湯婆婆の婆が奪われ湯が流れ湯湯婆(ゆたんぽ)になるまでを見てたい

工藤玲音さんの『虎のたましい人魚の涙』というエッセイ集の中で「湯婆婆」という文字列を見た。それは前後に説明なく「湯婆婆のつけていそうな指輪」という文節で登場した。千と千尋の神隠しのストーリーが固有的なものから一般的な概念へと普遍化したおもしろい例だなと思ったと同時に、一目間違えると「湯湯婆」に空目しそうだなと思った。

「湯婆婆」と「湯湯婆」。真ん中の文字如何で全くイメージの異なる単語2つが対になるのが面白い。(湯婆婆の厳(いかめ)しく人(妖怪?)を寄せ付けないイメージと、湯湯婆の人のお腹を温める優しいイメージ)

思えば湯婆婆には「名前を奪う」という特徴がある。その湯婆婆自身が名前を変えられ、アイデンティティである「厳(いかめ)しさ」を奪われ、湯湯婆の優しいイメージにすり替わっていく、というのは画としての面白さもある。

奪われた「婆」の穴を埋めるように温かい「湯」が流れ込み、その温度にあてられて湯婆婆が湯湯婆のような優しいイメージになっていく。グラデーションのある時間軸が、じんわりとした優しさを醸成するイメージに繋がる。

#短歌 #tanka

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