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「正しくありたい欲」



※以下にややネタバレを含みます
※全て個人の主観によるものです、悪しからず
※PRではありません


小説の前評判の良さ、有名なセリフがよく流れてくるなあ、という認識だった。

朝井リョウさんの小説ということで、重めのパンチがくるだろうと思った。

マイノリティとマジョリティの対比になるのかな、と思って鑑賞したので、その2語を交えながら感想を書きたいと思う。


まず、マイノリティ側をメインとしたストーリーについて。

"水"に対して性欲を抱く主人公と、その同級生。
人間間の恋愛が一般的な世界においては、特定の非生物を性欲の対象とする人間同士の運命的な出会い。
周囲からは理解を得られない思考を持つもの同士、深まる親密度。
男女の親密な関係が人間社会では恋愛とみなされることを利用し、社会へ溶け込むことを選ぶ。
しかし、そこから連鎖するマイノリティのコミュニティにより、主人公たちの存在に焦点が当たってしまう。
人間間での性愛を育む者たちは、非生物に対する性的指向を理解できないが故に、受け入れることができない。



次に、マジョリティ側をメインとしたストーリーから。

検事として社会の本流に沿ってきた主人公。
小学校の時点では不登校というマイノリティに属している息子。
息子の所在を自身で決めてほしいと望む妻。
自身の経験と価値観に則って息子の進行方向を決めたいという父と、息子本人の意思を尊重したい妻。
YouTubeという、主人公にとっては未知のコンテンツの提示。
YouTubeに興味を持つ息子と、息子が何かに興味を持つことを警戒感なく喜ぶ妻と、未知のコンテンツに対して知見を得ることなく抵抗感のみを抱く主人公。
主人公と妻の噛み合わない方向性の中で、妻は家を出てしまう。
そんな中、人間社会の中では到底受け入れ難いであろう性癖を持つ人間達について知る。



物語が交差した時、
マイノリティたちを繋ぐ"わたしはいなくならないよ"という言葉を、マジョリティとされる存在が受け取ったようにみえ、物語は終わる。


ここではマジョリティ、マイノリティという表現を使っているが、多数派かどうか、というよりは、"常識"や"正しい"とされる価値観に沿って生きられる人々を"マジョリティ"としており、"常識では理解できない"とされる価値観を持った人々を、マイノリティとさせてもらっている。


人種、国籍、信仰、生まれ持った姿や形など。それ以外にも、理解し得ない、受け入れてはいけない、とされる概念について。

自分の常識とするものの捉え方を、内省しながら、他者と関わり続けなければいけないと思うと、人生は長い旅だ、と感じる。

しかし、わたしにとってこの作品は、己を根底から省みる作業を怠ってはいけないのだ、と考える1つの契機になった。

同行者はそういう捉え方はしていなかったので、人によっては非常に浅い作品になってしまうのだ。
浅いことが悪い、という認識はないが、捉え方一つで人生は如何様にもなるのだろう。


小説はまだ読めていないので、これから読もうと思う。

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