はぐれミーシャ純情派 第十話 桜の花びらが舞う頃

グーリャはもうすぐタシケントに帰ってしまう。
僕が彼女の元へ行くのは、その一ヵ月半後だ。
僕たちに残された時間は少なかった。
いずれまた一緒になるということがわかっているのに切ない。
僕たちはその「束の間の別れ」を恐れていた。
そして、そのことをできるだけ口に出さないようにしていた。
時間は止まらないものなのだということを改めて思い知った。

4月の終わり、僕たちは箱根に行った。
新宿からロマンスカーであっという間。
箱根の駅を出ると、少し肌寒かった。

僕たちは特に目的があったわけではない。
箱根に何があるか知っていたわけではない。
二人であることが最も重要で唯一の条件だ。

とりあえず芦ノ湖へ行ってみようということに。
箱根はグーリャは初めてだが、僕は中学の修学旅行で来たことがある。
大涌谷とか行ったなあ。
あの、そこらじゅうで煙が上がっていて、すんごい臭いがするところ。

箱根登山鉄道に乗って、終点の強羅まで。
この頃になると、僕たちには沈黙の時間も多かった。
僕はグーリャの大きい目を見つめるのが好きだ。
じっと見ているとグーリャが「なに~? どうしたの~?」
僕が「目が大きいよね。その目が好きだよ」と言うと、グーリャ「じゃあ、もっと見る~?」と言って、その大きい目をもっと開いて二倍ぐらいにする。
僕たちは言葉以上の会話をしていた。

強羅からケーブルカーに乗り換え、ロープウエイ乗り場へ。
僕「ロープウエイって、乗ったことある?」
グーリャ「ないね。でも、高いところ好きだから、楽しみね」
そうだ、グーリャは高いところが好きなのだ。
一方、私はというと、正直、高いところは苦手。
一度、グーリャと横浜で恐ろしく高い観覧車に乗ったことがあったっけ。
怖かったけど、グーリャと一緒だから怖がっているところを見せるのはかっこ悪いと思って我慢したんだよね。
でも、ロープウエイは観覧車ほどの高さじゃないだろうし、蔵王とかでも何回も乗ったから大丈夫だろう。

ロープウエイが出発する。
グーリャも楽しそう・・・だったのは最初だけで。
かなり風が強い。
かなり揺れる。
そして、地上から一番高いと思われる地点で止まってしまった。

これはかなり怖いシチュエーション。
安全装置が作動したのだろうか。
ちょっと動いたと思ったら、またストップ。

同じゴンドラに乗っていたおばさんたちはキャアキャア言っている。
隣に座っていたグーリャにロシア語で「こういうのも面白いよね」と言ったら、グーリャ「全然、面白くないね・・・」。
手を握ると震えている。
グーリャは絶叫マシンとか、そういうのが好きな子だから、こんなのも平気なのかと思ってた。
グーリャ「早く着いて欲しい・・・」と本気で怖がっている。
いつもはおてんばな感じのグーリャなのだが、こんな一面もあるんだなあ。
ロープウエイが終点に着くと、グーリャは「もう乗りたくないね。怖かったね」

ロープウエイの終点、桃源台から芦ノ湖の遊覧船に。
中学の修学旅行以来だから、12年ぶりだよ。
そう考えると、自分が一気に年をとったような気がする。

終点で船を降りて、二人で記念写真。
その時の写真は、僕たちの一生の思い出になるだろう。
あれほどまでに自信と喜びに満ち溢れた自分の顔を僕は見たことがない。
グーリャの顔は僕と二人で安心しきった表情。
僕たちが二人で乗り出した未来は果てしなく広く、限りなく青かった。

それから、バスに乗って、元の箱根湯本駅へ。
着いたのは14時過ぎ。
お腹が空いたということで、昼ごはんが食べられそうな店を探すが、どこも観光地価格。
ざるそばが1200円って、どうよ!?
なにが悲しくて、箱根で1200円も出して、ざるそばを食べなきゃいかんのだ!

せっかく箱根まで来たのだから、箱根ならではのものを食べたかったのだが、何も発見できず。
結局、僕たちは駅の近くのコンビニでお弁当を買って食べることに。
できれば、景色のきれいなところで、と思い、もう一度登山鉄道に。

当てずっぽうに降りたのは宮ノ下という駅。
二人で当てずっぽうに歩き出す。
何があるのか全く知らないまま降りたのが、何か楽しい。

しばらく歩くと、小さい公園のようなところに着く。
枝垂れ桜が美しい。
ここで昼ごはんを食べよう。

桜の花びらが舞い散る中、二人でコンビニ弁当を食べる。
誰もいない小さな公園。
静か過ぎる景色の中で、桜だけがざわめく。
風に揺れる枝垂れ桜。
舞い落ちる花びら。
そして、二人きりの僕たち。

お弁当を食べ終え、二人でボーっとしていると、公園に小さい男の子が走りこんでくる。
いかにも町内の子供の遊び場という趣の公園。
元気に駆け込んできた男の子が僕たちを見て、かたまる。
数秒、僕たちを凝視した後、元の方向へ走り去ってしまう。
知らない人たちがいて、びっくりさせちゃったかな?

その男の子がお母さんと一緒に公園のほうへ歩いてくる。
お母さん「どうしたの? 公園で遊ばないの?」
男の子「だって、知らない人がいるんだもん」
お母さん「誰がいるの?」
男の子「お姉ちゃんとおじさん」
がーん!
俺、おじさんかよ!
まあ、僕は26歳で、グーリャは18歳だから、彼の判断は正しいとしか言えないが、かなりショック・・・
子供を捕まえて、「おじさんじゃねーよ」と言ってやりたかったが、大人気ないし、お母さんもいたのでやめた。
僕たちも笑うしかなかった。
グーリャは「あなたはおじさんじゃないね。すごく若いね」と言いながら、笑っている。
なぐさめられるほうが悲しいよ。

楽しい時間も過ぎ、僕たちは東京へ。
新宿駅から目黒駅へ。
楽しい時間が終わろうとしている。
でも、終わらせたくない。

僕たちはグーリャのうちに着くまでの時間をできるだけ引き伸ばそうとする。
夜の19時。
もうグーリャはうちにいないといけない時間。
でも、もっと一緒にいたい。

僕たちは行人坂を降りて、目黒雅叙園の方向へ。
そして、川沿いを歩く。
僕たちの腕は螺旋に絡まり、きっとほどけないだろう。

少しずつ、グーリャのうちの方向へ動いていく。
うちへ近づいて行くことを注意深く避けながら、それでも避けられない束の間の別れを僕たちは恐怖をもって知覚する。
もう今日という日が終わってしまう。
もう未来なんていらない。
今日だけが永遠に続いて欲しい。

山の手通りを渡ってしまうと、グーリャのうちはすぐそこだ。
山の手通りの手前、ビルとビルの谷間に猫の額ほどの小さな公園。
僕たちは子供たちの遊具に隠れて唇を重ねる。
僕たちはいろんなものを重ねていく。
時の流れを恐れて、僕たちは身を潜める。

早く帰らないといけないグーリャは速度を緩め、やがて立ち止まる。
「帰りたくない・・・」
目黒不動尊の前。
動けない僕たちを包む夜の闇はどこまでも優しい。

グーリャのうちの前まで来てしまったのは20時。
僕「大丈夫?」
グーリャ「大丈夫じゃないね」
僕「お父さんに怒られるかな」
グーリャ「そういう意味じゃなくて、あなたと一緒にいられないから、大丈夫じゃないね」
僕は抱きしめる以上の言葉を知らない。

僕はこれまで生きてきて、これ以上に幸せだったことはない。
特に20歳を過ぎた頃からは辛いことばかりだった。
グーリャは僕に生きることの喜びを心の底まで感じさせてくれた。
心の底から、ありがとう。

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