他者への想像力と他人主体のちがい〜毎日投稿35日目〜

このテーマについてよく考える。

「他者への想像力」
はポジティブな使い方をされることが多い。
成功するには、徹底した他者への想像力が必要。
のような文脈で。

一方、「他人主体」
はネガティブな使い方をされることが多い。
他人主体の生き方をしていたら幸福な人生は歩めない。
のような文脈で。

どちらの言葉も、他人の気持ちを考えるという点では共通であるかのように思われる。
では、両者の違いはなんだろうか?
これについての個人的な見解を話したい。

その違いは一言でいうなら、なんのために行動しているのかの違いであると思う。
他者への想像力は、他者に喜んでもらうために使う。
一方の他人主体は、自分が嫌われないために使う。
この両者には似てるようで大きな違いがある。

他人主体の人間はいつまで経っても自分を評価する軸が自分以外の誰かである。
だから人から嫌われないために判断を他人に委ねる。
自らの意志で相手目線に立った行動をとる他者への想像力との違いはここにあると思う。

他人主体の人間はどこにいってもいつまでたっても幸せにはなれない。なぜなら彼らの思考は常に他者によって支配されているからだ。
他者への想像力を持った人間はどこにいってもどんな状況でも幸せを感じることができる。そんな人間はみんなから信頼され承認されるからだ。

似てるようで全く意味の違うこの2つの言葉。
僕自身が他人主体で生きていることが多いため、今回のnoteは書いていながら自分について考えさせられた。
絶対的な自分軸を持ったうえでの他者への想像力。
これを実現出来れば私達の人生はより豊かなものとなるだろう。

最後までお読みいただきありがとうございました。
See you again👋


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