるが、物柔らかで優しげな母に較べて、純江はきりりとした活動的な女性に見えた。

『――ああ、若い頃の沙和子によく似てるわ……ふふ、でももっと颯爽としてるわね。素敵なビジネスウーマンって感じ』

自分とまったく同じ感想を口にされて、結依は思わず微笑んだ。

「結依です。初めまして、純江伯母さん」

結依は初めて会った伯母に小さく手を振った。純江も笑って手を振り返す。その頬の濡れているのが、画像越しの結依にもはっきりと見えた。


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