沖縄が「植民地的」であるとはどういう事なのか?

沖縄が「植民地的」であるとはどういう事なのか?

米軍基地を押し付けられているとか、もちろんそういう事もあります。
しかし、それ以上に深刻な問題が2つあります。
深刻なのに、誰も言わない。特に沖縄のマスコミは絶対に取り上げない。
私が10年以上前から言ってるけど、全く相手にされません。
過激に見えるのでしょうね(笑)。

ひとつは、あれこれ理由を付けて「補助金漬け」であること。これは多くの人が指摘してることだし、沖縄県民も感じてはいることです。
それの何が問題なのか?
要するに、優遇措置で他県より補助金もらいやすので、自助努力しなくなるということ。
軍用地主は沖縄県民の5%くらいだし、多くは年に100万円ちょっとらしいとはいえ、何もしなくても金が入ります。
私は昔から、「基地問題は教育問題」と言ってます。
不労所得がある家庭は子どもに教育を与えません。
米軍基地を存続させるために、沖縄を補助金漬けにする=愚民化政策。
沖縄県民は、「わかってるけど抜け出せない」のが現実。
でも、抜け出さなくちゃ。

首里城が焼けた翌日には、沖縄県知事が東京行って「お金ください」と頭下げました。それに象徴されてます。

もし本当に琉球王国の誇りが残っているのなら、「再建は沖縄県民の手で行うから、土地や権利を返してね」と言うべきでした。

そこにこそ、長年刷り込まれてしまった「植民地根性」が現れてます。

私は琉球独立派ではありませんが、日本という国をもっと良い国にするためにも、私たちはかつての琉球王国の誇りを忘れてはならないと考えてます。

「植民地的根性」については、実は復帰前や直後にはよく議論されてたのです。でも、今は全くないですよね。

その一方で、「自分の県に沖縄の米軍基地を受け入れると表明しない限り、どんなに沖縄に同情しても反米軍基地運動しても、その人は(無意識の)植民地主義者だ!」と主張する人たちが沢山いますが、そんな単純な事なら楽でいいよねとしか私は思いません。
沖縄に米軍基地が存在する理由はそんな単純なことではないからです。県外移設は単純な「思い」だけでは不可能。良いか悪いかは別として。

植民地根性はすなわち、被害者絶対正義根性でもあります。
自分が被害者である事で、自分の考えや行動が全て肯定されるべき!と考える人たち。(遠く北海道にもたくさんいるようで、私の友人が頑張ってます)

被害者=正義、ではありません。
弱者=正義でもない。

植民地根性からの脱却とは即ち、被害者特権意識からの脱却です。
そのためには沢山の事を学ばなくてはいけません。
自らを相対化する視点も持たなくてはなりません。

長くなったので、もうひとつの問題。
「やってくるのは基地だけではない」は後日。


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