はぐれミーシャ純情派 第五話 二つのコートと一つのポケット

二人での翻訳作業から三日後。
グーリャはまたまた僕のうちに来たのでした。

その日はまだ3月上旬なのに、春の気配が感じられるような暖かい日。
いつもの三軒茶屋のバス停に現れたグーリャも春の装い。
「こんにちは~。今日はいい天気ね」

前回のように二人で世田谷線に乗り、豪徳寺のアパートへ。
前のときは初めて外国人がうちの中に入るということでちょっと緊張したのですが、今回はもう大丈夫。
部屋が汚いのも隠すことでもないし。

翻訳は順調に進むかと思いきや、雑談のほうが多くなってなかなか進まない。
特に急いでいる仕事でもなかったのでいいんだけど。
音楽を聴いたりしながらダラダラと。

今日も晩ご飯を一緒に。
今日のメニューはカルボナーラ。
みのもんたがテレビ番組で(「思いっ○りテレビ」ではない)言っていたレシピをちょっとアレンジ。
卵の白身は使わず、黄身だけで作るカルボナーラ。
あまりのおいしさにグーリャ、また食べ過ぎて「お腹、くるしい~」。

食事が終わったのが20時。
グーリャ「早く帰らないといけないね」。
彼女の家族の話はいろいろと聞いていて、お父さんが結構厳しいみたい。
あんまり遅いと「どこに行ってたんだ! 誰と一緒だったんだ!」と問い詰められるのだとか。
僕「聞かれたらどうするの?」
グーリャ「友達と遊びに行ってたっていうから大丈夫ね」
僕「そうだよね。俺と一緒だったなんて言えないよね」
グーリャ「そうね。お父さん、あなたのこと、まだ知らないし、知ったら、たぶん殺されるね」
おいおい、本当かよ。

うちのドアを開けると、頬に冷たい夜気が。
昼は暖かかったけど、まだ3月。
夜には冬に逆戻りしたような寒さ。
僕「その服じゃあ寒いんじゃないの?」
グーリャ「そうね。すごく寒いね」
というわけで、僕の予備のコートを貸すことに。
僕のコートもグーリャのコートもベージュっぽい同じ感じのコート。
グーリャは着ている服が赤いから、あんまり色の組み合わせがよくない。
でも、風邪を引くよりましだよね。
手袋はないけど、ごめんね。

二人、並んで世田谷の駅まで歩く。
結構な距離を歩く。
うちからだと、世田谷駅も山下駅も宮の坂駅もほとんど同じ距離。
ちょっと遠いけど仕方ない。
いつもはおしゃべりしながらだから、少しでも長く一緒にいるのに都合がいい遠さなのに、今日は早足にならざるを得ない。

二人、息を弾ませながら歩く。
僕たちの距離感は微妙に近い。
僕「寒いね」
グーリャ「そうね」
僕「じゃあ、こうしたらあったかいんじゃない?」と言って、グーリャの左手を僕のコートのポケットに引っ張り込む。
ポケットの中で僕の手とグーリャの手が重なる。
やってしまってから、「彼女が嫌がったらどうしよう?」と考えてしまう。
僕はいつもこうなんだ。
考えが行動に追いつかない。

二人、お互いに手を温めながら歩く。
僕「ごめんね。嫌じゃない?」
グーリャ「何で謝るの~? あったかいよ」
温められた手よりも、照れている彼女の頬のほうが温かそうだ。
なぜか無言になってしまう。
黙るのも変だ。
思わず上を見上げると、おあつらえ向きに、冬空に星が散りばめられていたりする。
僕「星がきれいだね」
グーリャ「そうね」
僕たちの手は言葉よりも雄弁だったということだ。

そうこうしているうちに、世田谷駅についてしまう。
世田谷駅は駅舎がないから、外で待つのは寒いだろうと思っていたが、彼女と一緒なら寒くないだろう。
でも、そんなときに限って、タイミングよく電車がやってくる。
僕たちはちょっと走って、何とか電車に間に合う。

電車に乗って、僕たちの手は離れてしまう。
周りの目が気になったからか、もうその必要がなかったからかはわからない。
ぼやんとした電車の中の光の中で僕たちはどんな話しをしたのだろう。
思い出せるのは手に残った温もりだけで、僕たちは静かに電車の中の風景に溶け込んでいく。

グーリャをバス停まで送る。
グーリャ「じゃあね」
僕「今日はありがとう」
グーリャ「ううん、今日はとてもうれしかったね」

この「うれしい」という言葉をどうとらえよう。
帰りの世田谷線の中でそのときの言葉を反復し、そのときの顔を思い出し、そのときの声を思い出し、それでも彼女の気持ちに気づかなかった俺はかなり鈍感らしい。

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