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二歳の息子に守られた話

息子のことは、色々悩んでばかりで、
他にも難産な話があるのですが、
(本当に難産でもありましたが、)
手術前に、どうしても、書いておきたくて。

親バカなnoteです。
どうぞ、スルーしてください。

息子が生まれて二か月のときから、
義理の母と同居しました。
義理の父は、
娘が生まれる3週間前に、
亡くなりました。
まだ六十代でした。

マンションは手狭になっていくし、
できれば、戸建に住みたい。
でも、旦那さんの実家は旦那さん名義で
家土地を結婚前に購入しているから、
旦那さん名義の借金もあり。

二世帯に近い建替えをすることに。

同居して、同居すると、やっぱり色々あって、
姑さんとは、あまりうまくいかず。
子供が病気のときは、
何かあったら嫌だから、面倒は見ない

義母に言われていました。

二人目出産時には、責任ある仕事もあったので、
休んでばかりもいられず、
子供が病気をする度に、
実家の母を家に呼んで、頼っていたので、
余計に関係はしんどくなっていきました。

そんなとき、旦那さんの単身赴任の話が
ふってわいてきました。

このまま、旦那さんが家からいなくなって、
姑さんと、子供二人と、私だけでは、
もう崩壊するしかないなと思った私は、
縁もゆかりもない九州へ、
子供二人連れて、旦那さんに着いて行くことを決意。

同じ会社に勤めていたこともあり、
夫婦セットで転勤させてもらいました。

でも、実際に転勤するまでの2週間ほど、
毎晩のように、姑さんから、色々言われました。

子供を転校させて、可哀相。
戻ってきても、もう家事育児は協力しない。
一人で置いて行くなんて、ひどい。

そんな感じでしょうか。

言い返しても、喧嘩になるだけなので、
黙っていましたが、
特に、子供の転校のことを言われたら、
自分も可哀相だと思っていたので、
泣いてしまっていました。

二世帯でも、玄関とお風呂だけは共用だったので、
だいたい、お風呂上がりに色々言われていたのですが、
あるとき、
一緒にお風呂に入れて、抱っこしていた
二歳の息子が、
私が泣くのを見て、

ママを泣かしたらあかん

と、私を守ってくれました。

私に抱かれているくせに、
私を抱きしめてくれました。
そして、姑さんを睨んでくれました。

まだ、息子は、言葉もよく、喋れないのに。

今なら、許せる話でも、
当時の私は、本当に病んでいて、辛かった。
どんどん、悪化する人間関係に、ほとほと、
疲れ切っていた。

一人になるお姑さんの寂しさも不安もわかる。
病気のときに、子供を診たくない気持ちもわかる。
ずっと専業主婦で、今更働けないから、お金は出せない、という言い分もわかる。

でも、私も、辛かった。
病気の子供を、人に預けて出勤するのも、辛かった。
きっと、やったことある人ではないと、
わからないんじゃないかと思う。

私だけが、悪かった訳ではないと思う。

でも、私は、うまく立ち回れなかった。
うまく姑に甘えることは出来なかった。
姑にとって、いい嫁にはなれなかった。

まあ、結局、嫁姑は、なかなか、難しい。

それでも、
私を息子が守ってくれた
という事実が、
それ以降、
ずっと、私を守ってくれている。

どんなに私がうまくできなくても、
どんな私でも、
息子は私を
受け入れてくれて、
愛してくれて、
私を攻撃する人から、
守ってくれた。

私が愛されているという実感を
これほどまでに感じたことは、ないかもしれない。

旦那さん、娘さん、お父さん、お母さん、
ごめんなさい。
母親にとって、息子は、そういうものなので。
母親にとって、息子からの愛は、別腹なので。

これから、どんなことがあっても、
あのとき、守られたお礼を、
私は返し続けるだけ。

全員と、上手くできる人間ではない、
という、
私にとって辛い事実は経験することになったけれど、
できない自分でも、
愛される価値はあるんだと
痛烈に実感させられた、お話でした。


泣きながら書いていたら、
給食のアンケートを持って、
給食の担当の方が来室。

ラジオ体操より、
恥ずかしいタイミングで、
いらっしゃいませ
となりました。

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