キングとクイーン;完成しなかった幻の曲
音楽史に残る伝説の歌手、キング・オブ・ポップとも称されるマイケル・ジャクソン。
幼少期から兄弟とジャクソン5を結成し、80年代には黒人アーティストながら世界で最も売れたアルバム「スリラー」を発売。
彼に大きく影響を与えたのは、日本でも圧倒的人気を誇るロック・バンド「クイーン」のフレディ・マーキュリーでした。
今なお最も偉大なヴォーカリストとして評価を受けているフレディとはどういった関係だったのでしょうか。
お互いが与えた影響
マイケルは「オフ・ザ・ウォール」あたりから連絡をとるようになったクイーンのフレディ・マーキュリーに多大な影響を受けました。
フレディからの影響は音楽だけではなく、ステージ・パフォーマーとしてヴィジュアル的な影響も強く受けました。
80年代に世界を回ったクイーンの「The Game Tour」での黒と赤のレザー衣装は、のちのマイケルの「Beat It」や「Thriller」の衣装を彷彿とさせます。
対するフレディもロック雑誌のインタビューなどではマイケルのオフ・ザ・ウォールをお気に入りにあげていたそう。
80年に発売されたアルバム「ザ・ゲーム」のツアーの終演後に楽屋を訪れたマイケルは
「“地獄へ道連れ”を絶対にシングルにした方がいいよ」
というアドバイスを与え、クイーンのキャリアに大きな影響をあたえました。
日本でも大ヒットした伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」でも印象的なこの曲。
クイーンの中で、これまでの音楽性とは違うこの曲は黒人層にも支持されたことで、2曲目の全米ナンバーワン・ヒットになりました。
そして、マイケルとフレディは81年の時点でそれぞれのアルバムで数曲コラボレーションすることを約束していました。
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アルバム「スリラー」での共演
歴史的な大ヒットを記録したアルバム「スリラー」(1982)の制作において、この頃のマイケルはキャリアの中でも最も自由に多くのアーティストとコラボした時期でもありました。
(デイヴ・メイソン、スティーヴィー・ワンダー、ケニー・ロギンス、ケニー・ロジャース、ドナ・サマー、、など)
そして、スリラーではポール・マッカートニーとのデュエット「The Girl Is Mine」を制作します。
ポール・マッカートニーからは前作「オフ・ザ・ウォール」ですでに「Girlfriend」という曲を提供してもらっており、プライベートでもとても良好な関係だったといいます。
プロデューサーぼクインシー・ジョーンズ側から見ても大きなメリットがあり、「The Girl Is Mine」の収録はまだ差別が色濃く残る当時のアメリカのラジオ番組において、白人との楽曲はオンエアされやすいというマーケティング的な狙いもあったそうです。
歴史に残る共演となったマイケルとポールですが、プロデューサーのクインシー・ジョーンズとポールとの間には気まずい空気が、、
実はクインシーの奥さんはポール・マッカートニーの元カノだというのです。
これにはびっくりですね。
スリラー制作の数年ほど前から連絡を取るようになったマイケルとフレディは、お互いに数曲のコラボをすることを約束していました。
そのうちの1つは、マイケルが14歳の少年ランディ・ハンセンと書いたという”State Of Shock”という曲。
これをフレディとデュエットし、マイケルのソロ・アルバム「スリラー」に「マイケル・ジャクソン&フレディ・マーキュリー」として収録するというものでした。
あれ、、
詳しい人ならすぐにわかると思いますが、スリラーにはクイーン(フレディ)との楽曲は収録されていません。
実はお互い多忙のため、スケジュールが合わず、制作までの時間があまりありませんでした。
そしてなにより、プロデューサーであるクインシー・ジョーンズがこのコラボを認めなかったのでした。
一緒に歌うことを決めていたこの曲は結局、ジャクソンズ(元ジャクソン5)のアルバム「ヴィクトリー」からのファースト・シングルとして発売されることになりました。
しかし、デュエットした相手はなぜかローリング・ストーンズのミック・ジャガー。
フレディとの幻のデモテープは現在インターネットで出回っています。
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余談
実はスリラーの収録曲の候補にはYMOの「BEHIND THE MASK」を共作にして発表するという候補もあったそう。マイケルによる「BEHIND THE MASK」はなくなってからの未発表曲を集めたアルバム「Michael」に収録されています。
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絶縁
スリラーでのコラボ曲は収録されることはなくなりましたが、
二人の間ではまだ数曲の約束をしていました。
フレディはバラード「There Must Be More To Life Than This」
この曲をフレディは自らのソロ・アルバムでマイケルとデュエットするために作っていました。
そして、お互いのバンド、ジャクソンズとクイーンで「Victory」という曲を作ること。この曲はHot Spaceのセッション中に途中まではできていました。
しかし、スリラーに"State Of Shock"が入らなかった頃から、親密だったマイケルとフレディとの間には距離が生まれ始めました。
翌年の83年には関係は崩れ、フレディ・マーキュリーは「There Must Be More To Life Than This」を単独で歌うことに決め、自身のソロ・アルバムに収録することに。
実に美しいこの曲マイケルもとても気に入り、自分に欲しいと頼んだそうですが、フレディは断りました。
そして、ヴィクトリーというタイトルはそもそもクイーンサイドの発案だったので、アルバムやツアーのタイトルになったことには当初不満だったようです。
ただ、アルバム「Dangerous」のジャケットとクイーンのアルバム「華麗なるレース」のジャケット
「They Don't Care About Us」と「We Will Rock You」の足踏みなど、絶縁後もフレディからの影響はうかがえます。
最後に
そんなマイケル・ジャクソンですが、新しい伝記映画が2025年4月に全米公開となります。
主演を務めるのは甥に当たるジャファー・ジャクソンです。
日本での公開が待ち遠しいですね!
《参考》
書籍「新しいマイケル・ジャクソンも教科書」新潮文庫(西寺郷太 著)より
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